廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

福島県 西会津町 野沢小学校 安座分校 

2015年09月30日 19時01分20秒 | 福島の廃校
wikipediaに書かれた福島の廃校リストを見ると
西会津町だけで24の廃校がリストアップされている。
季節分校などの未掲載のものもあると思われるので、
西会津町だけを廻るだけでもかなり時間がかかりそうだ。

しかも、遠いうえに広い。
今回は間違いなく木造校舎が残っているのが確認できた三校を見てきました。

西会津町の磐越西線野沢駅から安座川沿いに進むこと15分ぐらいでしょうか。
1978年に閉校した西会津町野沢小学校安座分校を訪れました。

訪れると校舎は体験型の宿泊施設として利用されているようです。
訪れたときは閉まっていましたが、校庭にはキャンプができるよう炊事場やタープまで張ってありました。

木造の校舎も宿泊用にかなり手を入れているようです。
最近は廃校後の有効活用で宿泊施設になることは珍しくありませんが、
1978年の閉校ですからかなり時間をおいてからの宿泊施設への転用と思われます。
あまり荒れてもいないので30年以上きちんと地元で管理されていたのでしょう。

記念碑などはありませんでしたが、
登り棒にブランコが残っていました。

校庭跡には栗の実がたくさん落ちていましたが、
栗を目当てに熊サンとばったり会うことは嫌なので
そろそろ退散しましょう。















福島県 西会津町 屋敷小学校

2015年09月28日 18時34分11秒 | 福島の廃校
西会津の廃校跡をいくつか廻ってきました。
しかし西会津は遠い…。もうほとんど新潟との県境。
今まで南会津までは下道を通って行ってましたが、
今回は東北道~磐越道を乗り継いでの高速利用。

まずは1990年に閉校し群岡小学校に統合された屋敷小学校を訪れました。
山の中です。クマ出没注意の看板も多いのですが集落の中なのでまぁ大丈夫でしょう。

校庭には携帯のアンテナの鉄塔が不釣り合いなほど高くたっていますが、
木造の校舎はいくぶん荒れた感じですがきれいに残っています。

地元の方が草刈りをしているようで、
藪をかき分けること無く校舎に近づけました。

割れたガラス越しに中を見ると学校時代の写真やトロフィーらしきものも見えます。
せめてガラスぐらい補修しないとどんどん荒れてしまいそうです。

元々は群岡小学校の屋敷分校として設立したようですが、
その後独立しています。
統合先の群岡小学校もその後統合され現在は西会津小学校となっています。
記念碑や遊具類は無く詳しい沿革などがわかりませんでした。

学校敷地の脇に木造の住宅が二棟ありましたが、
たぶん教員住宅だったと思われます。

紫色の野菊が秋風に揺れていました。
冬は豪雪地帯なのでなかなか訪れるのも大変ですが
西会津には多くの廃校があるのでいずれまた訪れたい場所です。

























福島県 棚倉町 高野小学校 戸中分校

2015年09月24日 19時13分11秒 | 福島の廃校
栃木県那須の伊王野から戸中峠を越えて福島県棚倉へ向かう。
タイトで狭い県境の峠を過ぎて最初の集落が戸中。

学校跡があるかと重いゆっくりとクルマを走らせると、
何やらクマのオブジェに記念碑らしきものを発見。

石碑は統合記念碑と刻され
戸中分校の歌が彫られていました。
裏側を見ると沿革と閉校時の在校生の名前まで彫られていました。
6年生 1名
5年生 3名
4年生 3名
2年生 1名
1年性 1名  
全員で9名だったことがわかります。 

戸中分校の歌は昭和48年の卒業生によって作詞されたようです。

戸中分校の歌

小さな分校のこの戸中
前を流れる白子川
清い流れを見つめつつ
正しい道を進もうよ
われ等は元気な戸中の子

この歌を覚えている人はいますかね。

記念碑横には閉校の1年前
昭和52年9月22日製作の創立50周年を記念する「友だち」と刻されたオブジェ。
石膏で作られたオブジェは子どもたちの手作りのようです。
クマ? もしかすると当時人気だったパンダかもしれません。
ここにもきちんと製作した3名の6年生に1名の5年生の名前が刻まれていました。

校舎はもちろん当時の遊具類もありませんし、
敷地だった場所もほとんどが携帯のアンテナで占領されていますが、
分校の歌や記念碑に残された子どもたちの名前から、
山あいの分校の生き生きとした様子が感じられました。


道路横にある記念碑。敷地には携帯のアンテナが。





戸中分校の歌が刻された統合記念碑





子どもたちの手作りの50周年記念碑。
当時国民的人気のパンダの様な気がしますが造形的にはクマか?






福島県 下郷町 江川小学校 枝松分校

2015年09月18日 16時25分33秒 | 福島の廃校
廃校巡りをしていると素晴らしい木造の校舎が残っていることなどまれ。
ほとんどは取り壊され更地になっているか、
新たに集会所が建てられ○○コミュニティーセンターなどと
呼ばれる施設になっていたりと、
ほとんどは当時の建物は残っていない。

二宮像や錆び付いた遊具があればかなりの収穫。
記念碑があればとりあえずは沿革がわかるといった感じ。

しかし、何も無くてもかつてここに学校があったとことには間違いが無い。


ここ、江川小学校 枝松分校跡は2度目の探索で見つけた。
集落の中の個人宅に入っていきそうな細い路地の先、
神社とお堂に挟まれた坂を登った先に開けた空き地が松枝分校跡。

昭和26年12月1日 松枝分教場新築記念の碑に、
平成17年3月廃校 枝松分校跡地 と彫り加えられていました。

雑草がからまるフェンスに鉄棒の残骸が立てかけられているのが
唯一の遺構でしょうか。

何も無い  だけど何となく雰囲気の良いほのぼのとする分校跡。

きっと分校跡の横にある赤い屋根のお堂や神社がそう思わせるのかもしれません。














福島 会津高田町 旭小学校 市川分校

2015年09月17日 20時26分15秒 | 福島の廃校
大内宿から市野峠を抜ける旧下野街道の脇街道になる峠道。
道幅も狭くドライブにわざわざ訪れる人はまずいないでしょう。

訪れるのは旧街道好きな物好きか峠道が好きなライダーぐらいか。
しかし、この忘れ去られたような旧道は、
今から百数十年前イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが歩いた道でもあります。

明治初期会津の山の中の宿場に突如現れた西洋人。しかもブロンドの髪の女性。←想像
ビックリしたでしょうね。
そんなイザベラ・バードの残した「日本奥地紀行」にも記されている市野沢宿に
お目当ての旭小学校 市川分校はありました。

ちょっと大きいクルマだと進むのを躊躇する狭く曲がりくねった道を
ノロノロと進みながら見つけた分校跡は敷地も狭く
こじんまりとしています。
門柱にも学校名がしっかりと残っています。

校庭と呼ぶには狭すぎほとんど住宅の庭並みの狭さですが、
遊具のブランコが残っていました。
しかし、無惨にも鉄柱は真ん中からへし折れていました。

わずかに見える窓に色あせた地球儀がありました。
この学び舎から世界に出て行った人もいるかもしれません。

会津高田町は合併により現在は会津美里町になっています。
市川分校の本校だった旭小学校も現在は無くなっていて
詳しい沿革などが不明。現在調査中です。


分校近くの街道脇には説明板がありました。




錆び付いた学童注意の交通標識













減し曲がったブランコの鉄柱







わずかに見える色あせた地球儀



校舎の一部は消防関係で使われているようです

福島県 下郷町 江川小学校 小沼崎分校

2015年09月13日 13時05分37秒 | 福島の廃校
南会津の下郷町はこれまでも廃校巡りで何度も足を運んでいますが、
廃校数が多くなかなか全部を回れていません。

今回訪れた江川小学校 小沼崎分校も、
何度も近くを通っていながら未訪でした。

下調べでは1975年の航空写真と現在の航空写真に同じ様な建物が写っているので、
校舎がそのまま残っている可能性があります。

訪れると石の門柱の先にいかにも分校といった建物が見えます。
雰囲気は分校そのものですが、どうやら同じ場所に集会所を新たに建てた感じもします。
ただ、玄関周辺はそれなりに年期が入っているので、
大きく手を入れて改修したのかもしれません。

建物脇にはシーソーが分解され放置されています。

敷地内にはブランコ・ウンテイ・滑り台と遊具類は一通り残っていました。
すっかり土に埋もれた馬跳び用のタイヤが廃校からの時間の長さを表しています。
1971年の廃校から44年経っています。
石の門柱にはまだしっかりと学校名が残っていましたが、
記念碑や二宮像はありませんでした。

詳しい沿革が不明ですが統合先の江川小学校も児童数57名。
新たな統合も近いかもしれません。















福島県 天栄村 羽鳥小学校 黒沢分校

2015年09月08日 17時07分36秒 | 福島の廃校
羽鳥小学校からクルマで8分ほどでしょうか。
国道118号から1本沢筋の道に入ると、
意外にも別荘地の様なログハウスの建物もあります。
最近になって建てられた建物を過ぎると
そこにお目当ての羽鳥小学校黒沢分校がありました。

しかし、校庭だった敷地には廃材や瓦礫が山積みになっており、
何となく荒れた感じです。
道路工事に使う看板等があるので土木事務所の物置場所になっているようです。

木造平屋建ての校舎は2002年の閉校から13年経っていますが、
かなり痛んできています。

積雪地帯でもあるせいか屋根の痛みや一部倒壊している部分もあります。
倒壊した部分に小さな風呂があったので職員住宅も併設されていたのでしょうか。

ドアも開いていてウエルカム状態なのでちょっとだけ室内を拝見。
当時のポスターや本、理科の実験道具までそのまま置いてあります。
しかし、教室は大量の土木用木材や看板で埋め尽くされていました。

写真を撮って帰ろうとすると土木事務所のバンがやってきて
「この辺クマいっから一人で歩かないで」と声をかけてきました。

ん、まさか警備の網にかかってしまった?
こんな山の廃校に通報装置?

まぁ、「廃校の写真撮らせてもらってマース」で済みましたが、
タイミングが良すぎてちょっとびっくり。

校舎入口の上には鐘。閉校時にも使われていたのでしょうか。























学校近くにある明神滝


福島県 天栄村 羽鳥小学校

2015年09月07日 20時01分39秒 | 福島の廃校
福島県天栄村。
今から20数年前のスキーブームの頃、羽鳥湖スキー場には何度か足を運びました。
コブ斜面やきつい傾斜も無い初心者向けのゲレンデだった様な記憶があります。
ビール飲んで、緩斜面をゆっくり滑るぬるい感じが似合うスキー場でした。

そんなスキーもすっかりご無沙汰。最近のスキー場事情も判りませんが、
ウインタースポーツも一時ほど騒がれませんね。

そんな天栄村にある羽鳥小学校を訪れました。
天候不順のせいもありますが福島はもう秋モード。
高原のせいかススキをゆらす風は涼しさを通り越して寒いほどです。

天栄村立羽鳥小学校は明治44年湯本尋常小学校の辰目沢分教場として開校しています。
昭和39年湯本小学校辰目沢分校から独立、羽鳥小学校になります。
平成14年湯本小学校へ統合により羽鳥小学校閉校

閉校記念碑には分校時代の記述が無く昭和39年開校、平成14年閉校になっています。
37年の歴史に幕とありますが分校時代は歴史に入れないのは何か理由があるのでしょうか。
記念碑に刻された「地域住民の大きな願いであった昇格独立」の言葉にも
湯本小学校の地区への対抗心が見て取れます…。

閉校から13年、校舎をはじめ体育館、プール、遊具類が残っています。
プールは低学年用と2つもあります。山の小さな学校の割りに充実してますね。

遊具類はクマザサに覆われはじめています。あと数年で完全に藪に飲み込まれそうです。
校庭のすみにはかつて子どもたちを見守った六地蔵がありました。
お地蔵さんのまわりは草が刈り払われ、今も住民の方が大切にしているようです。

























福島県 塙町 片貝小学校

2015年09月01日 11時29分23秒 | 福島の廃校
最近まったく遠征できていませんので、昨年夏の蔵出し物件。

塙町 片貝小学校は平成24年3月31日閉校。
東日本大震災の翌年ですね。
学校跡にはモニタリングポストが設置されています。

沿革と校歌が刻まれた閉校記念碑があります。
閉校から3年ですが既に校舎は取り壊され、
体育館のみ残っています。

かっては同じ敷地に中学校もあったようですが
昭和47年塙中学校に統合されています。

昭和48年度の卒業記念碑はパンダ。
上野動物園に初めてパンダがやってきたのが、
昭和47年ですからまだ日本中がパンダブームに沸いていた頃ですね。
修学旅行で上野のパンダを見に行ったのでしょうか?

ちなみに現在日本には11頭のパンダがいるそうです。
しかも和歌山アドベンチャーワールドには8頭がいます。
意外にパンダいるんですねぇ。



門柱にはしっかり学校名が残っています。



閉校記念碑は最近建てられたのか新しくきれいです。





一段高くなったこの場所に校舎があったのでしょうか



中学校の閉校記念碑も現存



パンダが出迎えてくれました。パンダほど熱狂させた動物はいませんね。