内向的性格を生きる

不安と共に生きる
  by mo-ri-tan
(対人緊張・抑うつ感・劣等感を持ちつつ)

きょうはこんな日でした

2008-09-05 01:02:52 | 森田療法の実践
7時10分頃、マンションを出る。通勤電車の中で「現代に生きる森田正馬のことばⅠ」を読む。会社の自分の席には、いつも8時頃到着する。始業が8時30分なので、ここでもしばし読書。8時25分から全員で体操。何ヶ月か前までは痛くて首を回せなかったのに、今は痛みが全然ない。ただ首を回せるということだけなのに、とても嬉しく、ありがたく思う。
 夜、10時まで仕事。結構頭を使ったので疲れた。自室に帰ってきたのは、10時40分くらい。
 いつもは真っ先にパソコンをやり始めるのだが、今日は止めにして、先にやらなくてはならないことをやることにした。お風呂に入り、出たら昨日干しておいた洗濯物をたたんでタンスにしまった。歯を磨き、床の掃除をし、タンスの上にほこりがたまっていたので、雑巾がけ。やらなくてはならない課題があったので、テキストを広げて、問題を解く。ここまでで12時30分。
 課題については、ずっと前からやらなくてはと思っていたので、やれて良かった。今日はなかなかよく行動できた。といって、毎日こんなふうに過ごしているわけではない。1ヶ月に1日あるかないかくらいかもしれない。

 今日読んだところで、印象に残った箇所。
 『神経質の患者が、治療法の広告に迷うとか、あるいはここへ入院して、早く治したいとか、という気分が起こるときは、学校の休学とか会社の辞職とか、どうなってもよい、という気分になることがある。それは「逃げ腰」になるからである。学校や奉職のことを、自分の生活の第一条件にして、その休暇を利用して、精神修養をするとかいうことになれば、それだけでも病気は進まないでよくなるのである。
 つまり逃げ腰になるということは、あるいは対人恐怖が、人前で恥ずかしく思わないようにとか、顔の表情を不自然にしないようにしようとするとか、あるいは不潔恐怖の人が、汚くてゾッとするような感じを、さっぱり気の晴ればれするようにと思って、手を洗うときとか、あるいは鼻の先が目障りになるから、これを見ないようにしようとかするときなどで、すべてそのいやな気持ちをなくそうとすればするほど、胸はムカムカし眼はくらむようで、頭はガーンとして気も取り乱すとかいうふうになる。』「現代に生きる森田正馬のことばⅠp.88)

 できたら、1ヶ月くらい会社を休んで、森田の入院療法を受けたいと思う。無理だと分かっているけれども。やっぱり逃げ腰になっているところがある。会社なんてどうでもいいやと思ったりする。でも、20年近く会社に行き続けている。これで良かったのかもしれない。会社に入る前に森田に出会っていて良かった。