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内向的性格を生きる

不安と共に生きる
  by mo-ri-tan
(対人緊張・抑うつ感・劣等感を持ちつつ)

「ブッダにならう 苦しまない練習」(小池龍之介著)

2011-09-07 23:38:43 | 小池龍之介
『例えば「仕事がつまらないせいでダルいよ」
と感じることも多いでしょう。
けれども、その仕事について「つまらない」という
脳内情報処理をしているがゆえに、
ダルくなっているだけのことで、
そういった思考をせずにせっせと取り組みましたら、
同じ仕事でも楽しくなってきます。
ですから悪魔は「つまらない仕事」ではなく、
「仕事についてつまらないと考えてダルくなる心」
のほうなのです。』(p.85)


「もう、怒らない」④ (小池龍之介著)

2011-05-02 11:00:12 | 小池龍之介
第一章 欲望はストレスの素
-何も考えずただやるのが、一番疲れない-

『世の中では、何かをなしとげるためには、
欲望のエネルギーが必要だと考えられています。
しかしながらそれは、心の仕組みに対する勘違いです。』(p.22)

『「ああしたい」「こうしたい」「あんな自分になりたいなあ」
といったかたちで欲望をつくることは、
目の前のやるべきことから意識を遠ざけ、
集中力を喪失させてしまう性質をもっているのです。』(p.23)

『その仕事を始める前なら、
「こうしたい、ああしたい」
と考えるのもかまわないでしょう。
しかしながら、一度仕事を始めたら、
一瞬間、一瞬間において、
目の前のことだけを一つ一つ確実にやってまいりましょう。
そうすると、頭で余計なことを考えたり、
欲望によって心を乱されたりすることがありません。』(p.23)


今までどちらかというと場当たり的に仕事をしてきた。
ある程度の優先順位はつけているものの、
「今日、何をやるのか」
ということをはっきり決めないで仕事をしていた。

最近は、まず朝に1日のスケジュールを立てることにしている。
何と、何を、何時から何時まで、といった具合に。
1日のスケジュール表を作っておいて、
それを基に仕事をする。
終わったら実績も入れる。

1日の初めに色々考えておく。
そうして後は決めたことに対して、
ああだこうだと考えないで、
ひたすら仕事をこなしていく。

そうすると、仕事に集中できる。
これはいい収穫だった。

もちろん飛び込みの仕事も入ってくるから、
予定通りにはならないこともあるけれども、
そういう場合も、何をやったのかという
実績だけは書いておく。

仕事に集中すると、気持ちがリフレッシュする。

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「もう、怒らない」③ (小池龍之介著)

2011-04-30 22:32:17 | 小池龍之介
第一章 欲望はストレスの素
-願いは満たされた瞬間に虚しくなる-

『「この欲望を満たせば幸せになれるのではないか」
ということは、実は妄想です。』(p.20)

『そして、欲望が実現すると、不快感が消えたことで
瞬間的に快楽を感じるものの、
その後は刺激が発生しなくなるため、
一気につまらなくなってしまいます。
これが幻滅の正体です。』(p.20)

『欲望が実現しないと、
そのことによる苦しみを受けるのみならず、
「この欲望さえ実現すれば幸せになれるはずなのに」
式の妄想に取り付かれてしまいます。
そこに待ち受けているのは、
今の自分が幸せでないのは「魔法の石」
が手に入らないせいだ、
「魔法の石」さえ手に入れば
幸せになれたはずなのに・・・という妄想ループです。』(p.20)

オリンピックでメダルを取った選手が
その後の人生で色々思い悩むような話を
よく耳にする。

金メダルを取るという、一生をかけた取り組みが実現しても、
本当の幸せは手に入らなかった、ということでしょうか。

私のような凡人にはわからない領域なので、
推定の域を出ないのですが。

そんなに大きなことではなくても、
大学に入ったら・・・
年収が**になったら・・・
結婚したら、・・・
この性格が直ったら・・・
etc.
幸せになるだろうと思ったことはあった。

求めているものが、
人からの評価を得るためのものであるとしたら、
ちょっと気をつけたほうがいいのかもしれない。

願いを持たないで、ただたんたんと生きていく、
与えられたもの、状況に
感謝していきていく。

そういう人生を歩くのが「願い」!?です。

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「もう、怒らない」② (小池龍之介著)

2011-04-29 15:54:16 | 小池龍之介
第一章 欲望はストレスの素
-「欲望が人を元気にする」という錯覚-

『本人が気づいていようといまいと、
「手に入っていない、苦しい」という不快感は、
潜在意識の中に負のエネルギーとして溜まり、
いつかまた別の苦しみを生み出すための種子となります。』(p.18)

『「手に入っていない」という不快感自体は心の問題ですが、
心は不快感に染まると、
必ずそれに応じて微細な物質をつくり出します。
分かりやすいレベルでいえば、ノルアドレナリンや
アドレナリンといった不快物質を発生させ、
体にダメージを与えます。(中略)
このような体の変化が、知らず知らずのうちに本人をイライラさせ、
集中力を低下させ、日常的な所作を乱暴なものへと
変えてしまいます。したがって、欲望をつくればつくるほど、
人格が品位を欠いたものになっていくのです。』(p.18)

電車を待っているときに、
ドアが開いたら、降りる人がいるにもかかわらず、
中に突進していって、
席に座ろうとしている人がいる。

電車が来るまえから、
「座りたい、座りたい」という欲でいっぱいになっていて、
心中穏やかではないだろう。
たぶん、体にもストレスがたまっているに違いない。
一方で座れたらいいけど、まあ立っていてもいいか、
というふうに思っている人にとっては、
別に電車を待っている間にも平然としていられるだろう。

ただし、欲があるにも関わらず、
世間体もあるから、降車の人を待ってから
乗り込む人にとっては、
一目散に突進していく人のことを
責めるに違いない。
(私自身のことです。)

だから欲のないフリをしているだけでは、
体に対してストレスが発生していることについては
変わりないだろう。

突進していく人よりも葛藤があるから、
ストレスは逆に高いかもしれない。

欲があるのは、心が乗る前から、
すでに乗った後のことに意識が向いてしまって、
「今、ここ」から遊離してしまっているからだろう。

欲を無くすということよりも、
一瞬一瞬、今ここにいるという意識を向けて、
過ごしていきたいと思っている。

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「もう、怒らない」(小池龍之介著)

2011-04-28 23:57:25 | 小池龍之介
第一章 欲望はストレスの素
-苦しみに鈍感になってしまった大人たち-

『欲望が、人のやる気を失わせて元気を喪失させる、
ストレス要因であることを、
ほとんどの人が理解していません。

仏道的な心構えを保ちながら厳密に
心を観察し続ければ、欲望が煩悩という名のとおり
「煩わせ悩ませる」ストレス要因であることを発見できます。』(p.14)

『欲望、とりわけ、実現しそうにない欲望は怒りを生み出し、
体に激変をもたらし、苦痛を与え、幼児を泣き叫ばせます。』(p.16)

『身体反応へのセンサーが敏感であれば、
欲望をつくると心も体も苦痛を味わうことを思い知らされます。』(p.16)

欲望が生み出す苦痛というものを
感じる敏感さが、今の私にはない。

人より優れたいという優越感は、
からだにはストレスなのかもしれない。
優れたいという欲がなければ、
人を責める気持ちにもならないだろうし、
自分ができないときにも落ち込むこともないのだろう。
そういう穏やかなこころのほうが、
確かにからだには良さそうだ。

からだへの敏感さを取り戻したく、
人と会ったとき、からだはどんな反応をしているのか、
そんなことを意識しようとしたりしているが、
なかなかその場になると、忘れてしまって、
からだに注意が向かなくなる。

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「こころ」が「からだ」から遊離すると悩みが生まれる

2011-04-27 23:46:55 | 小池龍之介
小池龍之介著「もう、怒らない」
を読んでいる。

これを読みながら思ったことだけれども、
からだ(五感)から心が離れてしまったときに、
悩みは生ずるものだと思った。

いつのまにか頭の中で考え事をしている。
するとたいていの場合、悩みが生ずる。

こころが遊離しそうになったら、
とにかく五感を意識して、「今、ここ」に戻る。

これは森田療法にも通ずる。
森田療法でも、五感を大事にしる。
「感じを高める」
という表現もある。

なるべく心がからだ(五感)から離れないように、
いつも監視をする。
離れたら引き戻す。
これを今日は意識してやっているが、
なかなか調子よさそうだ。

悩みは自分が勝手に作っているともいえる。

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苦しまない練習 小池龍之介著

2011-04-22 22:22:14 | 小池龍之介
Lesson2 大人になる

『今の世の中では、打算なき真の友だちは、
めったにみつからない。

人々はこざかしくも
損得勘定のそろばんをはじいてばかりで、
君を食いものにしようとしている。

ゆえに真の友が見つからない時は、
いっそのことただ独り歩むのが潔い。』
(ブッダ 小池訳)

『無条件の愛とは得がたいもので、
人は条件なしに他人に良くすることは
ほとんどありません。
それを安易に求めようとしても、
そうそう得られるものではないのです。
ブッダはそれを嘆いているわけではなく、
十分にわかっていなければならないよ、
と戒めているのではないでしょうか。

打算のない真の愛情や友情は滅多にない、
人は条件抜きに他人に良くしてあげることも
ほとんどない。
それをわかったうえで、常に自分だけで満足
できるような心持でいると心が楽になる、ということ。』(p.31)

Lesson1もそうですが、「他社への甘えや依存」
という「幼い気持ち」があると苦しくなる、ということでしょう。

『一見、とても厳しい言葉ですけれども、
「誰とも付き合うな、誰も信じるな」
という暴論ではありません。
「精神的に独立していましょう」というメッセージなのです。』(p.27)

他人に対して期待しないこと。

会社にいると、勘違いしてしまう場合も多い。
会社で先輩から悪く思われたらマズイから
先輩に対してちやほやしたりする。
あるいは肩書きがあるから、
なんとなくヨイショしているところがある。
まさに打算だらけの人間関係とも言える。

だけれども、完全に打算的かというとそうでもなく、
10%くらいは本音で付き合っているところもある。
打算的ということは承知の上で、
本音のところは大事にしたい。

ちやほやされても、つけあがらないことが
大事かもしれません。

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「苦しまない練習」 小池龍之介著

2011-04-22 00:31:41 | 小池龍之介
第1章 人づきあいを整え直す
Lesson1 非難に備える。

『みんなとにかく何かにケチをつけたがっていて、
強引にでも理由を見つけてケチをつける。
世間というのはしょせんこんなもの。』
(ブッダ-小池訳)

『それは、私たちの心のどこかに、
「この偉大な私が否定されるのはおかしい、
誰もが認めてくれないと許せません」
という妄想があるからです。』(p.20)

『心の底では
「そうはいっても、自分の考えが一番正しくて素敵なんだもん」
という幼稚な思考の方が強かったりするものです。』(p.20)

『腹の底では
「自分の考えに一人残らず同調すべきだ」
と思っているのです。』(p.20)

『ところが現実には、自分の見解に同調しない人が現れますので、
都合の良い脳内妄想が壊されてしまうため衝撃を受けます。』(p.20)

『つまるところ、世の人々に「わかってほしい」という甘えや期待を
抱くのをスパッと捨てて、先に幻滅しておくことが肝要と申せましょう。』

他人から非難を浴びた、ということで思い出すのは、
前の会社の上司のこと。
何かにつけていちゃもんをつけてきた。
理不尽な言葉の攻撃で、悔しくて眠れない夜を
何度かすごした。

ただ、具体的に非難されることは意外と少ないかもしれない。
というのは、非難されるのがとても怖いので、
いつもあまり自己主張しないから。
意見を言うとしても、みんなが受け入れてくれそうなことしか言わない。

ちょっと非難されたら、もうずどーんと落ち込んでしまう。
非難に対する免疫がない。
だから非難を恐れ、いつも身構えている。

実際に非難されるというよりも、
非難されているのではないかと思い込むことが多い。

一方で、心の中で他人を非難していることも多い。
自分の価値観と合わないような人に対しては、
心の中ではひどく責めている。

聖書に、
「裁く人は裁かれる。裁かれない人は裁かれない。」
というような言葉がある。

非難を恐れている人は、
必要以上に人を責めているのかもしれない。

このLessonは、「非難に備える」
ということであるが、非難というよりも、
人から好かれない、ということも含めて考えていいかと思う。

ついつい全員から好かれたいと思ってしまう。
ひとりから嫌われただけでも傷ついてしまう。

全員に好かれたい、というような
自分の幼稚な妄想に気づき、
「先に幻滅」しておくことにいたしましょう。

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座禅の効用

2011-04-20 00:02:11 | 小池龍之介
最近、小池住職の影響で座禅を始めました。
そうしたら、朝までぐっすり眠れるようになりました。

一時、あんまりにも眠れないので、
「心身がつかれ眠れない方に」
と書いてある薬を買って飲んでいました。

けれども、今はその薬に頼ることはなくなりました。

ただし、座禅をサボると、
また不眠が少々でてきます。

ここ2日間くらい、2時間ほど眠ったら
目が覚めてしまうことが続きました。

そういうときも呼吸に意識を向けていると、
自然と眠ってしまいます。

なんで座禅をやると眠れるようになるかは
わかりません。

ただ、座禅をすることで心が静まる感じがします。

今の感覚を大事にすることによって、
余計なことを考えなくなるかもしれません。

眠れない方、ためしに座禅をやってみませんか?

「自分」を浄化する座禅入門 という本は、
座禅を一人で学べるようにCDもついているので、
お勧めです。

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煩悩リセット稽古帖(小池龍之介著)⑤

2010-12-23 22:28:07 | 小池龍之介
第一節 瞋恚(怒り)の巻

怒りの業(カルマ)の協奏曲

怒りの業(カルマ)を増大させないためには、
「やりたいこと」ではなく、「やるべきこと」
をやっていくことが大事だそうです。

小池住職の語るところを聞いてみましょう。
『大切なのは、その場その場でやるべきことを
順番に片づけてゆきますこと。
まずは、「今やるべきこと」を解決してから、
「次のやるべきこと」へと、しっかり意識を
順番に移してまいりましょう。

それを「めんどくさい」と瞋恚(いかり)=反発
の煩悩に流されてやらずにすませ、
「やりたいこと」だけしておりますと、
心の裏では「やらなきゃいけないのに」
と考え続けて、ストレスがむくむくと
増加いたします。

となると、「自分のやりたいことをやりなさい」
と教えてくれた学校の教育は、
わたくしたちに、ストレスを溜めて
「そわそわ、そわそわ」する方法を
教えてくれたようなものだと申せましょう』(p.22)

このブログで、以前「やるべき」ことよりも
「やりたい」ことをやりましょう、
というようなことを書きました。

私たち神経質者は、「やるべきこと」をやろうとした時、
往々にして余計なこと、間違ったことをやってしまうのです。

私が会社に入ったすぐの頃、会社から帰ってきたら、
家でコンピュータ関係の本を読んでいました。

コンピュータのことが好きだったのではなく、
電気設計が仕事だったので、
コンピュータ関係の知識を身につけなければならない、
という、半ば強迫的な思いからでした。

読んだ本は、というと実際の設計業務とはかけ離れた、
理論ばかりの内容もものが多かったのです。

こんなことをいくらやっていても一向に成果はあがず、
焦燥感ばかりがつのってきました。

こういう時には、その「やるべきこと」をやめて、
我慢していた「やりたいこと」を
どんどんやっていったほうが元気になるかと思います。

今の時点では、
「やりたいこと」よりも「やるべきこと」
をやっていく、という小池住職の考え方に
同感です。

このとき、「やるべきこと」とは何か、
という見極めが必要になると思います。
そうでないと、入社時の私の二の舞になってしまいます。

やるべきこととは、期限がある程度明確に決まっていること。
具体的なこと。

今日、私は年賀状を書きました。
これは25日までに投函しないと、
元旦に届かないから。

それと、今年1年お世話になった先生に
どうしても御礼したかったので、手紙を書きました。
そして投函してきました。

これらのことをやるのは、確かに面倒です。
でもやらなかったら、いつでもこのことが
気になってしまって、今やっていることに
集中できなくなってしまいます。

人の話も、上の空で聞いているということにも
なりかねません。

だから、気になること、やらなければならないことは、
どんどんやっていくこと。

なすべきことをなす、という森田の
基本的な考え方と共通するところかと思います。


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