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追悼記2~掃除ができない?~

2017年12月23日 | 追悼記

弟の躁鬱病に関して(特に掃除をしない件)は、本当に答えがなかった

弟がガンと診断された後の事になるが、弟が掛かっていた精神科の診察に一度同席する機会があり、
その際、ハキハキした女の先生が「何でも言ってくれた方がいい」と言うので、弟の目の前で尋ねた

「掃除をしなくて本当に困るどうにかならないか?」と、

コレさえも、それまでは十数年、実家内では、禁句だった
掃除を促す様な発言には、弟は過敏に反応し無言で部屋に閉じこもってしまい、当然、言われた掃除はしない
あげく、翌日は気分が悪いと仕事にも行かない状況に陥るからだった

ただ、事ここにいたっては、聞かない訳にはいかなかった、精神科の先生の答えは一言
「無理。」だった

「希望を聞いて理解してやって欲しい」との事だが、何をどう理解していいのか自分には不明だった

弟はガンになる前から仕事のストレスが辛く「やめたい」とこぼしていたようだ
ガンと診断される丁度三ヶ月ほど前には辞表を提出したのだが、両親、上司、精神科の先生の助言で
撤回した経緯があった


ガンと診断され弟は今度こそ仕事はやめる決心をしていた、が
(この時は抗癌剤治療で数年、上手くいけば寿命近くまで生きられるのではとの思いもあったので)

精神科の先生は「それはやめた方がいい、仕事やめてどうするの?」と言われた
確かにその通りだが、
では、共に無理といっているのに、仕事はOKで、掃除がNGな意味が自分には理解できなかった

経済的、生きがい的、問題からだろうが、ソレって必要に迫られればヤルって事ではないのか?
繰り返すが躁鬱病だろうが、何だろうがヤル事(掃除)をやってくれれば問題はなかったのだが

 

もう十五年間以上、弟はこの精神科に通っていた
薬も何種類か飲んでいたようだし、脳に電気を流す治療?なども希望して行ったようだった

その結果がコレか?「いったい何を治療していたのか?」絶望した

 

もしかしたら、そのお陰で仕事を続けられたのかもしれないが、実家での暮らしは完全に破綻していた
自分が訪問した事のある家の中で二番目に酷い惨状だった、呆れるしかなかった
(ちなみに一番と三番に呆れた家は、その後、訪問していない、、、実家は、そのレベルの惨状だった)

何をするにしても「先ず、片付けろ」と自分等は思ってしまっていたので、
ここ数年の弟との良い思い出等は、何もないままに過ぎてしまった

今、思えばだが、弟の実家での日常生活の質の改善を仕事より優先させるてやるべきだったのではと思うが、
どうしたらよかったのか?答えは出ていない

弟が亡くなった今だから思う後悔であって、当時は、両親と同居して実家を継ぐ予定の弟が実家の掃除を
一切しない事に、ただただ、呆れるだけだった


両親もソレ(弟の生活の質の改善)は、心配したのだろう、
そうでなくても、まぁ普通に両親は独身だった弟に盛んに結婚を勧めていた

いい年をしてヲタで不安定な自分が独身だった事もあり、両親の期待が一身に弟に向いたのだろう
それも弟にはプレッシャーだった様だった
コレに関しては自分もスマナイと思うが、ソレを弟が実家の掃除を放棄する理由としていた?
かどうかは、今となっては不明である、
もし、そうなら言ってくればよかったのにと思うだけである


また、独断だが弟は自分より数段男前だった(安定した公務員でもあるし)故に、
それなりにモテタのだが、結婚はせず弟は独身だった


躁鬱病による上記の暮らしも一因だったのだろうか、二度程、具体的に進んだ弟の結婚話も、
いつの間にか立ち消えになった
(一人は、再婚で連れ子がいる方だったので、母が強く反対した)
結果、弟の食事、洗濯など身の回りの事は、
その後も(最期まで)両親(家族=自分)がする事になるのだった、

 

                                            つづく

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