内向的性格を生きる

不安と共に生きる
  by mo-ri-tan
(対人緊張・抑うつ感・劣等感を持ちつつ)

エゴ

2005-05-31 23:04:41 | 考え事
 「自分」がどう思われるか、ということばかりを気にしている。それってまったくの受け身の姿勢だな。相手のことを気遣うとか、思いやるとか、そんなの全然なくて、「自分」のことばかり考えているとしたら、やっぱり「エゴ」だ。幼児性といったらいいのか。じゃあ、自分は相手のこと、どう思っているんだとなると、単に「怖い」とか「バカにしているんじゃないか」というようなことばかりで、相手のこういうところが好きだとか、そういう能動的な姿勢というのがない。そういう、ただただ受動的な姿勢だと、相手も自分のことがよくわからないだろうし、付き合いたいとも思わないだろう。まるでブラックホールのような存在といっていいのか。こちらからも、少しは手を差し伸べることも必要じゃないか。少しばかりは光を放たないと。具体的には、どうするか。もう少し相手の良いところとかを見つけるとか、その辺から始めてみるか。
 というようなことを、考えていました。

考えていること

2005-05-26 21:50:30 | 考え事
 きょう、はたと気づいた。私が頭の中で考えていることと言えば、いつも否定的なことばかりではないか、ということ。仕事をしているときには、「きっと部長は私がロクな仕事しかしていないと思っているに違いない」とか、「なんで自分はこんなに無知なんだろう」とか、「自分は実力もないし、人付き合いもできないのに、将来どうやって生きていけばいいのだろうか」とか、「あの時、あんなことしなければよかった」とか、そういうことばかりなのだ。
 内向的な人間だから考え込んでしまうのは仕方がないかもしれないが、同じ考え込むのだったら、もう少し他のことを考えようと思った。とりあえずは否定的なこと以外だったらいいやと思って、例えば灰皿を見たら、もう少し改善しようとするとどういうことになるだろうか、とか。ある意味無理やりなところはあるかもしれないが、あえてそのようなことをしてみた。そしたらいつもより少し気が楽になったような気がした。
 いつも死んでしまいたい、というような絶望的な思いを持って生きてきた。そして実際生きていることがいまでも辛いのであるが、きょうは少しばかり気持ちが楽になって良かった。

対人緊張

2005-05-24 21:30:21 | 考え事
 内向的性格って、やっぱり損でしょうか。私が悲しくなる瞬間というのは、例えば他の人とは楽しそうに話をしている人が、私の前では緊張したり、気を使ったりしているのを見たとき。自分は相手を緊張させてしまう存在なのだ、と思うと悲しくなります。何せ私が緊張しているものだから、相手もやっぱり緊張してしまうのでしょう。
 相手によく見られたいから、他人の目を意識しすぎて緊張する。それがかえって相手との関係を築く上で支障になってしまう。
 友達があまりいないから、人とのつながりをのどから手が出るくらい渇望しているのに、相手との関係が深まらない。こういう人間だから、ほんのたまに人とつながりを少しでも感じられたとき、とても嬉しくなります。幸せな気分になります。外交的な人は友達がたくさんいるから、ちょっとした人との関係など、どうということもないのでしょう。でも私の場合には、とてもありがたく感じる。そういうちょっとしたことに幸せを感じられるというのは、やっぱり内向的な人間に与えられた特権なのかもしれませんね。

飲み会

2005-05-22 21:44:04 | 考え事
 飲み会は苦手です。前にも書きましたが、自分が話の輪に入れないこともあって、楽しいというよりも苦しいことが多く、早くお開きにならないものかと、そればかりを祈っている有様です。なので大抵の場合には、飲み会は欠席してしまいます。
 「内向的性格を生きる」ことを目指す私としては、そういう飲み会の場でも、自分も話の輪に加わるためのきっかけを学ぶ機会にしようかと思っています。なんか楽しそうじゃない、と思われるかもしれませんが、そういう問題意識でも持っていたほうが、単に落ち込んでいるよりかは少しはいいんじゃないかと思って。ずっと飲み会を避け続ける、という手もあるのですが、それだと本当に孤立してしまうかもしれないので、最低限はやはり参加しようかと思っています。
 性格の明るい人ならば、会話そのものを楽しんでいるようなので、それはそれでいいのですが、内向的な人でも、人の話を聞いて楽しそうにしているのを見受けます。話をしている人だけでなくて、そういう人のことも見習いたいと思います。
 あまり発言はしないけれども、輪の中に入って楽しそうにしている人をみると、いいなあと思います。何か落ち着いた感じを持ちます。私などは、ちょっと輪から外れてしまうと、あたふたとしてしまい、何か話題はないものかと頭の中でどうどうめぐりをしてしまったりするのですが。
 このことだったら、一晩中でも話せるというような、そういう世界を持てればいいなと思います。そういうものを持っていたら、話すことも出てくるでしょう。理想論かな?まあ、これから少し勉強です。
 というのも、今日、実は飲み会で、まったく緊張の連続だったのです。ああ、やっぱり自分はこういう人間なのだと、例によってまた落ち込んでしまったのですが、帰りの電車の中で、上のようなことを考えていた次第です。

うつ病

2005-05-18 23:08:50 | 日々の出来事
 きょうの朝刊をみていたら、1面にうつ病に関する記事が載っていた。『うつ病の診断書 医師9割「表現弱める」』という見出しである。会社に復帰するときに、少しでも支障のないようにとのことで、医師が診断書の表現に「うつ病」と記載しないのだそうだ。
 キーワードとして、うつ病について説明がされている。それによると、03年秋までの一年間に一ヶ月以上休業した労働者は47万人なのだそうである。この人数の多さに驚いた。実際に休業した人がこれだけいるとしたら、その予備軍というのはおそらく倍以上いるのだろう。5倍くらいいるとすると、約250万人ということになる。
 私も、今の自分を考えてみると、まさに休業寸前である。今までの中で一番苦しい。何でこんなに苦しいのか。仕事を辞めてしまったら、どんなに楽になるだろうと思う。精神科にかかったわけではないが、確実に抑うつ状態だとは診断されるだろう。

 最近、ニートという言葉が新聞でよく見かける。働かない若者が増えているのだという。今の企業は成果主義といって、会社にいくら貢献したかで給料を決める。そういう制度の中で、私を含め多くの人が苦しんでいると思う。そういう企業のあり方というのを、多くの若者はうすうす感じているのだろう。だから、働きたくないという気持ちもよくわかる。他に要因もあるのかもしれないが。

 いずれにしても、今苦しんでいる人がたくさんいる。

劣等感について

2005-05-17 22:43:49 | 考え事
 「劣等感」についてここ数日考えている。単に劣等感で悩んでいる、というのではなくて、そこからもう一歩前に進みたいと思ったから。
 私は劣等感がとても強い。いつも他人と自分とを比較して、落ち込んでいる。劣等感が強いからといって、なんでそんなに苦しいのかと不思議に思われる方もいるかもしれない。
 今までも、劣等感を克服すべく、仕事から帰ってきて勉強したりした。しかし、いくら勉強しても身につかない。結局、勉強したくてやっているわけではないのだ。何でそんなに優秀になりたいのかというと、人から高く評価されたいからなのだろうと思う。
 おそらく私よりも仕事のできない人というのは、実際いるだろう。だけれども、別に劣等感などを持たずに、元気に明るく生きている人もたくさんいる。とすると、実際に頭が悪いとか良いとかいうことと、劣等感というのは必ずしも結びつかないのだ。だとしたら、いくら勉強したところで、劣等感はなくならない。世の中にはわからないことがたくさんある。一人の人間が蓄えている知識などたかが知れている。他人と自分を比べている人は、極端なことを言えば、この世のすべてのことを理解するまで、劣等感を持ちつづけるのだろう。とすると、単に知識を身に付けようという努力は、不毛な努力なのかもしれない。だから、人と自分を比較するのを止めることだ。だけど、それがわかっていても、やはりすぐに比較するのを止められるわけではない。他人に評価されることによって、自分の価値を見出すことよりも、自分で自分のことを評価できるような人間になることだ。かといって、そういう人間になるにはどうしたらいいのか、よくわからない。人と比べたがるという基本的な気質は変えられないのかもしれない。
 で、ふと思ったのは、まったく向上意識のない人は、劣等感など持たないだろうということ。向上したいという気持ちを持っているからこそ劣等感を持つのだ。だから、向上したいという自分の気持ちを大切にして、ちょっと努力してみるか、と思った。結局は、森田理論で言っているような内容に行き着いた。
 先ほどは、単に知識を身に付けるというは不毛の努力だと書いたばかりである。だけれども、やっぱり少しでも知っていることが増えたほうが楽しいことも事実だ。

不安の力

2005-05-15 09:15:04 | 読書感想
 今読みかけている本があります。五木寛之さんの「不安の力」という本です。古本屋で105円で買ったのですが、とてもいい本です。私が一番共感するのは、不安というものを決して排除すべきものと捉えるのではないというところです。『不安があればこそ、そこから解放されたときの喜びとやすらぎがあるのです。』(p.11)
 私も毎日不安だらけです。朝起きたときから夜眠るまで。このまま会社でやっていけるだろうか、という不安。会社に行けば、自分の実力がばれてしまうのではないか、という不安。人間関係でも、人から嫌われているのではないか、という不安。本当の根暗な自分がばれてしまうのではないかという不安。その他たくさんの不安を抱えています。
 ただ、今は、五木さんと同じように、自分のそういう一見否定的に見えることであっても、それを排除するというよりも、それをちょっと見つめなおしてみるというところから始めたいと思っています。
 『不安は人間の優れた、大事な警報の働きなのです。不安という警報機が鳴らないのは、泥棒がはいっても警報機が作動しないのと同じで、非常に困ったことだと思えばいい。要するに、不安というのは、人間が本来持っている強い防衛本能なのではないでしょうか。』(P.48)
 『不安というものは、漠然としたものです。将来の不安という。そういう人は、とりあえず何とか安定した暮らしが成りたっている人でしょう。今夜どこに寝るか、果たして夕飯にありつけるののか。そうした目の前の困難と闘って生きている限り、不安は問題ではありません。
 不安は、まず人間らしく生きようと思うこころの余裕から生まれてくる質の高い感覚だと思うのです。
 不安を抱くことは、人間らしく生きていることだ。まず、そこから出発することを前提として、不安についていろいろ考えてみたいのです。』(p.15)
 私もこのブログの中では、そういうスタンスでやっていきたいと思います。

森田療法

2005-05-13 23:59:33 | 生活の発見会
 今まで自分のこの内向的・神経質性格を変えようと、様々な努力をしてきました。色々な心理学等のセミナーにも参加しました。しかしながら結局は昔の自分とちっとも変わっていないじゃないかと、絶望的な思いになりました。相変わらず人とうまくやっていくことができない自分のままなのです。
 最近、職場環境が大きく変わったせいもあるのでしょうが、気持ちの落ち込みが激しく、このままだと鬱病にでもなってしまうような気がして(すでにかなりの抑鬱状態ではあったので)森田療法を実践する組織である「生活の発見会」の集まりに参加してきました。
 森田療法については、http://www.mental-health.org/ をご参照ください。ここにこのように紹介されています。
 『人間関係がうまくいかない。つまらないことで、すぐクヨクヨする。ささいな身体の不調におびえる。ストレスがたまる・・・。こんな悩みを抱えていませんか?だれにも言えず、ひとりで苦悩していないでしようか?
 そんな人のために神経症にたいする代表的な精神療法「森田療法」を紹介しました。この森田療法は、神経症の療法というだけにとどまらず、“人間的な悩みをいかに受けとめ、どう克服していくか”について、示唆を与えてくれることと思います。
 森田療法というのは、神経症(神経質症)の悩みを解決するための、すぐれた精神療法です。これは、慈恵医大名誉教授の森田正馬博士が、1920年ごろから始められた精神療法で、今日では世界的に知られた神経症理論となっています。
人間が本来もっている、人間らしい欲望や不安、感情のメカニズムなどを科学的に解明-その理論にもとづき、「ある がまま」の心を育てることによつて神経症をのりこえていくのが森田療法の主眼です。したがって、生き方の“再教育”とも呼ぶべきものでしょう。』

 「生活の発見会」とは神経質症の人たちが森田療法を学びつつ、会員同士が支えあっている互助組織です。(http://www.hakkenkai.gr.jp/)

 そこで色々自分のことを話しました。そうしたら、少し楽になることができました。他の人に自分のことを話すことで、少し自分のことが客観的に見れるようになった気がします。自分はまったく価値の無い人間だと決めつけれいるけれども、0点ということではなくて、少しは良い所ももあるだろうから、そういう所を見ていこうと思いました。
 これから、自分の性格を変えるということよりも、自分のこの内向的な性格はそのままとして、その自分で生きていくということをしていきたいと思っています。

自己紹介

2005-05-11 22:03:37 | 自己紹介
まずは自己紹介から。私は大変に内向的な人間です。人間関係を築くのが苦手です。だからあまり友達がいません。というか、友達と言える人がいるかどうか。中学校の時には、1人だけ遊ぶ相手がいましたが、高校になってくらいからは、友人と言えるような親しい人はいませんでした。だから高校を卒業するとき、一緒に祝う相手もおらず、だからといってそういう孤独な自分を人に見られるのが嫌で、校門から走って逃げるように家に帰ったことを覚えています。大学のときも、孤独でした。だから卒業して会社を選ぶときに目指したのは、なるべく人と接することがないような職場環境だったのです。 人と話すとき、笑おうとしても顔がこわばってしまいます。この人と友達になりたいな、知り合いになりたいなと思う人であればあるほど、その人の前でぎこちなくなってしまいます。会話そのものよりも、自分の表情を整えることばかりに気がいってしまいます。緊張しているのに、緊張しているところを見られたくないのです。 一般的な雑談がとても苦手です。みんながげらげら笑っているような場にい合わせたときには、いたたまれなくなります。穴の中にでも入りたくなります。笑おうとしても緊張のあまり笑えないのです。人と一緒にいるのが苦痛です。だから一人でいるのが何よりも楽です。人と別れるとほっとします。 今も使われている言葉なのかわかりませんが、「根暗」ということばに非常に恐怖を感じます。人から「根暗」だと思われることがたまらなく辛いのです。 いつも、人にどう思われるかばかりが気になります。あの人は私のことをバカにしているに違いないと思って、それだけで萎縮してしまいます。人と話をしていても、どう思われるか、ということばかり気にしています。相手に自分を良く見せようとばかりします。 宴会が苦手です。ほとんど会話をしないことも多いのです。自分だけが会話の輪の外になってしまうこともよくあります。自分を境に左右に話の輪が分かれてしまって、どっちの話を聞こうかときょろきょろしている自分が嫌になったりします。そうなってしまうのが怖いので、宴会は極力さけてしまいます。 自分に対してまったく自信がありません。人が私のことを好いてくれるということが信じられないのです。最終的には人から嫌われる、という確信に近い思いがあります。だから人と話をしていても、最終的にこの人は私から離れていってしまうと思ってしまうのです。 いつも後悔ばかりしています。年がら年中、後悔しています。ああすればよかった、こうすれば良かったと。思わず恥ずかしさがこみあげて来たりして「あー」を声を出してしまったりすることもあり、それはそれでまた恥ずかしい思いをしたりします。 劣等感がものすごく強いのです。特に勉強に関して。頭がいいのに単に劣等感が強いのではなくて、本当に頭が悪いのです。高校、大学では大変な落ちこぼれでした。そして今も一般的な社会常識が欠如しています。こんなこと知らないの、とびっくりされるかもしれません。休日になると、朝から勉強しようとします。効率的に休日を過ごそうとします。でもやらなければ、やらなければという思いばかりが強くて、かえって何も手につきません。本を読んでいても、まったく頭の中に入ってこないのです。だんだん焦ってきて、とりあえずテレビでも見ようかとスイッチをつけると、そのまま夜中まで見続けたりします。朝8時から夜の1時くらいまでずっと付けっぱなしにすることもありました。そうしたとき、泣きたくなるくらいに落ち込みます。 会議などでも自分の意見をほとんど述べません。人と異なる意見を主張するなんてことはできません。高校のときにも、「いてもいなくても分からない奴」とよくバカにされました。 すぐに知ったかぶりをします。分かっていないのに、「ああそうです」なんて答えたりします。でも結局はよくわかっておらず、間違ったことを言っていたりして、また後悔してしまうのです。 朝起きたとき、気持ちが深く沈んでいることが多いです。寝ているときだけが幸せ。今日もまた会社に行かなくてはならないというのがとても憂鬱です。いつも週末が早くくることばかりを望みながら平日を過ごしています。サザエさん症候群というのがありますが、日曜日の夜は憂鬱な気持ちになります。 すぐに落ち込みます。もう駄目、死にたいと思ってしまいます。まったく将来にたいする希望がわかなくなってしまいます。 自己紹介はこの辺にします。ここまで自分のことをさらけ出して話したことはありません。こんな私ではあるのですが、これから苦しみと共に、なんとか生きていきたいと思っています。生きる手がかりが見つかればいいと思っています。