『いろいろ迷ったあげく、
どうしても森田療法を措いて治す方法はないと観念した。
しかし森田博士のところを許可も得ずに退院した手前もあって、
再入院をお願いする勇気がでない。
それでこんどは、森田博士の高弟、
宇佐玄雄博士の主宰される三聖病院に入院した。
それは昭和五年盛夏のころであった。
ここで三ヶ月ばかり入院して、いろいろの教示を受けた。
入院といっても、普通の入院とは異なり、
一種の修養療法である。
その療法というのは、主観的な気分や感じは
事実そのものではないのであるから、
自分の気分がどのようであれ、気分にはかまわないで、
自分本来の性情である向上心を満足させる方向に
邁進することを会得させるのである。
神経質の患者が苦しむのは、自分が向上しようとするのに、
何か障害がある、その障害を除きたいのに
どうしても除き得ないことに、いら立つ気分にほかならない。
ところがその障害たるや、書痙などの神経質の場合は、
みずからつくり上げた主観的なものであり、
架空のものである。
したがって当人としては主観的にはどう感じようと、
病感にかまわず、自己の向上に一路精進するより仕方がないことを、
教えられたのである。
このようにして私も往生したというか、あきらめたというか、
ついに会社の仕事に精進することが
いちばんの治療法であることを悟った。
もちろん自分では完全に治ったとは思っていなかったが、
退院して会社にでようと決心した。
こう決心させることが、
森田療法の一つのねらいであることもわかったのである。』
(「慎重で大胆な生き方」水谷啓二著 p.146)
どうしても森田療法を措いて治す方法はないと観念した。
しかし森田博士のところを許可も得ずに退院した手前もあって、
再入院をお願いする勇気がでない。
それでこんどは、森田博士の高弟、
宇佐玄雄博士の主宰される三聖病院に入院した。
それは昭和五年盛夏のころであった。
ここで三ヶ月ばかり入院して、いろいろの教示を受けた。
入院といっても、普通の入院とは異なり、
一種の修養療法である。
その療法というのは、主観的な気分や感じは
事実そのものではないのであるから、
自分の気分がどのようであれ、気分にはかまわないで、
自分本来の性情である向上心を満足させる方向に
邁進することを会得させるのである。
神経質の患者が苦しむのは、自分が向上しようとするのに、
何か障害がある、その障害を除きたいのに
どうしても除き得ないことに、いら立つ気分にほかならない。
ところがその障害たるや、書痙などの神経質の場合は、
みずからつくり上げた主観的なものであり、
架空のものである。
したがって当人としては主観的にはどう感じようと、
病感にかまわず、自己の向上に一路精進するより仕方がないことを、
教えられたのである。
このようにして私も往生したというか、あきらめたというか、
ついに会社の仕事に精進することが
いちばんの治療法であることを悟った。
もちろん自分では完全に治ったとは思っていなかったが、
退院して会社にでようと決心した。
こう決心させることが、
森田療法の一つのねらいであることもわかったのである。』
(「慎重で大胆な生き方」水谷啓二著 p.146)