廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

大子町 旧上岡小学校

2013年08月29日 19時10分46秒 | 茨城の廃校
今回は茨城県でも超メジャーな廃校。
管理者も常駐し公開されています。
フィルムコミッションに登録されていますので、
映画やCM、ドラマのロケでよく利用されたいます。
NHKの朝の連ドラ「おひさま」のロケで使われてから、
訪問者が飛躍的に増えたそうです。
大河ドラマのロケ地とかもそうですが、
テレビの影響ってまだまだあるんですねぇ。

明治12年4月20日に創立。平成13年3月31日に廃校。
10年前まで現役、しかも校舎は明治期のもの。
ちょっと歪んだ板ガラスの窓の反射光がノスタルジック。
でも、道徳の時間とかは、携帯電話の使い方とかインターネットの正しい使い方とかやってたんでしょうね。

本当にきれいに管理されているので、ちょっとテーマパークっぽさが玉にキズ。
まぁ、たまにはこんな廃校も良いでしょう。

カメラ女子っぽい娘が写真撮ってました、
当然カメラはオリンパス…。
みんな良いカメラ持ってんなー。













旧喜連川町 鷲宿小学校

2013年08月27日 19時13分39秒 | 栃木の廃校
地方の中小の自治体では今、急速に統廃合が進み学校が少なくなっている。
小さな町では小学校が2校に中学校が1校とかざらにある。

昔の地形図を広げてみると、学校の地図記号「文」は
それこそひとつの集落ごとにたくさん見つけられる。
もちろん全ての学校に子どもたちがたくさんいたわけではないが、
地域の教育・文化の発信や地域のコミュニティの中心であったことは間違いない。

現在、廃校になった学校跡は地元の集会所や、
コミュニティセンターになっていることが多い。
校庭はゲートボール上に転用されていたりするが、
正直、活気は失われている。

ここ旧喜連川町 鷲宿小学校も市町村合併後の2010年に廃校。
同じ年、合併後のさくら市では河戸小学校、金鹿小学校、穂積小学校の4校が廃校になり
さくら市立喜連川小学校に統合されました。

そして、長年地元に根付いていた、学校を中心とした地域コミュニティは失われ、
子どもたちはスクールバスで一カ所に集められる。

もちろんクラスメイトが5人しかいない学校より
たくさんの友達と学べることは良いことかもしれないが…。

鷲宿小学校の校舎や体育館は新しくモダン。
正直、もったいないと思いますよ。



平屋建ての校舎はすぐにでも美術館に転用できそうなモダンなデザインだ。








旧南那須町 曲畑小学校

2013年08月26日 13時26分45秒 | 栃木の廃校
青空にカンナの赤い花が鮮やかなコントラストを見せる曲畑小学校跡。

カンナの花の旬っていつなんでしょうね、
夏空の下で暑苦しく咲いていると思えば、
もう霜が降りそうな晩秋の道路沿いでも咲いていたり…。

開花から花吹雪として散るまでわずか10日。
散り際の美しさを美徳とする日本人には今ひとつ馴染まない花なのかな。

でも、こんな田舎の学舎には実にあっています。

お盆休みの学校跡はアブラゼミの声がうるさいほど。
校舎はサイディングで覆われていますが、
ほぼ廃校時の姿が残っています。


創立明治33年11月8日
廃校昭和49年3月31日













旧上河内町 東小学校上小倉分校

2013年08月21日 16時05分45秒 | 栃木の廃校
田園地帯のど真ん中、まわりは180度田んぼ。
春にはカエルの声がうるさそうだし、
秋にはおびただしい赤とんぼが飛びそうです。

1998年の廃校は、分校にしては最近までがんばってたと言って良いでしょう。
すぐ近くを高速道路と新幹線が走っていますが、
佇まいは昭和の分校。
校舎の大きさから見ると複式学級でしょう。

優しい校長先生に、クラスの担当は堀北真希みたいな「おなごせんせい」。
古き良き昭和の分校。

















旧喜連川町 喜連川小学校早乙女分校

2013年08月16日 14時56分10秒 | 栃木の廃校
お暑い中ご苦労様です。
思わずねぎらいの言葉をかけてあげたくなる二宮像がいる喜連川小学校早乙女分校。

1963年の廃校から半世紀。
遊具は当時のものではないでしょうが、
立派な門柱が当時の面影を残しています。

いい雰囲気の校門


熱中症の心配をしてしまいますね


近所にはブランコで遊ぶ小さな子供はいなそうです


元校舎はだいぶ手が入っていますが現在も公民館として利用されているようです







旧南那須町 森田小学校

2013年08月15日 15時59分17秒 | 栃木の廃校
とにかく猛暑です。
こんな日はエアコンが効いた部屋で冷たいモヒートでも飲みながら
けだるいボサノバでも聴いているのが正解でしょ。
 
そんな酷暑の中、那珂川で鮎でも食べようと出掛けた途中で見つけた旧南那須森田小学校。
旧南那須町は廃校後の活用マニュアルがあったかのように、
廃校後は公民館やコミュニティセンターになって生き続けている。
ちなみに廃校記念の石碑もどこも同じフォーマットです。
自治体が廃校に慣れてる感があります。

そんな、殺人的暑さの中で、学校を守っているかのような猫が、
面倒くさそうに出迎えてくれました。
1974年3月廃校。既に40年近い歳月が過ぎている割に、
当時の面影が色濃く残っています。

昭和47年卒業生の記念の煉瓦を焼いたものが残ってます。
現在53歳ぐらいでしょうか。
みんな、おじちゃん、おばちゃんですね。

近づいてもまったく動じないネコ















茨城県 大子町 西金小学校

2013年08月12日 13時59分13秒 | 茨城の廃校
茨城県大子町は日本三大瀑布の一つ袋田の滝で有名、
最近では久慈地鶏のブランド化にも成功しているようですよ。

そんな大子町の山間を蛇行する久慈川に沿って、
ローカル線の水郡線と国道119号線が絡み合うように走る。

130年を超える歴史を持つ、総二階建ての木造校舎の西金小学校。
明治5年8月5日創立。平成17年3月31日廃校。

廃校後も手入れされ、美しさを保っています。
大子町の廃校活用は全国でも特筆されるものですが、
ここも、しっかりと活用されているようです。

夏空に、うるさいほどの蝉の声。















南会津下郷町 南小学校

2013年08月08日 12時23分55秒 | 福島の廃校
2012年の秋。
たまたま訪れた下郷町立南小学校はまさに解体されているところ。

廊下にはまだ子どもたちが描いた絵が飾ってありました。
ユンボによって壊されてゆく姿はやはりちょっと痛々しい感じがします。

1963年旭田小学校音金分校から独立、2005年廃校
ここ、下郷町では2005年に7カ所の小学校・分校が廃止されています。











南小学校前のバス停留所。まだ1日に2便バスが来ているようです。

矢板市 新高原小中学校

2013年08月06日 17時38分54秒 | 栃木の廃校
栃木県北部の高原山。山登りやタラの芽採りなどで幾度と足を運んでいるが、
林道沿いに廃校があったのは最近まで知りませんでした。

県道宇都宮藤原線から県民の森方面に曲がってすぐ、
林道沿いのスクールゾーンの標識が朽ちかけてます。
まわりにはこれといった集落はないので、
こんなとろろに学校後があるなんてまず思いません。

校舎は取り壊され、門柱と廃校記念の石碑、校庭を取り巻いていた桜の木、
それに、唯一廃校当時のものであろうサッカーのゴールの残骸が残るのみ。

昭和23年泉村長井小学校新高原分校として開校。
その後、中学校を併設。新高原小中学校となる。
閉校は昭和50年。閉校時、中学生12名、小学生4名。教職員15名。
生徒と先生の人数がほぼ同じですね。

数年前までは木造校舎が残っていたようですが、
今は、真新しい森林組合の建物が建っています。



林業従事者や高原山開拓者の子どもたちが通っていたのでしょうか。


校歌が刻まれていますが、覚えている方はいるのかな。


小学生用のサッカーゴール? ハンドボール用かも。


春になればサクラは咲く…。


校庭にウツボ草が咲いていました。


この林道をランドセルを背負った子どもが通学していた証拠

旧馬頭町 和見小学校

2013年08月05日 10時39分52秒 | 栃木の廃校
思いがけずに木造校舎を見つけるとうれしくなる。
ここ旧馬頭町の和見小学校も偶然通りがかって見つけた。

2008年に廃校になったのは知っていたのだが、
最近の廃校なので校舎も鉄筋コンクリート造りと思ってノーチェック。

日本の山里の風景100選があったら間違いなく選ばれそうな、
のんびりとした田園風景の中にある木造平屋建ての校舎。

創立は明治8年。校舎は大正時代の建築のようだ。
廃校から5年、まだ子どもたちのぬくもりが残る教室は絵が飾られたまま…。

体育館もプールもないけどこんな風景で学べるのは幸せ。
夏空にセミの声がうるさい 2013年8月3日