gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史

▲「帝国軍人」は今と同じ普通の人だった(『私は貝になりたい』)

▼「帝国軍人」は今と同じ普通の人だった(『私は貝になりたい』
中村獅童主演のドラマによると、一九四〇年に陸軍に召集された加藤哲太郎は「終戦」当時、外国語が得意ということで、新潟で俘虜収容所の所長をしていた。玉音放送から数箇月前、逃亡を図った捕虜が処刑された。その処刑のとき、哲太郎はいなかったようだが、哲太郎は戦争が終わって部下が罰せられることを予想し、自分が罪を背負って逃走。所長なら部下の罪を背負うのは当然で、時津風邪部屋の元親方やオウムの麻原も見習うべきである。
世間で言われる「無条件降伏」とは誤解であり、実際は「有条件降伏」だった。俘虜収容所関係者はBC級戦犯として裁かれることとなった。それは『戦場のメリークリスマス』でも同様である。

「終戦」から三年、哲太郎は逮捕された。
一九四八年師走から始まった軍事法廷で、哲太郎は絞首刑を宣告された。家族は必死に助命嘆願の運動をするが、急速に進む戦後復興の中、その声はかき消されていったらしい。つまり、一九四五年八月十五日は戦闘行為の終結であり、その後の軍事法廷こそ日本の戦争の正念場であった。ところが日本の大衆は、日本の政府と軍が負けると、途端に責任を放り出して復興に夢中になり、元軍人の名誉を守ること、戦争の功罪の検証、反省などすっかり無視してしまった。家族がマッカーサーに直訴、加藤哲太郎は終身刑に減刑、すぐに禁固三十年となり、一九五八年出所(Wikipedia「加藤哲太郎」より)。

フランキー堺主演の『私は貝になりたい』では、同じ境遇の主人公・清水豊松が絞首刑となり、「生まれ変わるなら、私は貝になりたい」のことばで終わる。このテレビ版が放送されたのが一九五八年だったらしい。
もし、日本軍人が本当の帝国軍人、言い換えれば軍国主義者であるなら、国が負けた時点で自分たちが処刑されることは覚悟の上であるはずだ。むしろ、自分が裁かれる法廷の場で、パール判事と同様、勝者による裁判の問題点、さらに歴史上、アングロ・サクソンが重ねた罪を並べ、日本の戦争の正当性を後世に残すため、ことばで戦ったはずだ。そして、多くの戦友、戦争指導者とともに靖国に祭られるなら本望と、処分を受け入れたはずである。

実際の日本兵士が、「敗戦」のあとに弱腰になって、「自分の意思ではない、上官の命令だ」などと、元時津風邪部屋力士のようなことを言うとことから見て、日本軍人は対して皇民化教育に影響されていなかったわけで、半世紀以上前も今の人と同じ意識を持っていたことがわかる。
つまり、第二次大戦当時、「日本軍国主義」という得体の知れぬ化け物がいて、人々があやつられたような歴史観は、余り正しくない。命令にしたがった結果、あとで上司と部下の責任問題になるのは、最近の食品の賞味期限や生産地の改竄でもあったと想う。
江戸時代の奉行を主役にした時代劇では、白州で犯罪の首謀者が「子分たちが勝手にやった」と言い、子分は「親分の命令で」と開き直る場面が多かった。もし、逆に首謀者が「子分のしたことについては全部、俺の責任」と言い、子分が「あっしらがしたことで」と言えば、むしろ、評価は違っただろう。残念ながら現代の裁判制度では、辯護士という者たちの入れ智慧もあり、被告とされた者がいかに罪を逃れるかが法廷戦略となっている。相撲部屋の事件、食品の安全性での関係者の「ひとごと」のような態度は、すべて、辯護士、法律が支配する社会での、法廷を意識した戦略であろう。
沖縄の集団自決に関しても、日本軍人は軍服を着せられた市民にすぎない。「終戦」から六十年たっても自殺の強制は「無理心中」という言い方で、半ば、正当化されている。戦争や軍隊だから悪いという問題ではない。
沖縄でアメリカ兵(つまり、昨今、はやりのことばでいうヤンキー)がやっている犯罪も、アメリカ人が民間人だとしても、アメリカ人でなくて中国人や朝鮮人でも、不心得者が同じ罪を犯していた可能性がある。では、どう防衛するか、それが重要である。

極東軍事裁判、戦犯になった日本人に関しては『東京裁判』『プライド・運命の瞬間(とき)』『明日への遺言』、『私は貝になりたい』がある。『明日への遺言』は米兵を処刑した部下の罪を背負って信念を貫いた中将の話。『私は貝になりたい』の元兵士がこの中将の部下だったらどうだったか。
『はだしのゲン』によると、戦時中、日本兵がアメリカの捕虜の病気を灸でなおし、米兵は「東洋の医学はすばらしい」と魚炉込んだが、「終戦」後、その日本兵は助けたはずの米兵から「火あぶりの虐待を受けた」と言われて、裁判にかけられた。また、別の日本兵は、米兵が腹をすかせていたのでゴボウを食べさせたが、「終戦」後に「木の根を食べさせられてひどい目に遭った」と批判されたらしい。
これは「アメリカの正義」の一面性であるとともに、「法廷」なるものの欺瞞をしめしている。法を守らない者や、裁判所の決定にしたがわない者が今でも多いのは当然。ガリレオ裁判は三百年かかったし、江戸時代には国外から帰国することも違法、昭和の初めは戦争に反対することも違法だった。裏を返せば戦争の禁止を「憲法」という紙切れで決めたところで、そんなもの、実効性はないということだ。

一九四五年八月十七日、占守島(しゅむしゅたう)をソ連軍が攻撃。双方で数千名が犠牲となった。戦争は八月十五日以降も続いていた。今でも続いていると想ったほうがいい。
日本の戦争は邪馬台国やヤマトタケルノミコト(日本武尊)の時代から列島内部での戦争があり、大陸では秦による周辺国への「侵略」と、魏・呉・蜀三国の戦争、新羅が百済と高句麗を「侵略」した国際情勢もあり、白村江、蒙古襲来、日本列島内部の相互「侵略」=「国盗り合戦」を経て、大航海時代に朝鮮への派兵に發展。これは頓挫したが、日本も琉球と蝦夷を「侵略」して併合。欧洲での魔女狩りや宗教裁判など、キリスト教会の脅威の中で日本はキリシタンを弾圧して鎖国。そして、18世紀にはロシアとアングロ・サクソン、スペイン系民族が欧洲から地球を半周して太平洋近辺に接近。アメリカ大陸や豪州の先住民族も虐殺され、国土を奪われた。
アヘン戦争から黒船、薩英戦争、日清、日露、第一次・第二次大戦、東西冷戦、沖縄の反米運動は、ロシアとアングロ・サクソンの脅威の中で日本が右往左往した結果である。

Y!Blog
『私は貝になりたい』【作品】
2008年9月14日 [1]

フランキー堺主演
中村獅童主演
中居正広主演

前後一覧
2008年2/28(真珠湾~東京大空襲~沖縄戦~原爆~「終戦」~東京裁判)
2008年2/28(東京裁判~星飛雄馬の高校時代、プロ入団)

関連語句
東京裁判 私は貝になりたい
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「昭和初期」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事