生活の発見会誌 『生涯学習としても「森田」』
『ところで、神経質の「とらわれからの解放」とは、
どういう状態をさすのであろうか。
これについて正馬はおよそ、軽快と全治(あるいは根治)に
分けておられる。
まず軽快とは、不安はあっても、
なんとか日常生活・社会生活が続けられる状態。
そのうえで全治とは、自分自身のこころの動きを、
そのまま尊重することができる状態。
そのようにいうことができるだろう。』(p.40)
私の場合には、もう20年以上にわたって、
この「軽快」の状態が続いている。
「軽快」の中でも、浮き沈みはあるものの、
なんとか社会生活は遅れている。
全治・根治は、まだまだ先だなあという感じがしている。
ただし、どうなれば全治といえるのか、
定義がはっきりしているわけではないだろうから、
自分で正しく判断できるかどうかはわからない。
「そのまま尊重する」
という、この「尊重」という言葉が
いいな、と思った。
『ところで、神経質の「とらわれからの解放」とは、
どういう状態をさすのであろうか。
これについて正馬はおよそ、軽快と全治(あるいは根治)に
分けておられる。
まず軽快とは、不安はあっても、
なんとか日常生活・社会生活が続けられる状態。
そのうえで全治とは、自分自身のこころの動きを、
そのまま尊重することができる状態。
そのようにいうことができるだろう。』(p.40)
私の場合には、もう20年以上にわたって、
この「軽快」の状態が続いている。
「軽快」の中でも、浮き沈みはあるものの、
なんとか社会生活は遅れている。
全治・根治は、まだまだ先だなあという感じがしている。
ただし、どうなれば全治といえるのか、
定義がはっきりしているわけではないだろうから、
自分で正しく判断できるかどうかはわからない。
「そのまま尊重する」
という、この「尊重」という言葉が
いいな、と思った。