ホワイトの紫陽花日記~ありのままの自分で

難病(PD)あります。症状も人生も十人十色。肩の力抜いて深呼吸・・・喜びも悲しみも、ありのままの日々の生活を綴ります。

パーキンソン病とDBS

2022-11-13 11:08:09 | 日記

                 DBS後半年過ぎた!思い出した冊子!

 

 私はパーキンソン病になり16年目です。45歳でパーキンソン病と診断されるまで1年半かかり、診断された時「10年早かったね」とDrから言われて落ち込みました。当時PD患者は自分が働いていた病棟に入院してきましたがさほど関心をあったわけでなく神経難病の一つ最期が大変であるということを記憶している。また、マハメドアリさんの10年前くらいだろかオリンピックの燈火台に火はなったその姿はパーキンソン病特有だった。

皆さんの中にも震える、足を引きずるが治らない神経内科を受診してみてください。パーキンソン病に関して難病センターで鑑別し、早期発見、早期治療が可能になって来てます。症状が進行していないとそれだけ症状が軽くてすみます。

でも当時の私にとってこの病気を受け入れるのはそうたやすいものではありませんでした。2年間仕事を辞めてから閉じこもり、何もする気力がわきませんでした。ふと手にしたのが友の会が企画した医療講演会に行った時もらった冊子で村田美穂Drが編集されたⅢパーキンソン病のリハビリテーションこの冊子は自宅できる運動と飲み込み・言語の運動をわかりやすく書いてありました。今にも通じる内容で目から鱗が落ちる思いです。Ⅳ、自宅での介護の要点1.住宅改修と整備2.看護の立場から3.社会支援  友の会について 制度の利用については事細かに患者の立場でわかりやすい文章で書いてあります。大日本住友製薬で2012年にだされたものでした。この2冊は私のバイブル的な冊子で何回も読みパーキンソン病を学びました。パーキンソン病は個人で経過と症状はそれぞれ違います。でも〖自分で決める〗という大切さとリハビリの大事さを感じました。

DBSで思う事はDBSに過大な期待を持ちすぎないことであり、近年DBSブームではあるが、パーキンソン病の治療法の最終手段でないということを肝に銘じておくのが必要です。電圧と薬の調整は1年はかかるといいます。その後も調整一年ごとかかります。DBSをやると決めたのは自分。成功したとか失敗したとかいう前に、自分で決めて考え行動したらどんな生き方でも尊いものであると思います。色々あり違ったそれぞれの生き方が自分らしく、その人らしさだと思う。


頑張りすぎず頑張る

2022-10-05 16:31:01 | 日記

頑張りすぎず頑張る

 

悪いところの方が多いから

いいところを

言ってみる

なかなか勇気がいります

くよくよするな失敗してもいいんだよ

60歳でPD歴16年目

開き直っていいんだよね

それが今の自分

いいかっこ見せなくても

皆優しい

背筋だけは凛として

頑張りすぎず頑張る

 

 

byホワイト

 


DBSのその後

2022-09-06 14:29:42 | 日記

私は四月に局所麻酔でDBS(脳深部刺激療法)を受け1週間後全身麻酔で送信機の植え込みを受けました。術後20日一旦退院しました。主治医から段々動きが悪くなるからその時我慢できなくなったら、早めに入院しても良いからと言われてました。1か月は電圧効果ががあり電圧を入れなくても過ごすことができました。やはり1ヶ月近くして切れたように体うまくいかず1週間早い入院となりました。DBSをしてよかったと思うことはオフの落差を改善することができたこと。offのための寝こみが減り体調管理がしやすくなりました。一番は心の安定だと思います。イライラが減りました。offgが減った分体が自由になりました。車の運転に挑戦したい!車の運転の練習を始めました。車庫入れだけがうまくいきません。4,5回切り返し収まります。中古車なんですがそれで上等!十分に気にいってます。電圧調整入院予定は2,3週間になります。入院中一番楽しかったのは、OT、PTのセラピストが施行するリハビリテーションでした。電圧を入れれば薬はおのずと半減する。一番効くエルードバ製剤6錠から3錠に減小声またひどくなり、言葉が出にくいこと。会話中で言葉が出て来ない。自分にとってはとっても落ち込みました。自律神経障害の症状が明瞭に感じる。いいことと悪いことがなんとも言えず、周りの人から手術DBSをしてよかったでしょうと先に言われてしまうと実はこのようなこともあるのよと言いずらくなる。DBSをしてよかった。自由な時間が増えた。この貴重な時間を大事に使おう。私にかかわってくれた人達のためにも・・・・・。

 

 

 


言葉が出ない~メンタルに与える影響

2022-08-19 14:45:27 | 日記

DBSの電圧を自分の体に合うように調整していくまで一週間かかった。その後なんとなく言葉が出ない!

自分にとっては予測していたものが著名に感じる。それが私には落ち込みになってしまったのです。

おしゃべりが途中で切れるなんて、そして棒読みしやべりで会話が盛り上がることができない。悲しくてやりきれない!

副作用になるのかなはっきりしませんがDBS後5~10パーセント言語障害が起きることが報告されている。

私もその中ひとりなんだなぁ・・・・・・。

退院後の生活は病院入院中と全然違うこと。身体を動かしているが、思っているほどエネルギーを使うこと。緊張感出る

電圧は現在270という数値で周波数半分にした。

私は負けない、そして自分は申し訳ない!ことをしてしまいました。悲しくて涙が出る。私はいっぱい流した涙を忘れまい・・・

落ち込んでばかりいられない。メンタルを上げていくぞ!好きなものをドン、ドンやっていこう。

会話が止まったら笑ってしまえば言いたいことばが出てくる。言語聴覚士の方から会話するコツを聞いた。意識してトーン

高めに声を出す、食事の前にベロの体操、聞いてくれる人にあらかじめ言葉出にくいことを言っておく。リラックスしてのコミュニケーション

を心掛ける。

自分に負けないように向き合う!希望をいつでも持とう!諦めたくないものは諦めない!

 


のこしておきたいものだと

2022-08-10 05:26:16 | 日記

DBS術後がどうだからなんて言っていたけど、誰かからブログ止めないでほしいと言われたかった。自分のブログだもの。

何かいても自由である。この間のことDBSだけにたよってしまっていけないし、最終手段でないということ、非運動症状はのこる。私は

DBSやる前の症状としてあったのはオンとオフの落差、睡眠障害、頻尿 軽度構音障害、小刻み歩行たまにジストニア筋固縮でした。

DBS術後改善見られたのはオンとオフの落差がなくなった、眠れるようになった、小刻み歩行がなくなった。offの沈み込みがないということが一

番であると思います。これからもどこをみていけばいいのでしょうか。私は希望を捨てないことだ思う。いいこと、悪いことも来るだろう。月並み

だがこれでも向き合いあるいてきた、どこまでも歩いていたい、しっかりと……