内向的性格を生きる

不安と共に生きる
  by mo-ri-tan
(対人緊張・抑うつ感・劣等感を持ちつつ)

欲望について 森田 vs 小池龍之介

2011-09-13 23:34:27 | 考え事
『「ああしたい」「こうしたい」「あんな自分になりたいなあ」
といったかたちで欲望をつくることは、
目の前のやるべきことから意識を遠ざけ、
集中力を喪失させてしまう性質をもっているのです。』
「もう怒らない」(小池龍之介著)(p.23)

『仏道的な心構えを保ちながら厳密に
心を観察し続ければ、欲望が煩悩という名のとおり
「煩わせ悩ませる」ストレス要因であることを発見できます。』
「もう怒らない」(小池龍之介著)p.14)

『これと同じく、赤面恐怖は、優秀欲・支配欲・
権勢欲・負けおしみ・勝ちたがりの反面でありまして、
そのための劣等感や恨みごと、
過去の繰り言等に悩むものであります。
したがって、その着眼点を恐怖の方ばかりに向けず、
その欲望の方にのみ向けさえすれば、
心機一転、強迫観念は全快するのであります。』
(現代に生きる森田正馬のことばⅠ p.73)

小池龍之介さんは、仏道の立場から、
「欲望は「苦しみを生み出すための種子となります。」
「もう怒らない」(小池龍之介著)(p.23)
と書いている。一方で森田先生は、欲望に目を向けろと
おっしゃる。

両者は異なっていることを言っているように見えますが、
結局は、同じことを言っているのではないかと思います。

森田先生も「欲望」の弊害について、以下のように書かれています。

『たとえ最上にできたとしても、神経質の際限なき空想的な欲望は、
その事実を正しく認識することができないで、
「もっと楽に、スラスラとできる法はないか」というふうに考えたがる。』
(現代に生きる森田正馬のことばⅠ p.72)

しかしながら、簡単に欲望を捨てることなどできない。
だから、欲望があることは事実として認める。
恐怖ばかりに目を向けて何もしないのではなくて、
恐怖を生み出している欲望にも目を向けて、行動する。

余計なことは考えずに、やるべきことをたんたんとやる。
結局はこのことに尽きるように思います。

「ブッダにならう 苦しまない練習」(小池龍之介著)

2011-09-07 23:38:43 | 小池龍之介
『例えば「仕事がつまらないせいでダルいよ」
と感じることも多いでしょう。
けれども、その仕事について「つまらない」という
脳内情報処理をしているがゆえに、
ダルくなっているだけのことで、
そういった思考をせずにせっせと取り組みましたら、
同じ仕事でも楽しくなってきます。
ですから悪魔は「つまらない仕事」ではなく、
「仕事についてつまらないと考えてダルくなる心」
のほうなのです。』(p.85)