内向的性格を生きる

不安と共に生きる
  by mo-ri-tan
(対人緊張・抑うつ感・劣等感を持ちつつ)

神経質の分類

2008-09-26 00:09:47 | 森田正馬先生の本
 最近は、「神経質の本態と療法」(森田正馬著)を毎日1章ずつ読んでいます。そこで気になった箇所や考えたことなどを、ここに書かせていただいています。
 今日の箇所は「神経質の分類」について。森田先生の言葉では、次の3つに分類しています。
 1.普通神経質
 2.発作性神経症
 3.強迫観念症

 今日は、三番目の強迫観念症のところの説明で気になったところを抜粋します。

 『強迫観念とは、患者がある機会から、ある感覚または感想に対して、これをヒポコンドリー性に病的異常とみなし、これを感じないよう、考えないようにとする反抗心から起こる心の葛藤に名づけたものである。すなわち、精神の葛藤がなければ、強迫観念はない。それ故、本症の治療では患者に純粋にその苦痛を苦痛として味わわさせ、その反抗心を没却すれば、すでに強迫観念はなくなるのである。』(p.54)

 そうか~、「精神の葛藤がなければ、強迫観念はない」のか~と、しばし空を見つめ、考えた。
 森田療法の入院治療では、最初に絶対臥褥といって、気休めになることは一切禁止される期間を過ごすようです。まさにこの時に「苦痛を苦痛として味わわせ」るのかもしれません。私は入院経験がないのでわかりませんが。
 反抗心が没却する、というのは言葉ではなんとなくわかりますが、まだ実感としてはしっくりきてません。

 私の場合には、自分の表情にすごくこだわりがあります。人と話をしていても、自分の表情のことばかりを気にしていたりします。これが「感じないよう、考えないようにとする反抗心」なのかどうかはわかりません。

 ある理想と現在の自分とを比較するということが多いです。それが葛藤になります。人との対応についても、理想の関係というのをまず思い浮かべ、そこからかけ離れている自分に絶望していたりします。

 でも、最近この理想の自分というのを持ち出さずに、そのままの自分が「ああ、これが自分なんだ」とそのまま感じられる瞬間というのがあります。

 いずれにしても、「苦痛を苦痛として味わ」うというのはなかなか難しいですね。苦痛に対しては手を出さずに放っておく、ということでしょうか。