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追悼記3~帰省の憂鬱~

2017年12月25日 | 追悼記

躁鬱病で掃除をしない弟には、本当に呆れていた、ソレを許している父にもだ、
会いたくもなかった

下らない決意だが「弟が実家のトイレ掃除をするまでは、もう帰省はしない」と、自分は
何度も誓ったものだが


それでも毎年、1~2度(一~二週間)自分は実家に帰省した
決意は、悉く反故にして、、、「甘い、甘すぎる」と、思いつつ特急あづさ号に乗車した

 

帰省の都度、実家の様子に愕然とし虫唾が走った、まず、やはりなのだが掃除ができてないのだ

決して自分が特にキレイ好きという訳ではない、寧ろズボラな方だろう
東京で暮すマンションだって褒められるほど整理整頓ができている訳ではない、、、

だが、その自分が見ても明らかに不快に思う惨状なのだ

実家で暮らしていた頃は気づかなかったが、母も決して整理整頓が得意な方ではない
一応、食器とか整理はしてくれていたが、ただ包装し棚に積むだけなので奥に入ってしまった物は、
それっきり使わなくなる、、、、

また、空きスペースに何か置きたい、飾りたいとうい衝動があったのか?さして必要とは思えない
棚や箪笥を多々購入し、その中に詰め込むのだ
そのため、どの部屋も物が多く雑然としていた

その母が、掃除、炊事、洗濯など一手に引き受けてくれていたが、高齢化も伴い、より一層、
積極的に家のトコを切り盛りするのは厳しくなっていた

掃除などは、トイレの便器を少し磨く程度で掃除機などを利用しての掃除はしておらず
埃だらけだった

 


結局、トイレ掃除等、自分がヤルしかないのだが、、、何か釈然としなかった

言っておくがココは、既に自分の家では無いのだ、、、父もはっきり
「弟に結婚して貰って、この家を継いでもらうがいいか?将来的には君には家を出てもらうが、、」
自分は勿論、了解していたし、寧ろ、「出てもらう」も何も、自分は東京に在住していて
既にココには年に一、二度、来るだけなのに何を言っているのか?と、、、

「ソレは俺ではなく弟に言って、自覚してもらう事では?」と父には言ったものだ

後にだが、父にソノ件で確認を、取ったところ「そんな事、言ったか?」とか、、、呆れる、、

どもまでも責任の所在を曖昧にしておきたい公務員の癖なのか???民間では考えられない
愚考である


そんな状況だったので
「何で年に数回来るだけの一番使用回数が少ない俺が一番掃除するんだ?」と頭にきていたため
弟の自覚を促す意味でもあえて必要最小限の掃除しかしなかった、
自分が使わせてもらう、部屋、トイレ、風呂場、は当然自分がやったが他はあえて放置した

風呂場には、使い終わった剃刀が十数本あった、勿論、自分が使った物ではない、
あえて放置してみたが、何時、帰省しても、ソレはそのまま残っていた、、、結局
数十年、ソレは片付く事はなかった、、、、
(弟が癌と診断された後、ヘルパーさんに入ってもらって片付けたありさまだった)


食事も自分がスーパーに買出しに行ったが、その際、必ず両親が弟の食事の心配をした
「弟の朝食の食パンも買ってきてやってくれ、、、」と


呆れた「買ってくるのは構わないが、なら弟が自分で俺に頼め」と
弟に頼まれてもいないのに、弟の思いを尊宅して気を利かせているつもりなのだろう

まるでペットだ

仕事から帰った弟に八十歳近い父が言う「洗濯物あったら出せ、洗っておくから」

寒気がした

弟は、その両親の優しさを(恐らくストレスと感じながらも)唯々諾々と受け入れていた
自分には理解できなかった

 


弟は、病気【双極性躁鬱病】と言うが、身体は元気そのものなのだ
週末は、趣味の競技用自転車やマラソンに汗を流す日々だった、それは素晴らしい事なのだが

「ソノ前に、自分の日常の炊事、掃除、洗濯くらい自分でやれ!」

実家に帰ると弟に対して思う事はいつもコレだった、

また、それを教え、諭そうともしない父への憤りも実家に帰ると自分の中に噴出したが
それは、ぶちまける事なく止めてしまった
ぶちまける前に、東京に戻るのだった、、、戻る際は、開放された気分で本当に清清しかった

父か自分が本気で、弟のこの状況(躁鬱病)に向き合わなければいけなかったのだが、、、
自分も父も結局、逃げ回ってしまった

 

もう十五~十六年程、前の話だ
母が(弟について)自分に言ったのだが「家の事を何もしなくて困る、これでは同居できない」と
最初は何を言っているのかよくわからなっかたが、後に理解した

弟が大学生時代、横浜戸塚のマンションで自分と弟は同居していたが、問題はなかったからだ
もっとも自分が週四~五日の住み込みでアシスタントに行ってたし、家事は分担させたし、
弟の世話なんて(風邪にでも掛かって寝込んで)頼まれでもしない限り自分はしないので
弟は自分でヤルしかなかったのだが


だが、実家では違った、日常生活の大半は放置しておけば必ず両親がやってくれる事情もあり
掃除、ごみ捨て、洗濯等、日常のことをまったくしないのだと理解した…特に掃除は深刻だった

 

自分も偉そうな事を言えた状況ではなかったが、それでも、弟の実家での暮らしはこれでいいのか?と
今、思えば日々どこかで気にしていたと思う、、、、が、
「自分に心配される様では終わりだ、弟が自分で何とかするだろ」と言い訳し、
具体的な行動には移さなかった


両親はひたすら庇い保護するだけで、答えを出そうとしない、いや、ソレが両親の答えだったのか?
自分にはまったく答えになってない様に思えて歯がゆかった、、、、

同じ事の繰り返しの日々だけが過ぎ去っていった


そうこうしている内に母に認知症の徴候が現れ始めた                 つづく

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