内向的性格を生きる

不安と共に生きる
  by mo-ri-tan
(対人緊張・抑うつ感・劣等感を持ちつつ)

対人能力

2009-06-23 23:45:45 | 考え事
昔に比べて、自分の対人能力は
少しは高くなっているのだろうかと
ふと思ったりする。

相変わらず人に会うと緊張し、
顔はこわばるし、赤くなる。
恥ずかしがり屋であることは昔のまま。

と同時に、家では結構冗談を言って笑わしたり、
会社の同僚ともなんとかやっていたりする。

大学に入った頃は友人が一人もいなかったので、
人と付き合うのはどうすればいいのか、
皆目わからなかった。

それに比べれば成長したともいえるし、
まったく変わっていないともいえる。

変わっていないところを見続けていたら、
ずっと変わっていない感じがするけれども、
気づかずに変わってきているところも
きっとあるのだと思う。

頭の中をからっぽにする。

2009-06-11 06:36:17 | 考え事
頭の中をからっぽにすることが大事なことだと
最近思っている。

からっぽにするとは、余計なものは入れない
ということ。

余計なものは入れないというのは、
余計なことを考えないこと。

余計なことを考えるのは、
「かくあるべし」があるから。

かくあるべしは、事実をそのまま見ないで、
自分の価値観を回りに押し付けること。

自分の価値観よりもまず、
事実のほうの優先順位を高くする。

かくあるべしがなくなってくると、
本当に色々なものが流れていくのを感じる。

色々なことはあるけれども、
それがひっかからない。

事実唯真、かくあるべし、思想の矛盾、精神交互作用とか
色々森田の考えはあるけれども、
結局のところ目ざしているのは
「頭の中に余計なものを入れない」
ということのような気がしませんか?

弱くなりきる

2009-06-09 22:04:53 | 考え事
「私は人付き合いが苦手な人間です」
と開き直れたら、楽になるだろうに。

「そこそこ人間関係できます」
みたいなフリをしているから、
色々苦労したりする。

自分の性分に徹した生き方をしたいと思う。

「あるがまま」考

2009-06-08 22:21:43 | 考え事
生活の発見会誌2009年6月号を読んでいたら、
「『あるがまま』とは現在あることをすべて肯定することだ」(p.56)
ということばがありました。

「あるがまま」ってそんなに難しいことなんでしょうか?
肯定する必要があるのでしょうか?

私も、以前は「あるがまま」というのが特別な状態であって、
「あるがまま」になったら、苦しみから解放されるのだ、
みたいなイメージにとらわれていました。
「あるがまま」になりたいと思っていました。

でも、肯定も否定もすることなく、
心のことはそのままにしておくことが
「あるがまま」なのでは?

これは宇佐先生がよく言われていることかと思います。

小学生並みの「恥しがり屋」

2009-06-08 22:12:17 | 日々の出来事
こどもとボードゲームをして遊んでいたら、
こどもの友達が家に遊びに来て、
その友達も一緒にゲームをすることになった。

すんごい、緊張してしまった。
その子とはほとんどしゃべったことはないのだが、
うちの子とその子がとても仲良しというのは知っている。

子ども相手でも、緊張するときはするもんだと知った。

本当に恥かしがり屋については、
小学生並みである。

エニアグラムと森田療法

2009-06-06 22:23:39 | 考え事
エニアグラムにはまっている友人がいて、
以前からやってみないかと誘われていたので、
最近ちょっとエニアグラムについて勉強している。

といってもまだよくわかってない。

エニアグラムでは、人は9つのタイプにわけられるという。
神経症になる人は、タイプ5かタイプ6の人なんじゃなかろうか。

といってもエニアグラムを知らない人には
何を言っているのかさっぱりわからないと思う。

ちなみに、私は自分のことをタイプ6の人間だと思っている。

タイプ6の人間がとらわれてしまうのは「恐れ」だという。
『このとらわれは、「不安(Anxiety)」と言った方が正確かもしれない。
不安があるために、今実際に起こっていないことを恐れるのである。
タイプ6は、たえざる懸念をもちながら暮らしており、
起きる可能性のある将来のできごとについて心配する。』
(エニアグラム -あなたを知る9つのタイプ 角川書店 p.45)

将来に対する予期不安で一杯になってしまっている神経症の人と、
よく似ている説明だと思う。

このタイプ6の人の成長を助けるためのアドバイスが載っているのであるが、
これが森田療法とちょっと似ている感じがした。

『タイプ6が、自分の求める安定を見つけるには、
身体の存在感をいつもサポートする必要があります。
「今、ここ」の感覚に根ざすということです。』(p.265)

『自分自身のための静かな時間を持つようにしてください。
それは、テレビの前で何時間も過ごすということではなく、
シンプルに、自分自身と共にいる時間です。
自然との触れあいも、とても得ることが大きいでしょう。
散歩や庭いじり、水泳、瞑想といったこと。
そして何よりも、こうした時間に、仕事や人間関係のことで悩んだり、
イライラしたり、戦略を練ったりしないでください。
存在すること、そのものにもっと心地よくなるための時間です。
周囲の環境や身体感覚とのつながりを強めることは、
頭の忙しさを和らげ、静めるのに、大いに役立ってくれるでしょう。』
(p.269)

森田では、物の性をつくすとか、感じを高めるとかいうけれども、
結局一言で言うと、「頭の忙しさを和らげ」ということにつながるのでは
ないだろうか。

精神交互作用とか、思想の矛盾というのは、
まさに「頭が忙しい」状態なのだと思う。


最後に、参考までにタイプ6の「恐れ、不安、疑い」についての説明を
抜粋しておきます。
『「恐れ」は、古典的な「七つの大罪」のひとつではありませんが、
タイプ6の「とらわれ」(潜在的な感情の歪み)とされてきました。
なぜなら、あまりにも多くの行動が、
不安と、恐れへの反応に基づいているからです。
タイプ6の恐れは、自らの安全と、起こり得る将来の問題についての心配、
それから恒常的な自信喪失、人に対する不安に見いだすことができます。』(p.262)

「強迫神経症の世界を生きて」を読んで③

2009-06-05 22:54:04 | 森田療法関係の本
『しかし、このような対処方法では、
当座の不安は解消できても、
抜本的な解決にはつながらないのではないでしょうか。
やはり「五感という無意識のネットワークにゆだねる」
という基本に戻っていくべきだと思います。』(p.176)

五感を大事にする、それが解決になっていく、
というのは、とても共感する。

私も今一番大事にしているのは、
五感を大事にすること。

それによって、「今、ここ」に
くっついていられる。

そうしたら、神経症の入り込む余地が
なくなってくる。

まだ意識しないとすぐに自分の内に
意識がこもってしまうところはありますが、
大事にしていきたいと思っています。

三聖病院のDVDを見て

2009-06-05 22:39:59 | 考え事
先日購入した三聖病院のDVDを見て、
宇佐先生が患者と面会している場面が写っていた。

宇佐先生の診察室の机の上の乱雑なこと!
森田を勉強していると、掃除のことがよく出てくるが、
掃除嫌いの皆様、ご安心ください。
宇佐先生の机の上はとんでもないことになっています。

でも、たぶんどこになにがあるのか
ご自身ではわかっていらっしゃるのかもしれない。
あまりに忙しすぎすぎて、
片付ける暇もないのかもしれない。
(これが本当のところでしょう。)

それと、書籍類が余りに多く、収納できなくなっている
ということもあるでしょう。

いつでもピカーと磨き上げることもないし、
机の上に何もないことが整理できている
ということでもないのかもしれません。

だから部屋が汚くて、そういう自分を責めてしまう皆さん、
どうぞDVDをご覧くださいまし。
安心されるかと思います。

(でも、時間があるのだったら、
掃除されたほうがいいかも。
少しはスッキリしますから。)

「強迫神経症の世界を生きて」を読んで②

2009-06-05 22:31:42 | 森田療法関係の本
『いずれにせよ、「森田療法による治癒像」に関しては、
池田数好先生のつぎのような言葉を忘れないようにしたいものです。

  森田療法の治癒像とは、平均的な性格の人や
  いわゆる外向性性格者に比べると、依然として
  しの人たちの知らない苦労や不安を背負っている人間像であり、
  「根本的によくなったとも変わったとも感じないが、
  いつの間にか以前できなかったことが自由にできている自己の発見」
  といった、むしろ落着いた沈んだ心の構造ともいえるものです。
  〔「生活の発見」no.379〕』(p.132)

このことばにもとても共感する。
「自由にできている」かどうかはわからないが、
前にも書いたように、心はどうであっても、
色々なことができていれば、それは治った状態と
言えるのではないでしょうか。

「強迫神経症の世界を生きて」を読んで

2009-06-05 22:22:20 | 森田療法関係の本
明念倫子さんが書かれた「強迫神経症の世界を生きて」を読んだ。
なかなか、よかった。

強迫神経症の方の苦しみが本当のところ
よくわかっていなかったところもあったので、
少しでもその苦しみの中身がわかったのもよかった。

『はからい癖を弱めるための決定打は、
自己の無力感を味わうことができるかどうかではないでしょうか。
「どんなにはからっても、心をスッキリさせることはできない」
という無力感、これがはからいにストップをかける
最大の武器のように思われます。』(p.110)

このことばがとても印象に残っている。
宇佐先生も心のことには手出しができないとおっしゃいますが、
どうやったって、手出しができないんだという諦めというのか、
開き直りというのか、事実に気づくというのか、
そういうことが大事なように思いました。