ブログ早春賦節

ロード&萌えソング普及促進委員会♬自転車に乗りつつ『モエリア』blogコミック再構築を模索中

ロードバイク始める

2017年12月26日 | 日記

年甲斐もなくだがロードバイクを始める予定
実は弟の遺品の中にコレがあって処分も、もったいないので自分が乗ろうと思う

十年以上、前になるが、弟が乗っていた(レースにも出ていた)のだが
ここ数年はマラソンにシフトていた様で土蔵の中に、乱雑に埃塗れで放置されていた
しかも数台、、、もったいない、、、本当、片付けられないヤツだった

出して拭いてみると、まったく壊れてないみたいだし

ただ、いろいろとまったく分からず、、、、ディスプレイスタンド?とかのはずし方も、、、
タイヤの空気が抜けてたので、それダケは何とかしないと乗れなかったので
(道具は揃っていたが誇埃塗れな上、どれを使えばいいかもわからず)四苦八苦しながら
何とか入れた、、、一応、乗れる状態になり、ちょっと乗ってみた

【十年以上前のモノだけど、ど素人の自分には十分、よくわからんけどカッコイイじゃん】

コレは、たぶんシクロクロスってやつだと思う(違う?)
この他に
ロードレーサータイプのも、まだ、土蔵に埋もれていて、発掘中

乗ってみるとなかなか快適で凄く楽しい、、、弟と走りたかったが
「乗らないなら、俺が乗ろうと思うから出して、教えて、、」と弟に振った事もあったが
土蔵から出して磨くのがイヤなのか?ノッテこなかった、、、

もともと、父の車の駐車場に放置していたモノを、邪魔だから、父が片付けろと言っていたが
何度言っても、弟は無視、、、
結果、父が土蔵に放り込んで、そのままになってしまっていたモノだ
(まったく、全てが万事、この調子、、、実家は何処も物品を乱雑に積み上げた倉庫状態、、、)

タイヤが外されているモノもあり、どう組むのか???未だ分からず、、、、、
片付けが一段落したら、調べて復活させてやりたいと思うが、片付けが大変で

いつになるやら、、、




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追悼記3~帰省の憂鬱~

2017年12月25日 | 追悼記

躁鬱病で掃除をしない弟には、本当に呆れていた、ソレを許している父にもだ、
会いたくもなかった

下らない決意だが「弟が実家のトイレ掃除をするまでは、もう帰省はしない」と、自分は
何度も誓ったものだが


それでも毎年、1~2度(一~二週間)自分は実家に帰省した
決意は、悉く反故にして、、、「甘い、甘すぎる」と、思いつつ特急あづさ号に乗車した

 

帰省の都度、実家の様子に愕然とし虫唾が走った、まず、やはりなのだが掃除ができてないのだ

決して自分が特にキレイ好きという訳ではない、寧ろズボラな方だろう
東京で暮すマンションだって褒められるほど整理整頓ができている訳ではない、、、

だが、その自分が見ても明らかに不快に思う惨状なのだ

実家で暮らしていた頃は気づかなかったが、母も決して整理整頓が得意な方ではない
一応、食器とか整理はしてくれていたが、ただ包装し棚に積むだけなので奥に入ってしまった物は、
それっきり使わなくなる、、、、

また、空きスペースに何か置きたい、飾りたいとうい衝動があったのか?さして必要とは思えない
棚や箪笥を多々購入し、その中に詰め込むのだ
そのため、どの部屋も物が多く雑然としていた

その母が、掃除、炊事、洗濯など一手に引き受けてくれていたが、高齢化も伴い、より一層、
積極的に家のトコを切り盛りするのは厳しくなっていた

掃除などは、トイレの便器を少し磨く程度で掃除機などを利用しての掃除はしておらず
埃だらけだった

 


結局、トイレ掃除等、自分がヤルしかないのだが、、、何か釈然としなかった

言っておくがココは、既に自分の家では無いのだ、、、父もはっきり
「弟に結婚して貰って、この家を継いでもらうがいいか?将来的には君には家を出てもらうが、、」
自分は勿論、了解していたし、寧ろ、「出てもらう」も何も、自分は東京に在住していて
既にココには年に一、二度、来るだけなのに何を言っているのか?と、、、

「ソレは俺ではなく弟に言って、自覚してもらう事では?」と父には言ったものだ

後にだが、父にソノ件で確認を、取ったところ「そんな事、言ったか?」とか、、、呆れる、、

どもまでも責任の所在を曖昧にしておきたい公務員の癖なのか???民間では考えられない
愚考である


そんな状況だったので
「何で年に数回来るだけの一番使用回数が少ない俺が一番掃除するんだ?」と頭にきていたため
弟の自覚を促す意味でもあえて必要最小限の掃除しかしなかった、
自分が使わせてもらう、部屋、トイレ、風呂場、は当然自分がやったが他はあえて放置した

風呂場には、使い終わった剃刀が十数本あった、勿論、自分が使った物ではない、
あえて放置してみたが、何時、帰省しても、ソレはそのまま残っていた、、、結局
数十年、ソレは片付く事はなかった、、、、
(弟が癌と診断された後、ヘルパーさんに入ってもらって片付けたありさまだった)


食事も自分がスーパーに買出しに行ったが、その際、必ず両親が弟の食事の心配をした
「弟の朝食の食パンも買ってきてやってくれ、、、」と


呆れた「買ってくるのは構わないが、なら弟が自分で俺に頼め」と
弟に頼まれてもいないのに、弟の思いを尊宅して気を利かせているつもりなのだろう

まるでペットだ

仕事から帰った弟に八十歳近い父が言う「洗濯物あったら出せ、洗っておくから」

寒気がした

弟は、その両親の優しさを(恐らくストレスと感じながらも)唯々諾々と受け入れていた
自分には理解できなかった

 


弟は、病気【双極性躁鬱病】と言うが、身体は元気そのものなのだ
週末は、趣味の競技用自転車やマラソンに汗を流す日々だった、それは素晴らしい事なのだが

「ソノ前に、自分の日常の炊事、掃除、洗濯くらい自分でやれ!」

実家に帰ると弟に対して思う事はいつもコレだった、

また、それを教え、諭そうともしない父への憤りも実家に帰ると自分の中に噴出したが
それは、ぶちまける事なく止めてしまった
ぶちまける前に、東京に戻るのだった、、、戻る際は、開放された気分で本当に清清しかった

父か自分が本気で、弟のこの状況(躁鬱病)に向き合わなければいけなかったのだが、、、
自分も父も結局、逃げ回ってしまった

 

もう十五~十六年程、前の話だ
母が(弟について)自分に言ったのだが「家の事を何もしなくて困る、これでは同居できない」と
最初は何を言っているのかよくわからなっかたが、後に理解した

弟が大学生時代、横浜戸塚のマンションで自分と弟は同居していたが、問題はなかったからだ
もっとも自分が週四~五日の住み込みでアシスタントに行ってたし、家事は分担させたし、
弟の世話なんて(風邪にでも掛かって寝込んで)頼まれでもしない限り自分はしないので
弟は自分でヤルしかなかったのだが


だが、実家では違った、日常生活の大半は放置しておけば必ず両親がやってくれる事情もあり
掃除、ごみ捨て、洗濯等、日常のことをまったくしないのだと理解した…特に掃除は深刻だった

 

自分も偉そうな事を言えた状況ではなかったが、それでも、弟の実家での暮らしはこれでいいのか?と
今、思えば日々どこかで気にしていたと思う、、、、が、
「自分に心配される様では終わりだ、弟が自分で何とかするだろ」と言い訳し、
具体的な行動には移さなかった


両親はひたすら庇い保護するだけで、答えを出そうとしない、いや、ソレが両親の答えだったのか?
自分にはまったく答えになってない様に思えて歯がゆかった、、、、

同じ事の繰り返しの日々だけが過ぎ去っていった


そうこうしている内に母に認知症の徴候が現れ始めた                 つづく

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追悼記2~掃除ができない?~

2017年12月23日 | 追悼記

弟の躁鬱病に関して(特に掃除をしない件)は、本当に答えがなかった

弟がガンと診断された後の事になるが、弟が掛かっていた精神科の診察に一度同席する機会があり、
その際、ハキハキした女の先生が「何でも言ってくれた方がいい」と言うので、弟の目の前で尋ねた

「掃除をしなくて本当に困るどうにかならないか?」と、

コレさえも、それまでは十数年、実家内では、禁句だった
掃除を促す様な発言には、弟は過敏に反応し無言で部屋に閉じこもってしまい、当然、言われた掃除はしない
あげく、翌日は気分が悪いと仕事にも行かない状況に陥るからだった

ただ、事ここにいたっては、聞かない訳にはいかなかった、精神科の先生の答えは一言
「無理。」だった

「希望を聞いて理解してやって欲しい」との事だが、何をどう理解していいのか自分には不明だった

弟はガンになる前から仕事のストレスが辛く「やめたい」とこぼしていたようだ
ガンと診断される丁度三ヶ月ほど前には辞表を提出したのだが、両親、上司、精神科の先生の助言で
撤回した経緯があった


ガンと診断され弟は今度こそ仕事はやめる決心をしていた、が
(この時は抗癌剤治療で数年、上手くいけば寿命近くまで生きられるのではとの思いもあったので)

精神科の先生は「それはやめた方がいい、仕事やめてどうするの?」と言われた
確かにその通りだが、
では、共に無理といっているのに、仕事はOKで、掃除がNGな意味が自分には理解できなかった

経済的、生きがい的、問題からだろうが、ソレって必要に迫られればヤルって事ではないのか?
繰り返すが躁鬱病だろうが、何だろうがヤル事(掃除)をやってくれれば問題はなかったのだが

 

もう十五年間以上、弟はこの精神科に通っていた
薬も何種類か飲んでいたようだし、脳に電気を流す治療?なども希望して行ったようだった

その結果がコレか?「いったい何を治療していたのか?」絶望した

 

もしかしたら、そのお陰で仕事を続けられたのかもしれないが、実家での暮らしは完全に破綻していた
自分が訪問した事のある家の中で二番目に酷い惨状だった、呆れるしかなかった
(ちなみに一番と三番に呆れた家は、その後、訪問していない、、、実家は、そのレベルの惨状だった)

何をするにしても「先ず、片付けろ」と自分等は思ってしまっていたので、
ここ数年の弟との良い思い出等は、何もないままに過ぎてしまった

今、思えばだが、弟の実家での日常生活の質の改善を仕事より優先させるてやるべきだったのではと思うが、
どうしたらよかったのか?答えは出ていない

弟が亡くなった今だから思う後悔であって、当時は、両親と同居して実家を継ぐ予定の弟が実家の掃除を
一切しない事に、ただただ、呆れるだけだった


両親もソレ(弟の生活の質の改善)は、心配したのだろう、
そうでなくても、まぁ普通に両親は独身だった弟に盛んに結婚を勧めていた

いい年をしてヲタで不安定な自分が独身だった事もあり、両親の期待が一身に弟に向いたのだろう
それも弟にはプレッシャーだった様だった
コレに関しては自分もスマナイと思うが、ソレを弟が実家の掃除を放棄する理由としていた?
かどうかは、今となっては不明である、
もし、そうなら言ってくればよかったのにと思うだけである


また、独断だが弟は自分より数段男前だった(安定した公務員でもあるし)故に、
それなりにモテタのだが、結婚はせず弟は独身だった


躁鬱病による上記の暮らしも一因だったのだろうか、二度程、具体的に進んだ弟の結婚話も、
いつの間にか立ち消えになった
(一人は、再婚で連れ子がいる方だったので、母が強く反対した)
結果、弟の食事、洗濯など身の回りの事は、
その後も(最期まで)両親(家族=自分)がする事になるのだった、

 

                                            つづく

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