廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

茂木町 小貫小学校

2014年03月23日 15時40分24秒 | 栃木の廃校
栃木県内でも多くの廃校跡を有する茂木町。

益子から笠間へと抜ける街道からも跡地は見えるが、
行き交う人が学校跡と気づくことはまず無いだろう。
しかし、廃校マニアならば不自然に広い敷地に桜の古木、
ゲートボール場に二宮… ビンゴ!! 学校跡発見! となるはず。

そんな、茂木町小貫小学校ですが、
当時の遺構は凛々しいお顔立ちの二宮像に、緯度と経度を記した杭ぐらいしか確認できません。
桜の木は今年も花を咲かせそうですが、樹勢があまり良くないようです。
敷地内にある消防団の機材置場の裏に当時の椅子が寂しげに置いてありました。

廃校記念碑がありましたが、
なぜか建立が平成23年3月。
閉校から四半世紀が過ぎてからの建立です。


茂木町 小貫小学校沿革
明治 7年10月  安楽院に開設する
   8年 7月  学校を安養寺に設置し一貫舎と称する
昭和 2年 4月  現在地に新築移転する
   16年 4月  逆川村立小貫国民学校となる
   21年 3月  逆川村立小貫小学校となる
   29年 8月  茂木町立小貫小学校となる
   62年 4月  逆川小へ統合のため閉校となる

ちなみに、この近くには以前「大村彫刻の森美術館」というB級スポットで有名な美術館がありました。
現在は休館中と言う名の廃墟ですが、一部の廃墟マニアには有名らしいです。











市貝町 文谷小学校

2014年03月19日 20時37分24秒 | 栃木の廃校
この春訪れたい、桜のある小学校跡。
第1弾は市貝町 文谷小学校後跡。

文谷小学校の沿革は
明治6年 大圀山医光院寺 圀文學校として開校
明治25年 文谷尋常小学校になる
昭和29年 市貝村立文谷小学校改称
昭和38年 田野辺小学校と統合により閉校

昭和38年当時はまだまだ子供が多かった頃にもかかわらず統合されています。
50年を過ぎていますので当時の遺構は門柱を残すのみですが、
ここには立派なシダレザクラの巨木が残っています。

ソメイヨシノが残っているのは多いですが、
ここまで見事なシダレザクラは珍しいです。
樹齢がどのくらいかは判りませんが開校当時に植えたものでしょうか。
訪れたのは1月の日も傾く頃でしたが、
ここはぜひ桜の季節に訪れたいですね。








益子町 益子小学校星の宮分校

2014年03月17日 20時16分23秒 | 栃木の廃校
年度末の3月に加えて今年は消費税の改定で、
3月は地獄の忙しさ。
廃校巡りどころかまったく休めません。

そんなわけで蔵出し。

近年では珍しい昭和52年まで存在した
益子小学校 星の宮分校。
名前がいいですね。
門柱に刻まれた文字もいい。

分校跡と刻まれた立派な門柱があります。
廃校記念碑の代わりのようです。
裏側には
創立 明治34年7月24日
閉校 昭和56年3月23日とあります。
分校時代の門柱に廃校跡の文字と日付を刻んだのでしょうか。

当時の遺構は何もありませんが、
シンボルツリーだったヒマラヤ杉がどうにか学校跡の雰囲気をとどめています。








旧寺尾村 寺尾中央小学校 星野分校

2014年03月08日 15時05分56秒 | 栃木の廃校
実はこの学校はしばらく寺尾北小学校としてアップしていたのですが、
大きな誤りで、本当は旧寺尾村立寺尾中央小学校星野分校跡でした。

記念碑もなく確証もないままアップしてしまい反省しきりです。
寺尾中央小学校星野分校は1965年に閉校し本校に統合されています。

校舎はありませんが遊具類や門柱が残り、
集会所として利用されています。
関東にドカ雪が降って1週間後でしたが
まだ校庭には雪が残っていました。

ちなみに、今月末に閉校になる寺尾中央小学校には
昭和30年に建てられた木造校舎が残っているようなので、
近いうちに訪れようと思っています。




















旧葛生町 会沢小学校

2014年03月03日 12時10分08秒 | 栃木の廃校
旧葛生町は石灰の町。
町の真ん中に石灰工場のプラントが立ち並び、街全体がホコリっぽい感じがします。

町の中心にある東武葛生駅は、石灰の輸送で全盛を迎えていた頃、
駅員が80名在籍し構内には旅客用も含め20本の線路があったようですが、
今は寂しい終着駅。
かつては葛生駅から北に東武会沢線、西に日鉄鉱業の専用線があり、
今でも廃線の遺構が多く残っていて廃線好きの方々が足を運んでいるようです。

今回訪れた会沢小学校も、東武会沢線の廃線跡と国道293号に挟まれた場所にあります。
2004年の閉校から10年。
校舎は取り壊されコミュニティーセンターが新たに建てられていますが、
当時の遺構は良く残っています。
校庭脇の体育道具入れの小屋は当時のものでしょう。
遊具や朝礼台も残っていますが、
廃校記念碑や二宮像は確認できませんでした。

明治6年11月19日  都賀郡小曾戸村光照寺を仮校舎として開校
明治20年4月    小学校令公布により、葛生第二尋常小学校となる
昭和10年5月22日  第二尋常小学校を廃止し、第二分教場なる
昭和22年4月1日  葛生町立第二分校となる
昭和24年4月1日  第二分校が独立して会沢小学校となる
平成16年3月24日 葛生小との統合により閉校

























市貝町 上根小学校

2014年03月01日 17時09分50秒 | 栃木の廃校

市貝町の廃校記念碑のフォーマットは、
黒御影石に表面に学校名、裏面に簡略された沿革。
隣の芳賀町は表面に校歌、裏面には詳しい沿革が刻まれているので資料的には芳賀町の勝ちでしょう。
まぁ。勝ち負けは関係ありませんが…。

ここ、上根小学校は通りからちょっと外れた高台にあります。
もう少しで震災から3年を迎えますが、
県内でも被害が多く場所によっては震度7だったところもあった市貝町。
ここ、上根小学校でも当時の被害の大きさをうかがえます。
かなり大きな記念碑が根元から倒れていました。
これだけ大きく、重量もある石が倒れるのですから今更ながら地震の凄さを感じます。

当時の遺構は石の門柱に記念碑、タイヤ飛び位しか残っていません。
正門とは別の通用門にまだ上根小学校の文字が読めますが、
背後の竹薮がかなり敷地に侵食しています。 夏にはヤブ蚊が凄そうです。

ゲートボール場や公民館などに利用されてはいないので、
ゆっくりとですが自然に帰ろうとしているようです。

明治8年開校 上根小学校開校
明治33年 上根尋常小学校に改称
昭和29年 町村合併により市貝村立上根小学校となる
昭和59年 市塙小学校と統合により閉校