廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

馬頭町 馬頭中学校 武茂分校

2018年08月23日 17時31分45秒 | 栃木の廃校
1975年当時の航空写真を見ると立派な2棟の校舎を確認できる。
現在のグーグルの写真ではただの空き地のようだが何かしらの遺構は残っているかもしれない。
目指すは馬頭町 馬頭中学校 武茂分校跡地だが、
調べてもいまひとつ沿革が不明。

統合先の馬頭中学校のHPの沿革には
昭和46. 4. 1 馬頭町立馬頭中学校、馬頭、武茂、小砂分室となる
昭和48. 3.25 馬頭、武茂、小砂分室廃校となる
昭和48. 4. 1 馬頭町立馬頭中学校開校

となんとも不可解な記述があるが、
分室とは分教室のことだろうがこれは新設されたのではなく、
馬頭、武茂、小砂のそれぞれの中学校が分教室となったのだろう。
そして2年後に馬頭中学校に統合され、新たに馬頭中学校としてスタートしたと解釈していいのかな。
しかし、この記述だと元々の馬頭中学校の他に馬頭分教室があったようにも解釈できるので、
さらに調べる必要がありそうです。

そんな不確かな情報を頼りに学校跡を尋ねると
荒れた雑草だらけの広場に着きました。
アプローチの道路も狭く雑草だらけでクルマで進むことを躊躇させます。

どうやら閉校後は校舎も取り壊され運動場として使われていたようですが、
見るところここ10年は使われていなさそうです。
野球のバックネットに錆びたサッカーゴールが残っていますが
学校時代を感じさせる遺構は確認できませんでした。

子供が少なくなって閉校するのですからスポーツする子供も少ないはずです。
このまま植物に飲み込まれてしまうのでしょうか。なんとも寂しい風景です。

校門があったと思われる場所から。
右奥の背の高い樹がシンボルツリーだったのかもしれない。




バックネット作るにもそれなりにお金もかかるだろうに。無駄だねー




この雑草が茂る中でのサッカーも面白いかも

群馬県 旧赤城村 棚下小学校

2018年08月01日 09時27分22秒 | 群馬の廃校
群馬県沼田市周辺の廃校巡り。
最後は旧赤城村、合併後の現在は渋川市にある棚下小学校を訪ねました。

1998年の閉校後は赤城工房として木工などのクラフト作家の作業場として余生を送っているようです。
訪れた日は日曜日でしたが工房の方がいらっしゃいました。
声をかけると中の見学も可能とのことで見せていただきました。
木工をやられている方の話では来年3月で赤城工房は閉鎖され解体することが決まっているとのことでした。
地元の新聞記事なども見せてもらいましたが、これだけの木造校舎ですので残すことはできなかったのでしょうか。

沿革を調べようと統合先の津久井小学校のHPを見ると、これがまれにみる充実したHPで感服。
統合した棚下小学校や南雲小学校の情報まできちんと網羅しています。
特に明治、大正、昭和、平成にわたっての数多くの写真を見ることができ、資料的価値も高そうです。
茅葺の校舎や明治期の卒業写真、昭和の臨海学校の写真など見どころがあります。

ここまでのきちんとした情報を管理するのは相当大変そうですが、
HPの作成は誰がやっているのか気になりますね。
一教師の片手間とは思えませんし、もし教師の方がやられているとすれば相当な負担がかかっていそうで心配になります。
充実の津久井小学校のHPはこちら。

利根川の河岸段丘だろうか、急峻な崖下にある校舎は現在ではちょっと問題がありそう。


















木工の作業場として活用される旧講堂







来春には赤城工房も閉鎖のようだ。新聞記事を見せてもらった