廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

那須町 逃室小学校

2018年10月15日 10時48分55秒 | 栃木の廃校
栃木県を南北に走る一桁国道である4号線。
交通量が多い国道沿いにあるにもかかわらず、昭和47年にはすでに廃校になった逃室小学校。
読み方は「にがしむろ」。廃校記念碑の表記は「逃室」だが近くの交差点の表記は「迯室」になっています。

現在は「逃室農村公園」となっていて新しく建物もできています。
校庭跡には幾つかの遊具類がありますが、全て後から設置されたものでしょう。

広い敷地にそれを囲む木々で学校跡の雰囲気は感じますが、
当時からのものは校門横のシンボルツリーぐらいでしょうか。
廃校記念碑には沿革が刻まれているのがわずかに学校時代を偲ばせます。

逃室小学校沿革 廃校記念碑より抜粋
明治6年7月 長久寺を仮校舎として創立
明治10年  逃室小学校となり分校を有す
明治25年  小島 松沼 逃室統合 改めて夕狩 大島の分校を有す
明治33年  各分校独立
昭和16年  逃室国民学校と改称
昭和46年  朝日小学校の逃室分教室となる
昭和47年3月31日 廃校

昭和47年に元逃室小学校の分校であった夕狩小学校、そして記念碑には刻されていませんが逃室小学校千振分校と共に朝日小学校に統合されています。
また統合先の朝日小学校も2016年に閉校しています。














さくら市 金鹿小学校

2018年10月09日 18時16分11秒 | 栃木の廃校
ここしばらく廃校巡りから遠ざかっています。
8月から続いた体調不良で休日の遠出もままならず、モヤモヤとした日々が続いています。
お盆休みは蕎麦を食べに行った山奥でのクルマの故障から始まった。
今振り返るとここから負の連鎖が始まったようだ。
クルマの修理に20マンの出費でショックを受けていたところに、
3年ぶり4度目の尿管結石。
身悶えする痛みが引いたと思ったら、久々の痛風発作。
この痛風発作が長引きそろそろ1ヶ月になろうとするのにまだ足に痛みがあり
すっかり参ってしまっています。

まぁ、痛風とかはあまり同情されない病気の筆頭。
「酒の飲み過ぎじゃない」とか「贅沢病でしょ。うまいもん食べすぎじゃない」と言われるのが普通。
確かに酒も飲んでました…。ただひたすら後悔の日々です。

そんなわけで久々の廃校は蔵出し物件。
2008年に閉校になった、さくら市立金鹿小学校。
訪れると校庭はソーラーパネルに埋め尽くされています。
ここ最近の太陽光発電は大規模な自然破壊を伴うものや、
かなりずさんな計画も多く国の政策には甚だ疑問がありますが、
廃校後の校庭を利用したものも多く目にします。
ここはどうなんでしょうか。
ちなみに校舎も10月から干し芋工場として利用されることが決まったようです。





二宮像は崩れて行方不明