内向的性格を生きる

不安と共に生きる
  by mo-ri-tan
(対人緊張・抑うつ感・劣等感を持ちつつ)

床屋さん

2008-05-31 08:19:40 | 日々の出来事
 引越しをしてから、どこの床屋さんに行くか決めかねていたのですが、となり駅でいいお店を見つけました。新しい、センスのありそうな店構えであるにもかかわらず、お客さんはおじいさんとか年配の人も多く、安心しました。カットしてくれるオーナーの人は、カット中はほとんど何もしゃべりません。初めに、「今日はどのくらいカットしますか?」と聞いてくるくらい。それに答えたあとはずっと作業に集中しています。それでもこちらは緊張しているのですが、やたらに話しかけてくれる人より、よほど助かります。私だけではなく、お客さんみんなに対してそういうスタンスのようです。カットも自分の思うように仕上げてもらって、満足して帰ってきました。

苦手な人

2008-05-30 07:34:17 | 考え事
 会社で一番苦手なのが、私の組織のトップの人。その人を見かけただけで、気が重くなる感じがします。その人は神経質とは正反対の性格。私とはまったく噛み合わない。でも、上司は選べないんですよね、当然のことながら。
 私が嫌っているのが相手になんとなく伝わっているのかもしれません。だから好きになるようにイメージトレーニングのようなこともしたことがありますが、やっぱり変わらない。怖いから緊張してしまいます。この人が最終的に私の人事評価をおこないます。だから余計緊張するのでしょう。

莫妄想と事実唯真

2008-05-28 13:29:29 | 森田療法の実践
 禅の世界では、莫妄想(まくもうそう)が重視されます。簡単に言えば「くよくよしない」こと。これは、森田の事実唯真と非常に関連があると思うのです。
 例えばすれちがった時に相手が視線をそらせたとする。すると私達神経質者は自分のことが嫌いなんだと思ってしまう。でも、事実は相手が視線をそらせたという事実があるだけ。それを自分で勝手に解釈してしまっている。だからああだこうだとくよくよしないで事実を見ようとすること。あるがままに放っておく。最近はこんな心がけをしています。

これから社会人になられる方へ

2008-05-27 22:35:51 | 森田療法の実践
 私も社会人になって20年近くが経とうとしています。会社でいろんな人を見てきました。その経験から、森田先生の次のことばがとても大事だと思うようになりました。これから社会人になる神経質の方に、是非お贈りしたいと思います。
 「自然に服従し、境遇に従順なれ」
 部長になった人は、毎日遅くまで会社におり、何か問題があるとその後始末に奔走しています。そして休日には、付き合いのゴルフをしたり、会社に出たり。一方で肩書きは何もないけれども、その分気楽で平日も平気で定時で帰宅し、休日も趣味を楽しんでいる人もいる。そのどちらが幸せだと思いますか?確かにたくさんお金をもらったり、多少の権力があればそれに越したことはないかもしれませんが、出世したから幸せとは限らないように思うのです。大事なのは、無理をしないこと。自分の実力以上に評価されようとしないこと。
 劣等感が強い神経質者は、なんとか人に負けないように必死に頑張ってしまいがちです。でももしその方面で成果があげられなかったら、その人に合った仕事に回されるのです。そしたらその仕事をしたほうがいい。無理して最初に配属されたところで、実力以上に見せようとしても苦しいだけのように思うのです。
 また、実力があっても必ずしも出世できるわけでもありません。努力しても認められないこともある。そういう時こそ「境遇に従順」であることが大事だと思うのです。神経質なのは仕方がない。人前で発表するのに緊張してもし評価が低くなってしまったとしたら、それはそれで仕方がない。でも、なんとかなるんだと思うんです。

講師を引き受けたこと

2008-05-26 17:43:03 | 日々の出来事
 講師の話の続きですが、3年前に最初にやった時、物凄く緊張しました。緊張の度合いは私の今までの人生で三指に入るでしょう。でも、なぜ引き受けたかというと、断ったらその後凄く後悔すると思ったんです。後悔するくらいならやってしまったほうがいい。
 後日、受講生からのアンケートが送られてきました。その結果をすぐに開く勇気がありませんでした。きっとひどい評価だろうと。
 見てみると、それほど低くなかったので驚きました。自分が思っているよりかは、もしかしたら回りの人は暖かく見てくれているのかもしれない。そんなことを思わせてくれた経験でした。

落ち込み

2008-05-25 15:25:39 | 日々の出来事
 いつものことながらまた落ち込み体験。以前にも書きましたが、講師を頼まれることがあって、50人くらいの前でしゃべる機会があります。一般的な話をするのではなくて、ある学問分野の話なので、教科書をベースに話します。
 今年で3年目になるのですが、講義の何ヶ月も前からずっと気になっていて、講義の当日なんて緊張しまくり。毎回講義の後にものすごく落ち込みます。もう家に帰るのがやっと、という感じで完全にグロッキー状態。椅子に座り込んで1時間くらい動くこともできませんでした。質問されてうまく答えられなかったとか、そもそも私の講義内容がイマイチなのではないかとか、受講生の人たちは自分のことを低く評価しただろうとか、そういういろんな思いで潰されそうになるのです。
 なんでこんなに他人からの評価を気にするのでしょうね。それと、自分の講義内容に手厳しい。「事実を見て、ちゃんと講義ができたんだから、その事実を評価すべし。」というのが森田的な見方かと思いますが、もう私はこの落ち込みは避けることはできない、自分はそういう落ち込んでしまう人間なのだ、と思い知りました。落ち込んでしまうのは仕方ない。
 何でこんな思いをしてまで講師を引き受けるのでしょうね。辞退すれば、このような苦しみを味わわなくてもすむ話ですから。
 講師として自分のことを評価してもらえた、というところにしがみついているところもあるんだと思います。その評価を裏切りたくないという思い。期待を裏切れないというプレッシャー。
 でも、もういいですと言われるまでは、頼まれれば講師を引き受けようと思っているんです。森田先生は、辛くても仕事にしがみついていなさいとおっしゃった。
 2~3日経過して、ようやく落ち込みから回復してきました。そうなんです。ものすごい落ち込みでも、感情の法則で、放っておくといつの間にか過ぎ去っていくのです。この忘却の力に任せて、今日も生きています。