広島、長崎で二重被爆したという数奇な体験をした山口彊(つとむ)さんが死去との報道。享年九十三。自伝を出版当時(二〇〇七年)に読んだのだが、書棚からひっぱりだして改めて目を通してみた。
山口さんは長崎の比較的裕福な家庭に生まれ、旧制瓊浦(けいほ)中学に通っていたが、家業の没落により上級学校への進学を断念。卒業後は三菱造船に入社し、製図工として働くことになる。筋が通らなければ先輩であろうと喧嘩も辞さないというかなり激しい性格だったらしいが、一方で趣味として英語の勉強と短歌に精を出していたというから面白い。
(ちなみに昭和十五年の時点で旧制中学への進学率は七パーセントに過ぎず、現在の大学進学率(約五十パーセント!)に比べても圧倒的に低い。いわゆるエリート候補生の一人だったわけである。)
長崎の三菱造船に勤務中、広島に長期出張を命ぜられ、明日長崎に帰るという日に被爆。重傷を負いながらようやくたどり着いた長崎で再び被爆。二重被爆者は少なくとも一六〇人確認されているそうだが、なんとまあ、数奇というほかない。
戦後は英語を生かして米軍の通訳をしたり(スパイにも勧誘されたらしい)、中学の英語教師をしたりしていたが、結局は造船所へ技師として職場復帰することになる。こうしたなりゆきを「ローリングストーンな人生」と表現しているのもなかなか味がある。
原爆体験について積極的に語ることを避けてきた山口さんが考え方を変えたのは、二〇〇五年に息子さんをガンで亡くしてからだそうである。つまり、九十を超えてからということになる。二〇〇六年には初めてパスポートを取得し、ニューヨークの国連本部やコロンビア大学で講演をおこなっている。
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『生かされている命 - 広島・長崎 「二重被爆者」、90歳からの証言』(講談社、二〇〇七年)
『ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆』(朝日文庫、二〇〇九年)
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ローリングストーンか……
ご冥福をお祈りします。合掌。