毎月、生活の発見会から冊子が送られてくる。
その中で、「私流・森田の読み方」というコーナーがある。
そこに下記のような文章が引用されていた。
『ここで対人恐怖などで、自分の病気が治らないと主張する人は、
いつまでたっても、決して治る時節はこない。
その人は、いくら仕事ができるようになっても、
演説ができても、決してよくなったとはいわない。
いつまでも、人前で恥ずかしい、思う事がスラスラと
いえないかといい張る。
それは夏は暑い、冬は寒いと同様に、
いつまでたっても、どうすることもできない
という事に気がつかないのである。
神経症の症状の治ると治らないとの境は、
苦痛をなくしよう、逃れようとする間は、
十年でも二十年でも決して治らぬが、
苦痛はこれをどうする事もできぬ、
しかたがないと知り分け、
往生した時は、その日から治るのである。
すなわち「逃げようとする」か
「踏みとどまるか」かが治ると治らぬとの境である。』
(森田正馬全集第5巻 p.389)
結局、これも欲を持たないということと
つながってくるのではないでしょうか。
「往生する」とは、妄想の世界から
現実の世界に戻ってくるということでしょう。
私もいまだに対人緊張・対人恐怖が治った、とは言えない。
緊張することについては、昔とあんまり変わらない。
「治したい」という気持ちもまだある。
でも、昔よりも「治したい」という気持ちは
少なくなってきている。
森田療法でいうと、症状のことばかり気にしていても仕方なく、
それは誰にでもあることだから、無くすことはできないと往生して
なすべきことをやりなさいということになる。
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その中で、「私流・森田の読み方」というコーナーがある。
そこに下記のような文章が引用されていた。
『ここで対人恐怖などで、自分の病気が治らないと主張する人は、
いつまでたっても、決して治る時節はこない。
その人は、いくら仕事ができるようになっても、
演説ができても、決してよくなったとはいわない。
いつまでも、人前で恥ずかしい、思う事がスラスラと
いえないかといい張る。
それは夏は暑い、冬は寒いと同様に、
いつまでたっても、どうすることもできない
という事に気がつかないのである。
神経症の症状の治ると治らないとの境は、
苦痛をなくしよう、逃れようとする間は、
十年でも二十年でも決して治らぬが、
苦痛はこれをどうする事もできぬ、
しかたがないと知り分け、
往生した時は、その日から治るのである。
すなわち「逃げようとする」か
「踏みとどまるか」かが治ると治らぬとの境である。』
(森田正馬全集第5巻 p.389)
結局、これも欲を持たないということと
つながってくるのではないでしょうか。
「往生する」とは、妄想の世界から
現実の世界に戻ってくるということでしょう。
私もいまだに対人緊張・対人恐怖が治った、とは言えない。
緊張することについては、昔とあんまり変わらない。
「治したい」という気持ちもまだある。
でも、昔よりも「治したい」という気持ちは
少なくなってきている。
森田療法でいうと、症状のことばかり気にしていても仕方なく、
それは誰にでもあることだから、無くすことはできないと往生して
なすべきことをやりなさいということになる。
