ブログ早春賦節

ロード&萌えソング普及促進委員会♬自転車に乗りつつ『モエリア』blogコミック再構築を模索中

新型だと!?#03

2024年04月01日 | 追悼記
諸君おはようハイパーシフタースズハであるさて今回の【キャラでナ】は
去年暮れに調子こいて新型を買ったとかほざいている主(アズ)の「このままバロンのカモでいいのか?」
問題についてだ
違いますお得意様ぁ~!!新型は何か?なのです...   そなのかつまらん...何でもいいだろ
見事当てたら本編を描いてくれるそうなのです♪  何っ良し任せろ当てるぜ...ヒントは有るのか?
ハイ購入理由が「高速に乗るため」    RX125、グロム共に高速には乗れんからな...

更に追加ヒントでコレまでに主アズセン・セが乗った事が無いジャンルだそうです...
因みにですがアズセン・セのバイク歴は(ヤマハ)TDR⇒(ホンダ)GB250クラブマン⇒(スズキ)DR250
⇒現在(アプリリア)RX125&(ホンダ)グロムそれと(今は亡き)弟さんの
(ホンダ)TL125、(ホンダ)トランザルプ400Vには交換してたまに乗っていたとの事なのです
古いのだな...知らないバイクも多々あるが...  ジャンルは概ね把握した...
ううん...ヤツの性格からcrfラリーVストローム250FXと思ったがジャンルが被るから除外か...
だからと言ってアメリカンに行くとも思えんし...大型は乗れないしおそらく車検無しの250以下...
ここはSSと見たぁ~分かったぁ! 本命(スズキ)GSX250R 対抗(ヤマハ)YZF-R150 
大穴で(確かバロンで取り扱いがあった)(KTM)RC390 でどうだ!
本命が来たら本編を毎週描いてup!!、対抗なら隔週、大穴なら月刊、だからな
結局、描くなのですね...   当然だ!何のために我々が登場したと思っている...
結局、何なんだぁ?当たっただろ♫ハイパーシフターをなめるなよ!実はヤツも本編を描きたい!
お見通しなのだよ
さぁどうでしょう発表は次回なのです♪  引っ張るのかよ出来レースなのにぃ♪まぁいいけどぉ~

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グロム退院(セルモーター交換)

2024年03月02日 | 追悼記

どうもアヅセンです...原二の相棒グロムネタです(^O^)/
実は3~4日、バロンの方に入院していました以前「エンジン始動時にクゥーンと鳴く」と
相談したのですが「暫く様子を見てください」との事だったが...治まらないので再び相談したところ
「事例が多いのでメーカー対応で行けるかも」との事でお願いしたとろ...

補償期間の二年は過ぎていたのですが行けましたそれと、もう一つカムシャフト関係?のギヤを
異音対策の対応品が出ているらしくソレに交換してもらいました

で、復活セルモーター交換で始動時の異音は無くなりましたコレはホンダの神対応ってヤツ

それともバロンの神対応なのか補償期間内に症状が出ていたからOKだったのか?
実は(125㏄二台体制だったので)去年暮れに高速に乗れるのが欲しくて三代目を増車したので
上顧客にでも昇進したかなw

ただ、どうもまだ、加速時にガラガラと言うかシャリシャリ言う感じはある...ソチラも相談したら
カムチューンテンショナー辺りが弱いらしく、その辺りが原因かなと...コチラはエンジン開けるので
流石に有償修理で三万程掛かるらしいううん...予算が確保出来たら、お願いするかな

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愚痴~50日祭~

2019年08月24日 | 追悼記

明日、父の50日祭を行うので、その準備に追われている

片付けを始めるとダメだ…とたんに頭に血が上り冷静でいられなくなる
入院中の母に、あたっても全く作業は進まないのだが、多少は気が晴れヤル気が回復する…気はする

それくらい頭にくる…

片付くまで普通、こんな実家には住まないと思う

ここまでするだけでエネルギー枯渇、再チャージしながら片付けが完了するのは
たぶん五年後くらい…無理せずヤルってこんな感じ

ほぼ仕事場のある東京で暮らし月に一週間程、実家の片付けに戻る
で、片付いたら引っ越し…それでいいのか?と母に問いたい

問うていいのか?精神内科の先生に聞きたい 
「無理は良くないんですよねぇ」性格も歪むな   イミフ…スマン

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晩足ペダル(整備した)

2019年01月06日 | 追悼記

安曇野は二日明け方に雪その日のうちにやんで晴れたぜ
数日晴れが続いたが日陰の雪は、なかなか融けずビビッて乗れてない
それなら今のうちにとシャザール・ピンクを整備、タイヤ交換等しいたぜ

折角なのでチェーンも清掃、前に一度行ったが結構汚れてた

タイヤは MICHELIN(ミシュラン) LITHION 3 リチオン3 ってのを履いてるぜ
お店で「素人なのでパンクに強いのを」とお願いしたら付けてくれたヤツだぜ
特に問題もなくグリップもいい感じ、値段もそこそこ、だったので同じのに付け替えた
(後ろだけ擦り切れて変えたので前輪に合わせる意味でも同じのね)
走行性能とは直接関係は無いがコレ凄く嵌めやすいぜ♪
以前ラヴァニ・ブラックのを変えた時は硬くて手では嵌らずタイヤレバーを使った記憶があるが
(古かったせいか?)
コレは手で最後まで嵌められたぜ♬個体差かな

次回は前輪も変えるだろうから別のを試そうかと思う
今現在25Cを履いているのでコレの23Cがいいかな~

それからテールライトに DOPPELGANGER コンパチブルリアライト ってのを装着
最初は(弟が使っていたままに)シートポストに付けるタイプを使っていたが
サドルを結構下げたのでサドルバックと干渉してしまい一般的なシートポストに取り付けるタイプが
自分の場合不可なのでサドルのシートレールに取り付けられるのが欲しくて購入

ラヴァニ・ブラックにも取り付けていて実は二個目

個人の趣向もあると思うが自分は大変、気に入っているぜ
(少し大きいがその分視野性はいいかと♫走っていて落ちる等の問題も今のところ無し
只、残念な事に生産中止っぽいぜ色違いの黒を購入しようと探したが無し、在庫の白しか
まぁ問題無いぜ
って事で無事復活でした

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追悼記4~母に認知症の兆候~

2018年01月20日 | 追悼記

母に認知症の徴候が現れ始めた、日常の家事、雑務を放棄してしまったのだ
(実家の事を何もしない弟の生活態度に嫌気が差したのだろうと自分は推察するが)

結果、実家では父が、家事全般を行う事になったが、元々、家事全てを母に委ねてきた高齢の父に、
それら雑務を切り盛りする事はできず、

弟も、流石に必要に駆られてか、お弁当等を手配してくれた様だった
弟なりに頑張ってくれたと思うが、頑張る所が違ったように思う

突発的な事象、イベントには、弟はとてもよく対処してくれた
母の日等には、プレゼントを贈るのは当然のようにしてくれたし

寄席等にも、両親を連れていってくれたようだった


突発的イベントの象徴的出来事だが
認知症が出始めた母が、健康器具のルームランナーを購入したが、玄関に置いただけで
まったく使用しない
邪魔なので父が処分したところ母は、「今、使おうと思っていたのに」と癇癪を起こし発狂

見かねた弟が、夜中にマラソン仲間に連絡し高級なルームランナーを数十万の言い値で譲って
もらって玄関に設置したらしい、、、無駄とは言わないが
そんな努力は不要である、ほっとけば疲れて朝には治まってるだろうに

ソレよりも日常生活における、玄関の掃除をヤレと自分は思うのだが、日常の雑務、特に
掃除関係は、何故か頑なにまったくやらないのだった

 

もう7年程前になるか?

見かねて、自分が地域包括支援センターに相談したが、高齢の両親だけの世帯なら介護保険で
ヘルパーを使えるが、弟が同居しているとソレは難しいとの事

確かに、弟が躁鬱病とは言っても身体は健康で公務員として働き、週末マラソンを楽しむ健常者だ
そんな働き盛りの者が同居している状況で、掃除が出来ないからと介護保険でヘルパーは、自分の
心理的にも頼みずらかった


なら、弟に実家を出てもらえば(自分も、ソノ方が介入しやすいし)と思いそれと無く父に促したが、
ソレは絶対にしなかったし弟も最後まで実家を出る事はなっかった

それが両親を心配した弟の優しさなのか?勇気がなかったのか?単なる優柔不断だったのか?
自分には理解できなっか

 

今、思えば自分が何とかしなければいけない状況だと思うが、
自分が世帯主(もしくは成る予定)なら自分がするが、そうでないなら頼まれない限り普通はしないだろ

それが常識だ「分かれよ」と心の中で叫んでいた、特に父に向かってだったと思う
自分がふらふらしていて経済的にも安定しないので、父は公務員の弟に家を託したかったのだろう
(自分も、その方が気楽でいいと思ったのも事実だった)

だが

実質的な世帯主であるはずの弟には届かず、家の事、特に掃除はまったくしなかった
忙しくて出来ないなら、お手伝いさんを頼むなりして、管理すべき状態だったが、その気もない

弟はソレについて悪気があるわけでもなく、実家では本当に小学生の様な感覚で暮らしていたように思う、
その視点で見れば、全ての事は両親がやってくれる訳だから弟の態度にも納得はいく

現実はソレを許さない状況だったのだが、躁鬱病を理由に父はソレを許していた
ソレが愛なのか?ソレが可愛くてしかたなかったのか?だたのめんどうくさがりの逃げなのか?
自分には不明だが


いずれにしても弟に世帯主としての自覚は、まったく芽生えなかった
お手伝いさんと言わず、自分に「バカ兄貴、実家の手伝いに来い」と言えば、いくらでも
行くつもりはあったが、世帯主の自覚無しの弟は、当然、自分への協力要請もしない


いくら実家とはいえ、弟が継ぐ事になっているところを、自分が弟以上に積極的に関与する
ことは筋ちがいだし、
何より現に自分は東京のマンションに暮らしていてココ(実家)には年に数十日立ち寄る程度なのだ、
それで弟より積極的に実家の事を考え掃除するなど、バカらしくてやってられない

自分は、弟の世帯主としての自覚の無さに苦慮し、一応、自覚する様に態度でしめしていた
つもりだった、、、「何もやらないなら、出て行け」との態度である

世帯主の自覚を持つにはコレ(一人暮らし)が一番であると思ったからだが、父が、ソレを嫌がった
「俺がやるから、これでいい」と言わんばかりの態度を取るのだった

 

「なら、俺は知らないから、勝手にすれば」
と大人気なく心の中で毒づきながら、自分は東京へ戻るのだった

 

こうして実家は、経済的には(弟は公務員として勤務していたし父も公務員だったので退職後の
年金もそれなりにあったようなので)困窮していなかったが、生活の質は年々急速に低下していった


だが、ソレは外で暮らす自分が見て、その様に思うだけであって実家で暮らす本人達は、まったく
そうは思ってないのだ、まったく掃除しないのは普通の日常なのだ、正に悲劇を超えて喜劇である

と家族の中で、自分だけが、思いより実家から遠ざかるのであった

 

                                        つづく

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追悼記3~帰省の憂鬱~

2017年12月25日 | 追悼記

躁鬱病で掃除をしない弟には、本当に呆れていた、ソレを許している父にもだ、
会いたくもなかった

下らない決意だが「弟が実家のトイレ掃除をするまでは、もう帰省はしない」と、自分は
何度も誓ったものだが


それでも毎年、1~2度(一~二週間)自分は実家に帰省した
決意は、悉く反故にして、、、「甘い、甘すぎる」と、思いつつ特急あづさ号に乗車した

 

帰省の都度、実家の様子に愕然とし虫唾が走った、まず、やはりなのだが掃除ができてないのだ

決して自分が特にキレイ好きという訳ではない、寧ろズボラな方だろう
東京で暮すマンションだって褒められるほど整理整頓ができている訳ではない、、、

だが、その自分が見ても明らかに不快に思う惨状なのだ

実家で暮らしていた頃は気づかなかったが、母も決して整理整頓が得意な方ではない
一応、食器とか整理はしてくれていたが、ただ包装し棚に積むだけなので奥に入ってしまった物は、
それっきり使わなくなる、、、、

また、空きスペースに何か置きたい、飾りたいとうい衝動があったのか?さして必要とは思えない
棚や箪笥を多々購入し、その中に詰め込むのだ
そのため、どの部屋も物が多く雑然としていた

その母が、掃除、炊事、洗濯など一手に引き受けてくれていたが、高齢化も伴い、より一層、
積極的に家のトコを切り盛りするのは厳しくなっていた

掃除などは、トイレの便器を少し磨く程度で掃除機などを利用しての掃除はしておらず
埃だらけだった

 


結局、トイレ掃除等、自分がヤルしかないのだが、、、何か釈然としなかった

言っておくがココは、既に自分の家では無いのだ、、、父もはっきり
「弟に結婚して貰って、この家を継いでもらうがいいか?将来的には君には家を出てもらうが、、」
自分は勿論、了解していたし、寧ろ、「出てもらう」も何も、自分は東京に在住していて
既にココには年に一、二度、来るだけなのに何を言っているのか?と、、、

「ソレは俺ではなく弟に言って、自覚してもらう事では?」と父には言ったものだ

後にだが、父にソノ件で確認を、取ったところ「そんな事、言ったか?」とか、、、呆れる、、

どもまでも責任の所在を曖昧にしておきたい公務員の癖なのか???民間では考えられない
愚考である


そんな状況だったので
「何で年に数回来るだけの一番使用回数が少ない俺が一番掃除するんだ?」と頭にきていたため
弟の自覚を促す意味でもあえて必要最小限の掃除しかしなかった、
自分が使わせてもらう、部屋、トイレ、風呂場、は当然自分がやったが他はあえて放置した

風呂場には、使い終わった剃刀が十数本あった、勿論、自分が使った物ではない、
あえて放置してみたが、何時、帰省しても、ソレはそのまま残っていた、、、結局
数十年、ソレは片付く事はなかった、、、、
(弟が癌と診断された後、ヘルパーさんに入ってもらって片付けたありさまだった)


食事も自分がスーパーに買出しに行ったが、その際、必ず両親が弟の食事の心配をした
「弟の朝食の食パンも買ってきてやってくれ、、、」と


呆れた「買ってくるのは構わないが、なら弟が自分で俺に頼め」と
弟に頼まれてもいないのに、弟の思いを尊宅して気を利かせているつもりなのだろう

まるでペットだ

仕事から帰った弟に八十歳近い父が言う「洗濯物あったら出せ、洗っておくから」

寒気がした

弟は、その両親の優しさを(恐らくストレスと感じながらも)唯々諾々と受け入れていた
自分には理解できなかった

 


弟は、病気【双極性躁鬱病】と言うが、身体は元気そのものなのだ
週末は、趣味の競技用自転車やマラソンに汗を流す日々だった、それは素晴らしい事なのだが

「ソノ前に、自分の日常の炊事、掃除、洗濯くらい自分でやれ!」

実家に帰ると弟に対して思う事はいつもコレだった、

また、それを教え、諭そうともしない父への憤りも実家に帰ると自分の中に噴出したが
それは、ぶちまける事なく止めてしまった
ぶちまける前に、東京に戻るのだった、、、戻る際は、開放された気分で本当に清清しかった

父か自分が本気で、弟のこの状況(躁鬱病)に向き合わなければいけなかったのだが、、、
自分も父も結局、逃げ回ってしまった

 

もう十五~十六年程、前の話だ
母が(弟について)自分に言ったのだが「家の事を何もしなくて困る、これでは同居できない」と
最初は何を言っているのかよくわからなっかたが、後に理解した

弟が大学生時代、横浜戸塚のマンションで自分と弟は同居していたが、問題はなかったからだ
もっとも自分が週四~五日の住み込みでアシスタントに行ってたし、家事は分担させたし、
弟の世話なんて(風邪にでも掛かって寝込んで)頼まれでもしない限り自分はしないので
弟は自分でヤルしかなかったのだが


だが、実家では違った、日常生活の大半は放置しておけば必ず両親がやってくれる事情もあり
掃除、ごみ捨て、洗濯等、日常のことをまったくしないのだと理解した…特に掃除は深刻だった

 

自分も偉そうな事を言えた状況ではなかったが、それでも、弟の実家での暮らしはこれでいいのか?と
今、思えば日々どこかで気にしていたと思う、、、、が、
「自分に心配される様では終わりだ、弟が自分で何とかするだろ」と言い訳し、
具体的な行動には移さなかった


両親はひたすら庇い保護するだけで、答えを出そうとしない、いや、ソレが両親の答えだったのか?
自分にはまったく答えになってない様に思えて歯がゆかった、、、、

同じ事の繰り返しの日々だけが過ぎ去っていった


そうこうしている内に母に認知症の徴候が現れ始めた                 つづく

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追悼記2~掃除ができない?~

2017年12月23日 | 追悼記

弟の躁鬱病に関して(特に掃除をしない件)は、本当に答えがなかった

弟がガンと診断された後の事になるが、弟が掛かっていた精神科の診察に一度同席する機会があり、
その際、ハキハキした女の先生が「何でも言ってくれた方がいい」と言うので、弟の目の前で尋ねた

「掃除をしなくて本当に困るどうにかならないか?」と、

コレさえも、それまでは十数年、実家内では、禁句だった
掃除を促す様な発言には、弟は過敏に反応し無言で部屋に閉じこもってしまい、当然、言われた掃除はしない
あげく、翌日は気分が悪いと仕事にも行かない状況に陥るからだった

ただ、事ここにいたっては、聞かない訳にはいかなかった、精神科の先生の答えは一言
「無理。」だった

「希望を聞いて理解してやって欲しい」との事だが、何をどう理解していいのか自分には不明だった

弟はガンになる前から仕事のストレスが辛く「やめたい」とこぼしていたようだ
ガンと診断される丁度三ヶ月ほど前には辞表を提出したのだが、両親、上司、精神科の先生の助言で
撤回した経緯があった


ガンと診断され弟は今度こそ仕事はやめる決心をしていた、が
(この時は抗癌剤治療で数年、上手くいけば寿命近くまで生きられるのではとの思いもあったので)

精神科の先生は「それはやめた方がいい、仕事やめてどうするの?」と言われた
確かにその通りだが、
では、共に無理といっているのに、仕事はOKで、掃除がNGな意味が自分には理解できなかった

経済的、生きがい的、問題からだろうが、ソレって必要に迫られればヤルって事ではないのか?
繰り返すが躁鬱病だろうが、何だろうがヤル事(掃除)をやってくれれば問題はなかったのだが

 

もう十五年間以上、弟はこの精神科に通っていた
薬も何種類か飲んでいたようだし、脳に電気を流す治療?なども希望して行ったようだった

その結果がコレか?「いったい何を治療していたのか?」絶望した

 

もしかしたら、そのお陰で仕事を続けられたのかもしれないが、実家での暮らしは完全に破綻していた
自分が訪問した事のある家の中で二番目に酷い惨状だった、呆れるしかなかった
(ちなみに一番と三番に呆れた家は、その後、訪問していない、、、実家は、そのレベルの惨状だった)

何をするにしても「先ず、片付けろ」と自分等は思ってしまっていたので、
ここ数年の弟との良い思い出等は、何もないままに過ぎてしまった

今、思えばだが、弟の実家での日常生活の質の改善を仕事より優先させるてやるべきだったのではと思うが、
どうしたらよかったのか?答えは出ていない

弟が亡くなった今だから思う後悔であって、当時は、両親と同居して実家を継ぐ予定の弟が実家の掃除を
一切しない事に、ただただ、呆れるだけだった


両親もソレ(弟の生活の質の改善)は、心配したのだろう、
そうでなくても、まぁ普通に両親は独身だった弟に盛んに結婚を勧めていた

いい年をしてヲタで不安定な自分が独身だった事もあり、両親の期待が一身に弟に向いたのだろう
それも弟にはプレッシャーだった様だった
コレに関しては自分もスマナイと思うが、ソレを弟が実家の掃除を放棄する理由としていた?
かどうかは、今となっては不明である、
もし、そうなら言ってくればよかったのにと思うだけである


また、独断だが弟は自分より数段男前だった(安定した公務員でもあるし)故に、
それなりにモテタのだが、結婚はせず弟は独身だった


躁鬱病による上記の暮らしも一因だったのだろうか、二度程、具体的に進んだ弟の結婚話も、
いつの間にか立ち消えになった
(一人は、再婚で連れ子がいる方だったので、母が強く反対した)
結果、弟の食事、洗濯など身の回りの事は、
その後も(最期まで)両親(家族=自分)がする事になるのだった、

 

                                            つづく

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追悼記1~双極性躁鬱病~

2017年11月23日 | 追悼記

ガンで急逝した弟とは、実家の事で距離が出来てしまっていた

実家は弟が継ぐ事になっていた、自分は、その事に異論がある訳ではなく、寧ろ歓迎で協力する
気もあったが、弟にその自覚がまったくなかった、ソレが距離ができた最大の原因だった


弟は公務員(県の事務職)で、自分は漫画やイラストで食いつなぐオタクな商売で
早々に東京に出てしまい家を継ぐ気などさらさら無しの態度を取ったこともあり
両親は「弟に家をついでもらうがいいか?」と言うので自分は了承していた

弟も(不満はあっただろうが)一応、了解してた、、、、のだと思う



その弟が、実家の事を何もしない事態が勃発

精神的なモノに起因するらしく仕事のストレスからか?【双極性躁鬱病】というモノに
なってしまい家の事に関する日常的な雑務を全て放棄した状態と言うか、
最初から家の事はヤル気無し、自覚も無し、責任感も無しの状態が慢性化したのだ

結果、高齢の両親が掃除、炊事、洗濯を(弟の分も含めて)ずっと行っていた

弟は実家を継ぐのが嫌という訳ではなかったと思う、実際ずっと実家には居たのだから、
そんなに嫌なら実家を出ればいいのではと自分は思ったが、弟にその気はなかった様だ


余談になるが

【双極性躁鬱病】とは、そういうモノなのだろうか?勉強不足の自分にはよくわからなかった
気持ちが躁のときと鬱のときがる、それはわかる
弟が趣味の競技用自転車やマラソンに興じ自転車やランニングウエアーや靴を買いまくったのも
少し躁状態だったのだろうと思う、
また、仕事に行きたくない、やめたい、と溢したと聞いたがソレは鬱状態だったのだろう、

これらはまだ自分的には理解できたが一番困ったというか呆れたのが、
【掃除をしない、片付けられない】事だった
それは実家の事全般は勿論、弟自身の身の回りの事にも及ぶのだ、、、

コレには呆れるしかなかった



丁度ソレを訝しがっているころNHKで「連れが鬱になりました」と言うようなドラマが
やっていたが、ソレはただの甘えでは?自分に言わせれば「私が鬱になりました」だろ、
と思った
それなら自分的には問題はないからだ、家を出て、鬱の時は一人で落ち込み
躁状態になったら自宅に来て、少し実家を手伝えばいい、それでいいのではないか、、、と

たとえ話だが
野球選手は躁鬱病だろうが二日酔いだろうが、試合で打てばチーム的には文句はないのだ
弟も躁鬱病だろが何だろうが、掃除さえすれば、取り合えず実家的には(自分は)文句は
なかったのだが

弟は頑なに、掃除、整理整頓に関しては行わなかった、コレも躁鬱病の症状なのか???

自分には最期まで理解できなかった、、、どうすればよかったのかも不明である

 

 

                                     つづく

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追悼記~はじめに~

2017年11月20日 | 追悼記

弟がガンで急逝して二ヶ月になろうとしているが、未だ、受け入れられない自分がいる


特に仲がよかった訳でもない、寧ろここ数年は実家の事で険悪となり、あまり話もしない
状況だった
ここ数年(生前)の弟には、友人なら二度と会わないレベルの、もの凄い、怒りと呆れ、
のようなモノがあり、距離ができてしまったが、
今となっては、ソレさえも綺麗な思い出でとなっている 

だが、その葛藤(悲しみ、怒り、呆れ)は、実際、今も続いている、どう気持ちの整理を
つけたらよいか?わからない状態だ

弟の急逝後、数十年ぶりで数ヶ月単位で実家の安曇野で暮す日々をおくっているが
精神的には勿論、悲しいのだが、弟が暮らし散らかり放題にしていた実家の片付けをしていると
ハッキリ言って「ふざけるな!」と口に出して激怒している自分もいる

まったく片付けられなかった弟に、それを放置した父に、そして結局、何も出来なかった
自分にだ


家族を失うとはこういう事なのか?ウチの事情がおかしいのか?
十数年前に祖母が他界したときはこんな感情はなかった
両親の急逝なら少なからず覚悟というか諦めの様なモノもあったのかもしてなれない、が
弟が自分より先に逝ってしまうとは、今年の初めまでは思ってもいなかった

それだけに混乱している

自分の気持ちを整理する意味でも、少し落ち着いた今、追悼記を記したいと思う


日記の様なモノだが、ブログという形にした方が効果があると判断し、
辛ければやめればいいやとの軽い気持ちで、少し書いてみようと思う

また、もし目にしてくてた方から、何らかの、ご意見など、いただけたとしたら
それはそれで大変ありがたい事なので

家族の恥部を晒す事となるが弟、両親には、ご容赦ねがいたい

 

 


PS:ソレの伴いモエリアコミックを一時中断、ブログ管理者をキャラの七音から
(中のひと)の自分に一時変更させていただきます
追悼記がひと段落し、落ち着いたら、作品もニューアルして(新生七音を)発表できれば
と思っています

 

あしからず、、、、、、、、、、、兄:縞田歳朗より

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