とあるセミナーに参加した。
講師が話してくださるのに応じて、
私は時折頷きながら聞いていた。
でも、そこではたと気づいた。
私は、講師の話の内容に納得して
頷いているわけではなかった。
講師の人に、「私はあなたの話を聞いています」
というメッセージを伝えるために、
私は頷いていたのだ。
(意識してそうやっているのではなくて、
自分の行動を第三者的に見てみたら、
そのようなことに気づいたということ。)
たぶん、講師の人も、
私の頷きが偽者であると見抜いているのでは、
と思った。
私は、講師の話を聞きながら、
実は自分の頭の中の思考に閉じこもって、
色々と考え事をしているのであった。
これはある意味、大きな発見であった。
いつも、自分の内に思考、関心が向いている。
外界には向いていない。
そこで改めて、森田先生の
「見つめよ」の言葉の重要性が
改めて胸に迫ってくる。
自分の内に向いている意識を、
強制的にでも、外に向けるようにすること。
講師が話してくださるのに応じて、
私は時折頷きながら聞いていた。
でも、そこではたと気づいた。
私は、講師の話の内容に納得して
頷いているわけではなかった。
講師の人に、「私はあなたの話を聞いています」
というメッセージを伝えるために、
私は頷いていたのだ。
(意識してそうやっているのではなくて、
自分の行動を第三者的に見てみたら、
そのようなことに気づいたということ。)
たぶん、講師の人も、
私の頷きが偽者であると見抜いているのでは、
と思った。
私は、講師の話を聞きながら、
実は自分の頭の中の思考に閉じこもって、
色々と考え事をしているのであった。
これはある意味、大きな発見であった。
いつも、自分の内に思考、関心が向いている。
外界には向いていない。
そこで改めて、森田先生の
「見つめよ」の言葉の重要性が
改めて胸に迫ってくる。
自分の内に向いている意識を、
強制的にでも、外に向けるようにすること。