廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

茨城県 笠間市 上加賀田小学校

2016年09月28日 19時09分58秒 | 茨城の廃校
笠間市立上加賀田小学校

学校跡は何ともさみしげな空き地に。
門柱には笠間市立上加賀田小学校のプレートも残り、
学校跡を示す廃校記念碑もあるのですが、
郷愁を誘うノスタルジックな雰囲気はありません。

敷地のまわりには桜の木も残り学校跡の条件は揃っているのですが、
なんとなく忘れられた寂寞感があります。
遊具類もなく遺構はまったくありませんでした。
敷地もゲートボール場になるわけでもなく使われている様子はありませんが、
雑草が枯れている所を見ると除草剤が撒かれていて、
ある程度は管理されているようです。

上加賀田小学校は明治6年12月創立と近隣の小学校の中でも
創立は古そうですが記念碑類は学校跡を示す記念碑のみ。
詳しい沿革もわかりませんでした。
1982年に南山内小と本戸小の一部と統合し新たに笠間市立南小学校となっています。

笠間市の廃校跡は学校名のプレートをそのまま残す事が多いようです。



何となくさみしい感じは、除草剤によって雑層が枯れているせいかな






カーブミラーに添えられた通学路注意の看板がわずかに子供がいる事を教えてくれます。
カーブミラーは学校があった頃からのものでしょうか?

茨城県 笠間市 本戸小学校

2016年09月26日 15時40分53秒 | 茨城の廃校
茨城県 笠間市 本戸小学校

閉校から30数年が過ぎていますので
校舎等の遺構は残っていませんが、閉校記念碑等の記念碑がいくつか残っていました。
今だ門柱には学校名のプレートが残っています。
門柱の上にはクラシカルな丸い電球の照明があり、
ノスタルジックな雰囲気があります。

集会所が新たに建てられ、校庭はゲートボール場に変わっていますが、
敷地を囲む桜の木は古木の味わい。
ソメイヨシノは寿命が短く60年ほどとも言われていますが、
植えられたのはおそらく明治期。そろそろ寿命かもしれませんね。
ただ、この寿命60年説は戦後のアオハダザクラに接ぎ木されたソメイヨシノだけらしく、
明治期のソメイヨシノはヤマザクラかエドヒガンかオオシマザクラに接ぎ木されたものらしく、
寿命も100年を越えるものも多いようです。 

沿革 閉校記念碑より抜粋 笠間市立南小学校HPより抜粋
明治7年7月28日 本戸小学校創立
明治19年4月10日 本戸尋常小学校となる
明治19年11月25日 稲田尋常小学校 本戸分教場となる
明治22年7月15日 南山内村立南山内尋常小学校本戸分校となる
明治23年6月25日 南山内村立本戸尋常小学校となる
昭和16年4月1日 本戸国民学校となる
昭和30年2月11日 笠間市立本戸小学校となる
昭和57年3月31日 南山内小学校(明治7年8月創立)・上加賀田小学校(明治6年12月創立)・
来栖小学校(明治8年5月17日創立)の一部と統合し笠間市立南小学校となる

門柱には学校名が残っていました。


















サクラの季節はさぞ見応えがありそうです





茨城県 旧緒川村 小瀬第二小学校 国長分校

2016年09月23日 18時31分40秒 | 茨城の廃校
最近の園芸用の植物は本当に種類も多く名前も覚えきれません。
さまざまな新しい品種が毎年のように出てきます。
品種改良やバイオ技術のすごさにも感心しますね。

しかし、廃校巡りでお目にかかる花はみんななじみ深い花ばかり。
ここ、小瀬第二小学校国長分校跡に咲いていたのは、
最近すっかり少なくなった赤いサルビアにカンナの花。
撮影した写真はフィルムシュミレーションが狂ったのかどぎつい赤になってしまいました。

サルビアの花もカンナの花も今では人気がないのかあまり見かけませんね。
でも以前は歌のタイトルになったりと人気の花だったようです。
カンナの花と言えばユーミンの「カンナ8号線」。
ユーミン的世界観は好きではありませんが、秋のドライブソングにはいいのかもしれません。
サルビアの花も早川義男作詞でもとまろが歌っていましたね。

小瀬第二小学校国長分校
明治23年9月 小瀬尋常小学校 国長分校として開校
昭和47年12月 小瀬第二小学校に統合

閉校して40年以上経っていますので遺構はありませんでした。
緒川村の廃校記念碑のフォーマットである石柱型の廃校記念碑が残るのみです。
校舎は63年まで残っていたようですが解体後整備され公園化したようです。

現在はお決まりのゲートボール場になっています。
ゲートボールって国際的な球技なんでしょうかね?
日本の老人向けにできた競技なんでしょうか。
東京オリンピックの正式競技になればなんか面白そうですよね。
代表選手の平均年齢76歳、シルバージャパン!


茨城県では良く目にする石柱型の廃校記念碑。
このタイプは沿革が詳しくないので史料的には不満。







サルビアの花とカンナの花が印象的でした。





茨城県 旧緒川村 小瀬第二小学校

2016年09月19日 21時48分59秒 | 茨城の廃校
旧緒川村 小瀬第二小学校を訪れました。
平成元年の3月に小瀬第一小学校に統合されています。
28年が経ち、残っているのは体育館にシンボルツリー。
校舎や遊具類は残っていませんでした。

訪れた日は近所の方が草払い機で除草作業中。
定期的に管理されているおかげで荒れた感じもせず、
明るい感じの廃校跡です。

サッカーのゴールが残っていましたが、
何となく違和感があります。
よく見るとゴールネットが野菜栽培用のネットじゃないですか。
近所の方が苦瓜でも植えているのかな。

大きなシンボルツリーの下には
新たに小さな木が育ち始めていました。














茨城県 旧岩間町 岩間第一小学校 第一分校

2016年09月16日 19時57分56秒 | 茨城の廃校
久々に木造校舎が残る廃校を訪ねました。
旧岩間町の上郷地区に残る岩間第一小学校 第一分校。
体験学習の場として余生を送る分校はまだ子供達の気配が濃厚に残っていました。
ほどほどに手をかけられているせいかあまり荒れる事もなく、
程よい廃校具合です。

キバナコスモスとローラーが秋の空に映えますね。
幾分どぎつさを感じるサルビアの赤い花もこんな木造校舎なら不思議と合います。
昭和の子供はサルビアの花の蜜を吸ったりしていましたが、
今、そんな子供はさすがに見かけませんね。

廃校記念碑等は確認できませんでした。
二宮像はありませんでしたが、
ギリシャ彫刻の模型が無惨に放置されていました。


沿革概要
明治37年 岩間尋常小学校の第一分校として開校
昭和57年 第一分校閉校 本校に統合
閉校後は美術系の大学の製作の場や、体験学習の場として継続的に使われているようです。
これからも取り壊されずに残って欲しいものです。


訪れたのは9月11日。まだセミの声がうるさいのですが、
空はすでに秋空





巨人の星で言う「重いコンダラ」と校舎



閉校から30年経っていますが備品は充実しています



鳥小屋の跡



キバナコスモスと黒い校舎の壁がいい感じです











ちょっとギョッとしますね










茨城県 日立市 入四間小学校

2016年09月07日 13時15分15秒 | 茨城の廃校
茨城道の駅スタンプラリー 
目指すは道の駅日立お魚センター。
新秋刀魚にメヒカリ、ノドグロを目指してGO。

しかし、思い起こせばこの冬アンキモを大量に買って、
日本酒とのマリアージュを楽しんだのをきっかけに通風発症。
禁酒中の身には秋刀魚と炊きたてご飯が関の山か…。

国道349号から日立市内に抜ける県道55号線沿いにある集落 入四間。
ここに、少女のように優しい顔立ちの二宮がいる入四間小学校跡があるとのこと。

入四間集落は日立鉱山の製錬所から排出される煙害によって大きな被害を受けた地。
足尾銅山をはじめ明治期の富国強兵による鉱山開発とそれに伴う鉱毒や煙害は全国各地にありますが、
ここ入四間には若き指導者「関右馬允」が入四間煙害対策委員長となり、話し合いで解決することになります。
この話は新田次郎の小説『ある町の高い煙突』のモデルにもなっているようです。

また、関右馬允はドイツ製カメラで入四間の農村風景を撮影し続け貴重な写真を残しています。
在野のジャーナリストで社会活動家でもあった関右馬允、
そんな関右馬允が寄贈した優しい顔立ちの二宮像はどんな二宮でしょうか?

明るく開けた学校跡にあるのは二宮の台座のみ。
いたであろう二宮は足首から折れて本人不在。
これもやはり震災のせいと思われますが、本体はどこかに保管されているのでしょうか。
修復して欲しいものです。

二宮の台座以外には学級増の記念碑がありました。
学級増を記念した石碑はあまり見かけませんね。

当時の建物関係はいっさい残っていません。
遊具類も公園になってからのものでしょうが、それでもかなり年期が入っています。
この10年滑り台を滑って遊んだ子供はいなさそうです。

苔むしたベンチも公園にした時に設置されたもののようですが、
古代遺跡のような感じです。

残念ながら美少女二宮には会えませんでしたが、
時代の歴史を感じさせるいい感じの廃校跡でした。


門柱を入ると正面に二宮像の台座がありますが、肝心の二宮は不在









学級増の記念碑は天然の造形を活かしたもの



校庭から一段高くなった場所に遊具類がありましたが、
本来は校舎があった場所のようなので遊具は移築か新たに設置されたもののようです。









校庭は徳にゲートボール場などにはなっていないようです。
歩くと足元からバッタがバサバサと飛び出してきます。



コンクリート製のベンチも古代遺跡化してます



茨城県 旧里美村 上深萩小学校

2016年09月05日 17時52分33秒 | 茨城の廃校
8月も終わって9月。
やはりこの時期になるとラジオからはアースウインド&ファイヤーの「セプテンバー」が流れてきますね。
で、12月になると山下達郎ですよ。

廃校巡りのついでに今年から道の駅のスタンプラリーなんかを始めてしまいました。
人と言うものは何かしら集めたくなる習性があるもの。
流行りのポケモンGOしかり、御朱印集めの女子しかり…。
この手のルーツは空海プロデュースの四国八十八ヶ所巡りにあるとにらんでますが、
ポイント集めのTカードやマイル集めも同じと言えば同じかな。

そんなわけで茨城県道の駅巡りで見つけた廃校跡シリーズ。
旧里美村 上深萩小学校
明治25年12月創立
昭和48年4月 賀美小学校と統合のため閉校

道路脇の桜の木とフェンスで一目で学校跡と分かりました。
消防団の建物が新たに建てられていますが、
校庭はきれいに管理されゲートボール場として使われているようです。

入口の門柱横には地元の方が建てた上深萩小学校跡の説明看板が設置されています。
このような看板があるのは珍しいですね。
よほど地元に根付いた学校だったのでしょう。
説明板によれば閉校記念碑横の松の木は初代校長のお手植えとあります。

昭和48年の閉校ですので遊具や当時の建物関係はありませんでした。
ゲートボールの休憩用の机は当時のものかもしれません。

入る時は気づきませんでしたが門柱の下に小さなリスらしき卒業記念の作品を発見。
ラピュタに出てくるロボット兵のように、閉校後も学校跡を守っているようです。
閉校から43年目の夏。セミの鳴き声がうるさい廃校跡でした。

きちんとした説明板がある廃校跡はとても珍しい





真ん中に見える松の木が初代校長のお手植えの松







ゲートボール場の休憩用の机は当時のものかもしれません





門柱関係の建築年も判読可能




門柱下に佇んでいたリス? ウサギ? ずっと廃校跡を守っているようです。



夏草に飲み込まれる机