ももママの心のblog

猫が大好き。有料老人ホームで生活相談員をしています。映画が好きだけど、なかなか見られません。

辛い経験を踏まえて(NHKスペ・阪神淡路大震災 秘められた決断)

2009-01-18 | その他テレビ番組
阪神淡路大震災は平成7年。あの時、不幸にしてなくなられた方にとってはもう14回忌ということでしょうか?早いものですね。

私は関西には友達や親戚が少なく、具体的に被災した知り合いはまったくありません。なので、報道された情報しかなくて関心はあったけれど、今ほど情報化が密になっていなかったし、知らなかったこともたくさんあります。

NHKスペシャルで「阪神淡路大震災 秘められた決断」というタイトルで興味深い特集をやっていました。

>富士常葉大学や京都大学の防災専門家からなる研究グループは、阪神・淡路大震災で被災者の救援や支援を担った神戸市職員150人余りから当時の対応について聞き取り調査を行ってきた。災害に直面した当事者に対して詳細な聞き取りを行い、その言葉から教訓を導き出す「災害エスノグラフィー」と呼ばれる研究である。

たまたまその日の当直だった長田区の消防署員、遺体対応にあたった市の職員、避難所で住民対応をした職員・・・。今でも苦悩のため顔をゆがめ、涙を流して当時のことを語る彼らの様子を見ていると、未曾有の災害に対するノウハウがない中、混乱と緊迫の現場をただ、ただ想像するだけでした。

同時多発火災に対して組織的な対応ができなかったため、消防士として「逃げるな」と罵声を浴びたその人は、今でも悔やんでいるようでした。消火活動中に怒鳴られることは時々あるそうですが、「逃げることはないから」と、辛そうな表情をしていました。閉じ込められた人の救出をしていると消火活動が後回しになり、さらに延焼が広がってしまうのです。それは更なる被害者を増やすことになるわけで、鎮火のために集中し、閉じ込められた人の救出はやむを得ず断ることになったのです。どんなにか、無念だったと思います。

遺体安置所になった体育館にその職員さんが来たときには、すでに300人以上ものご遺体がすでにあり、毛布に包まれていただけだったそうです。災害の時には「○日以内に火葬すること」との文言があるだけで、彼はドライアイスの入手方法も分からなかったといいます。ご遺体の腐敗を心配して「野焼き」をしてくれと遺族の方から言われます。でも、「辛い思いをして亡くなった方が、どうしてまた人目にさらされて辛い野焼きをされなければならないのか」「きちんと弔うことによって、ご遺族は新しく踏み出していけるのだ」と彼の上司である市の担当者は反対します。正しい考えではありますよね。しかし、実際的にひたすら謝り続けるしかないのが現場です。
担当者は、棺おけを組み立て、野の花を摘んでご遺体に供えたとのこと。それしかできなかったと・・・。厚生省では多量の死者が出た時点で伊勢湾台風のときの事例に即して「野焼き」が想定され、場所や人員の確保まで考えられていたとの事。そこまで事態は逼迫していたのです。しかし、神戸市は野焼きを行いませんでした。冬だったことも幸いし、近隣の火葬場で順次対応して行ったのです。しかし、最終的に火葬が終わったのは3週間後だったとの事。想像を絶する状況があったと考え、担当者のご苦労は計り知れません。

避難所での食べ物に絡む騒動も、想像以上でした。初日にはお米屋さんに頼み込んでお米を調達。炊き出しを行うけれど、数が絶対的に足りず「みなさんで分け合って」と言って手渡しても若い人が後ろから来て「盗って言った」と言います。殺伐としていたのでしょうね。また、翌日は乾パンが大量にあったのですが、一部の人が何回も並んだため行き渡らぬ人が出て「失敗でした」とのこと。4日目から避難場所の教室や廊下ごとにリーダーを選出し、行政側だけで対応するだけではなく、自治を取り入れることにしたとのことです。担当職員さんの知恵もあったのでしょうが、これで避難所の最後まで無事に乗り切ることができたそうです。担当者さんは「中央区の奇跡です」とさえ、言っています。

大災害の時にエゴが出るのは自然かもしれません。不安から攻撃的になったり、トラブルも続出でしょう。こうやってアンケート、インタビューに答えている職員さん自身も被災者であり、自分の家族をさておいても災害対応に身をささげてくださったと思います。この経験をいつかある、次の「未曾有の災害時」に生かせたらよいなあと思います。この「災害エスノグラフィー」という新しい分野の研究に希望を託します。

番組のHPは以下です。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/090117.html

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