内向的性格を生きる

不安と共に生きる
  by mo-ri-tan
(対人緊張・抑うつ感・劣等感を持ちつつ)

お墓参り

2008-09-21 23:15:23 | 日々の出来事
お墓参りを兼ねてお互いの実家に行っていました。私は妻の実家にいってもお客さん扱いしてもらえるので、そんなには気は使わないで済みますが、妻のほうが私の実家に来ると、やっぱり色々気を使うようです。なので数時間滞在したらすぐに退散するようにしています。私が妻の実家に行くときは、大抵泊りがけになります。
 義父はあまりおしゃべりのほうではありません。しゃべらない時間があってもお互い寡黙同士分かり合えるところもあり、あまり気を使わなくていいので助かっています。義母はおしゃべりのほうですが、私とは共通の話題というのもなく、ほとんどおしゃべりをしません。私がもう少し世間話でもできるようであるといいんですが。義母とたまに部屋で義母と2人だけになったりすると、居心地悪い感じがします。
 結婚当初に比べると、やはり妻の実家とはお互い慣れてきたところがあると思います。ただし、私の対応できるのはそこまでで、義父、義母の兄弟・姉妹の方々が来られたりした時には逃げ回っています。

ブルーな気分

2008-09-18 23:13:38 | 日々の出来事
 朝、目覚めの時が何故かとてもブルーな気分です。昨日、あんなメール出してしまって変に思われたのではないかとか、そういう今までの後悔みたいなものが一気に押し寄せてきて、押しつぶされそうになります。だから目覚めは半分うなされているような感じです。大抵は目覚ましが鳴る前に目が覚めてしまいます。
 起きていろんなことをやっているうちに、少しは薄れてくるのですけれどもね。鬱の人も朝が辛いというようなことを聞いたことがあります。

 結局、週末のセミナーはキャンセルしました。子どもと一緒に過ごすことにしましょう。

優柔不断

2008-09-17 23:25:35 | 考え事
 結婚して子どもが生まれる前までは、週末は月の半分近くはひとりででかけていた。色々やりたいこともあったから。結構好きにやらせてもらっていた。
 子どもが生まれてから、一人で出かけるのも気が引けるようになり、次第に家に居ることが多くなった。一人で出かけることに対して、小言を言われることも多くなった。
 今週末、とある心理学のセミナーに参加するかどうかで思案中。申し込みは済ませてある。土日の2日間。「何でそんなのに行くの?」と言われてしまっている手前、なかなか行きづらい。「私なんか24時間子どもと一緒なんですからね」と言われると肩身が狭い。でも、妻がどっかに行きたいと言う時も結構あって、その時には子どもの面倒を見ている。だから、ずっといつも一緒というのは言いすぎだろうけれども、まだ足りないなら、小言を言う前にもっと一人で出かけてストレス発散でもしてくれればいいのだけれど。
 同時に、子どもと一緒に過ごせる時間は限られているから、家に居ようかとも思っている。なかなかの優柔不断。どうしようかなー。

妻には内緒

2008-09-17 21:48:53 | 日々の出来事
 このブログを書いていることは、妻には内緒である。隠れてコソコソ書いている。もし見られようものなら、恥ずかしくて耐えられない。そういう意味では、妻の前でも格好つけているのかもしれない。
 一方で、このブログで書いてないことで妻に話していることも多い。誰に対しても自分のすべてを見せるということはないのかもしれない。見せられたほうもたまったものではないだろう。会社に行けば、会社での顔を持ち、家に帰れば、家での顔を持つ。それが自然。

 家族に対して、自分の悩みを話すということはほとんどない。神経症的なこととか、会社での出来事とか。

 子どもの頃、いじめられていたときも、親には一言もそのことを話さなかった。学校行くのが辛くてたまらなくて、今日はいじめられませんようにと神仏に御願いしている毎日だったが、家では学校生活は楽しくて、友人もたくさんいると話していた。だから、私がいじめられていたということを、たぶん親は知らない。

 神経質の人間は、自分の弱さを受け入れることができずに、虚勢を張ってしまうところがあると思う。

通勤電車で

2008-09-16 23:11:14 | 日々の出来事
今朝、駅のホームで子どもの同級生のお父さんと会った。特に親しいわけでもなく、挨拶を交わす程度の方。でも、そのまま立ち去るのも悪い気がしたので、ちょっと立ち話をして同じ電車に乗り込んだ。隣同士座って、7~8分くらいは話をしたものの、あとはずっとだまったまま。
 その人は、私に対してどことなく冷ややかな視線を向けているように私には感じられる。少なくとも好かれているような気はしない。なので、余計にこちらからしゃべろうとして、わけのわからぬことを言ったりしてしまう。
 その人は、端から見たらすごくいい人なのだ。当たりは柔らかだし、人からは好かれるタイプだろう。それだけに、その人に好かれたいという気持ちも強いのだ。だから緊張するし、冷ややかな視線を向けられると、悲しくなり、自分を責めてしまう。
 「もしかしたら、通勤時間を利用して勉強したりしているのかもしれない。私がいるせいで、迷惑かけているかもしれない。」
 「できたら、別の車両に行って欲しかったんじゃないだろうか。」
 「話題の少ない自分で申し訳ない。」
 そのような思いが頭を駆け巡る。基本的には、相手に申し訳ないと思ってしまうのだ。

腺維筋痛症

2008-09-14 00:14:31 | 人々の生き方
 先日、実家に立ち寄った際、テレビを見ていた。その時に、確か「腺維筋痛症」という病気で苦しんでいる人の特集をしていた。かなりの激痛を伴うらしい。記憶が定かでないのだが、200万人ほどの方がこの病気で苦しんでいるとのことだった。その翌日は、癌のために、子宮と卵巣を全摘出した23歳の女性の特集をするとのことだった。
 前にも、難病に苦しむ人のことをこのブログでも書いたが、私の知らない難病というのはまだまだ多い。というか知っている難病のほうが圧倒的に少ない。
 毎度のことながら、自分が健康で毎日を過ごすことが出来ているということだけで、どれだけ恵まれているかを改めて思う。

必要なだけ

2008-09-13 23:07:01 | 考え事
 家に帰ると、いろんな仕事が待っている。棚を作ってくれだとか、子どもの色鉛筆を入れる筆箱が壊れたから直してくれだとか。
 そういうものひとつひとつをやっていると一日などすぐ経ってしまう。大それたことはできないけれども、こうして今必要とされていることをひとつひとつやって日々を過ごすのが人生(森田的)なのだなあと、そんなことを考えていた。
 特に頼まれごとがなくても、たいていの場合は色々掃除をしたりしている。汚れているところを掃除するというのは、まさに今現実に必要とされていること。

 新入社員のことを昨日書いたけれども、今やっている仕事とは関係なく、ただ専門書を開いて勉強している人がいる。一方で、それよりも今実務をやる上でわからないことを中心に勉強している人もいる。私が入社した時には、前者のやり方だった。確かに専門分野の勉強は必要だけれども、今やっていることと関係なしに、専門書を読み進めるやり方はあんまり良くないように思う。それよりも、今の仕事をやる上でわからないことをまず学ぶというやり方のほうがいいみたい。このやり方は、森田そのもの。今必要なことを、必要なだけ身に付ければいい。必要以上に知識を詰め込むことも無い。昔は例えばコンピュータ関係の知識を誰よりも身に付けようとしたりしていた。その時はものすごい焦燥感で一杯だった。しかし多くの場合、そういう無謀な取り組みは徒労に終わってしまう。仕事にもあまり生かすことはできなかった。現実になるべく則した努力を積み重ねることをちょっと意識している。

新入社員

2008-09-12 21:47:03 | 日々の出来事
 4月に入社してきた新入社員が、社内、社外の研修を終えて配属されてきた。きょうは初めて取引先に電話をすることになった。「電話のかけ方は研修で習いました。」とのこと。
 「****株式会社の**と申します。お疲れさまです。」
 おいおい、「お疲れさま」じゃなくて「いつもお世話になります」だろー。いくら研修で習っても、実践ではなかなかうまくいかないもの。
 端で聞いていると、緊張しているのがひしひし伝わってくる。要件を言い終えて、まずは終了。初めは誰でもこんなもの。初々しさがかえって好印象を与えてくれる。今は朝の挨拶も丁寧にしてくれるが、どれだけ続くことだろう。何はともあれ、社会人の船出、頑張ってください。

調和

2008-09-11 23:17:20 | 考え事
 森田療法の一つのキーワードとして「調和」ということがあると思う。欲望と恐怖、拮抗作用、生の欲望と死の恐怖。作用と反作用。
 人間のからだは精密にできている。暑くなると自然に汗が出る。まぶしいと瞳孔が小さくなる。柳の枝は風に吹かれるとたなびく。
 私たち神経質者は、押されても動くまいと踏ん張ってしまう。踏ん張らないで回りと調和するためには、まずは回りを感じることが大事なように思う。回りと遮断していては、反応すらできない。
 最近、五感を目一杯使って「今」を感じるようにしている。色々な考え事(思い=重い)を持っていると、自分にこもってしまって回りと調和できない。初一念と森田先生がおっしゃるのは、回りからの働きかけに対して、自分から出た自然な反応。それは汗をかくのと同じ自然現象。
 先日、怒鳴られたことも、時に思い出すけれども、「今」に意識を向けているうちに、もうどうでもいいようなことに思えてきた。

朝の挨拶

2008-09-10 22:08:54 | 日々の出来事
 毎朝、会社で更衣室に行く途中に10人くらいの人とすれ違う。大抵の場合、自分から「おはようございます」と挨拶する。ほとんどの人は挨拶を返してくれる。
 更衣室にはいると、いつもいる人がいる。私のロッカーのすぐそばの人。その人の前を通らないと自分のロッカーには行けない。だからすれ違う時にいつも挨拶するのだが、返されたことがなかった。でも一応私より年上の人だから、返されなくても、毎日自分から挨拶している。その人は誰にでも挨拶をしないのではなく、顔見知りの人だとちゃんと声を出して挨拶している。私は、個人的にその人を知っているわけではなく、話をしたこともない人。でも、挨拶くらいしてもいいんじゃない?と思ったりする。だから更衣室に入って、その人の顔をみるとユーウツな気持ちになる。
 で、ある時いつものように挨拶をしたら、小さい声で「おはようございます」と言ってくれた。これは嬉しかった。でもこれで期待してはいけない。次の日からまた返事はなくなった。間違って口をついて出てしまったのかもしれない。ただ、その後、2週間に1回くらいは返事をしてくれるようになった。
 挨拶なんて、小さなことだけれども、それだけで気持ちよく過ごせたりもする。

 更衣室の話になったからひとつ書くけれども、制汗スプレーをからだ中にかけている人がいる。それも一人だけでなく、結構たくさんの人がやっている。その臭いに包まれていると、こちらが息苦しくなってくる。そんなの家でやってきてよ、と言いたくなる。挨拶をしない人も、その常習者なのだが。