内向的性格を生きる

不安と共に生きる
  by mo-ri-tan
(対人緊張・抑うつ感・劣等感を持ちつつ)

「もう、怒らない」③ (小池龍之介著)

2011-04-30 22:32:17 | 小池龍之介
第一章 欲望はストレスの素
-願いは満たされた瞬間に虚しくなる-

『「この欲望を満たせば幸せになれるのではないか」
ということは、実は妄想です。』(p.20)

『そして、欲望が実現すると、不快感が消えたことで
瞬間的に快楽を感じるものの、
その後は刺激が発生しなくなるため、
一気につまらなくなってしまいます。
これが幻滅の正体です。』(p.20)

『欲望が実現しないと、
そのことによる苦しみを受けるのみならず、
「この欲望さえ実現すれば幸せになれるはずなのに」
式の妄想に取り付かれてしまいます。
そこに待ち受けているのは、
今の自分が幸せでないのは「魔法の石」
が手に入らないせいだ、
「魔法の石」さえ手に入れば
幸せになれたはずなのに・・・という妄想ループです。』(p.20)

オリンピックでメダルを取った選手が
その後の人生で色々思い悩むような話を
よく耳にする。

金メダルを取るという、一生をかけた取り組みが実現しても、
本当の幸せは手に入らなかった、ということでしょうか。

私のような凡人にはわからない領域なので、
推定の域を出ないのですが。

そんなに大きなことではなくても、
大学に入ったら・・・
年収が**になったら・・・
結婚したら、・・・
この性格が直ったら・・・
etc.
幸せになるだろうと思ったことはあった。

求めているものが、
人からの評価を得るためのものであるとしたら、
ちょっと気をつけたほうがいいのかもしれない。

願いを持たないで、ただたんたんと生きていく、
与えられたもの、状況に
感謝していきていく。

そういう人生を歩くのが「願い」!?です。

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「今」に寄り添う

2011-04-30 06:35:10 | 考え事
よっぽど注意していないと、
「今」から離れて妄想の世界に入り込む。
先日、上司から仕事に対して注意された、
その場面をふっと思い出し、
心の中で弁解していたりする。
不安とか、後悔とかが首をもたげてくる。

我が家は山の中にある。
だから今の季節だと鳥のさえずりとか、
緑の豊かさとか、そういう自然には
大変恵まれている。

朝、ウッドデッキに出て、しばらく
鳥のさえずりに耳を傾けていた。
そして青空や山の眺めをぼんやりと楽しんでいた。

こういう時間を持つのも、
頭を静めるには大切かもしれません。

ドアを開けるにも、その手の感触に
ちょっと意識を向けてみる。

階段を上るときには、足の感触に集中する。

洗濯ものをほすときには、その洗濯物の
濡れた感触を味わってみる

そんなことを通して、「今」に寄り添う
訓練をしている最中です。

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「もう、怒らない」② (小池龍之介著)

2011-04-29 15:54:16 | 小池龍之介
第一章 欲望はストレスの素
-「欲望が人を元気にする」という錯覚-

『本人が気づいていようといまいと、
「手に入っていない、苦しい」という不快感は、
潜在意識の中に負のエネルギーとして溜まり、
いつかまた別の苦しみを生み出すための種子となります。』(p.18)

『「手に入っていない」という不快感自体は心の問題ですが、
心は不快感に染まると、
必ずそれに応じて微細な物質をつくり出します。
分かりやすいレベルでいえば、ノルアドレナリンや
アドレナリンといった不快物質を発生させ、
体にダメージを与えます。(中略)
このような体の変化が、知らず知らずのうちに本人をイライラさせ、
集中力を低下させ、日常的な所作を乱暴なものへと
変えてしまいます。したがって、欲望をつくればつくるほど、
人格が品位を欠いたものになっていくのです。』(p.18)

電車を待っているときに、
ドアが開いたら、降りる人がいるにもかかわらず、
中に突進していって、
席に座ろうとしている人がいる。

電車が来るまえから、
「座りたい、座りたい」という欲でいっぱいになっていて、
心中穏やかではないだろう。
たぶん、体にもストレスがたまっているに違いない。
一方で座れたらいいけど、まあ立っていてもいいか、
というふうに思っている人にとっては、
別に電車を待っている間にも平然としていられるだろう。

ただし、欲があるにも関わらず、
世間体もあるから、降車の人を待ってから
乗り込む人にとっては、
一目散に突進していく人のことを
責めるに違いない。
(私自身のことです。)

だから欲のないフリをしているだけでは、
体に対してストレスが発生していることについては
変わりないだろう。

突進していく人よりも葛藤があるから、
ストレスは逆に高いかもしれない。

欲があるのは、心が乗る前から、
すでに乗った後のことに意識が向いてしまって、
「今、ここ」から遊離してしまっているからだろう。

欲を無くすということよりも、
一瞬一瞬、今ここにいるという意識を向けて、
過ごしていきたいと思っている。

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体操選手 田中理恵さんのことば

2011-04-29 01:40:17 | 考え事
情熱大陸という番組で、
体操競技の田中理恵さんのことを
特集していた。

その中で印象に残る言葉があった。

「本来順位を競うべき競技の世界で
自分の思う美を追い求めて、本当にそれでいいのか」
という問いかけに対して、
田中さんは、以下のように答えている。

「一番とか金メダルが欲しいとかはあります。
でも後からでいい。
楽しんだ結果ついてきた、ぐらいがいい。
でもそれが自分の弱いところかもしれないけど、
絶対メダルを取るとか、
一番になってやるっていう気持ちを出すと
たまに怖くなる。
体操は嫌いになりたくない。
嫌いになったらもう終わりだと思う。」

これって、欲を出したときの身体に生じる苦痛を
田中さんは敏感に感じ取っているのではないか。
一番になる、ということよりも、
その競技自体にほれ込んでいる田中さんのあり方に
すがすがしさを感じた。

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「もう、怒らない」(小池龍之介著)

2011-04-28 23:57:25 | 小池龍之介
第一章 欲望はストレスの素
-苦しみに鈍感になってしまった大人たち-

『欲望が、人のやる気を失わせて元気を喪失させる、
ストレス要因であることを、
ほとんどの人が理解していません。

仏道的な心構えを保ちながら厳密に
心を観察し続ければ、欲望が煩悩という名のとおり
「煩わせ悩ませる」ストレス要因であることを発見できます。』(p.14)

『欲望、とりわけ、実現しそうにない欲望は怒りを生み出し、
体に激変をもたらし、苦痛を与え、幼児を泣き叫ばせます。』(p.16)

『身体反応へのセンサーが敏感であれば、
欲望をつくると心も体も苦痛を味わうことを思い知らされます。』(p.16)

欲望が生み出す苦痛というものを
感じる敏感さが、今の私にはない。

人より優れたいという優越感は、
からだにはストレスなのかもしれない。
優れたいという欲がなければ、
人を責める気持ちにもならないだろうし、
自分ができないときにも落ち込むこともないのだろう。
そういう穏やかなこころのほうが、
確かにからだには良さそうだ。

からだへの敏感さを取り戻したく、
人と会ったとき、からだはどんな反応をしているのか、
そんなことを意識しようとしたりしているが、
なかなかその場になると、忘れてしまって、
からだに注意が向かなくなる。

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「こころ」が「からだ」から遊離すると悩みが生まれる

2011-04-27 23:46:55 | 小池龍之介
小池龍之介著「もう、怒らない」
を読んでいる。

これを読みながら思ったことだけれども、
からだ(五感)から心が離れてしまったときに、
悩みは生ずるものだと思った。

いつのまにか頭の中で考え事をしている。
するとたいていの場合、悩みが生ずる。

こころが遊離しそうになったら、
とにかく五感を意識して、「今、ここ」に戻る。

これは森田療法にも通ずる。
森田療法でも、五感を大事にしる。
「感じを高める」
という表現もある。

なるべく心がからだ(五感)から離れないように、
いつも監視をする。
離れたら引き戻す。
これを今日は意識してやっているが、
なかなか調子よさそうだ。

悩みは自分が勝手に作っているともいえる。

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優越感と劣等感

2011-04-27 21:07:50 | 日々の出来事
今日、研修があった。
その中で、簡単な計算問題をやった。

私はすぐできてしまったのだが、
中には色々講師に質問したり、
なかなかできない人も多かった。

私の心の中では優越感がむくむくと
もたげてきた。

もうペンも置いて、とっくに終わっていますよ、
ということをアピールするかのように、
回りを見回したりして、涼しい顔をしていた。

それと同時に、こんな計算もできないのに、
昇進しているなんてなんてことだ、
役職に値する実力ないんじゃないの、
というような、責めるというか、
見下すような気持ちもあった。

計算はその後も続いて、後半になってくると
だんだん複雑になってきて、
私もすぐにはできなくなってきた。

私のとなりの人のほうが先にできたりして、
私はついに講師に質問したりしていた。

さっきの優越感はどこへいったやら。

つまらないことに優越感持つなあ、
というのが感想。

ひとりで一喜一憂している。


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自慢と後悔

2011-04-26 22:20:29 | 日々の出来事
一言メッセージを書くことがあって、
ついつい自慢話を書いてしまった。

その割りに、書いたことを気にして、
書かなければ良かったと後悔している。

自慢したい気持ちはあるけれど、
そうしてしまう自分が許せないというジレンマ。

会社でも、自分の経歴などを色々披露して、
実際の自分よりずいぶん誇張してアピールした。

そのせいもあるのか、昇進も果たした。
けれども、自分のそのアピールが誇張であることも
知っている。

今は、自分の実力のなさが
回りに気づかれつつあるのではないかと
おびえている。

何かこれを書きながら、
一人相撲をしているような気がしてきた。

こういう「欲」があると、
やっぱり生き辛くなってくるなあ。

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きょうは断食

2011-04-25 23:24:03 | 日々の出来事
25日、給料日。

以前、この給料日の夜は断食することに
していたことがあった。

長くは続かなかったけれども。

今日は仕事から帰ってきて、
お米をといで、炊飯器にセットして、
しばらくして「炊飯」のボタンを
押そうと思ったとき、
ふと断食のことを思い出した。

世界には食べられない人がたくさんいる。
震災で苦労されている人もたくさんいる。

その人たちの苦しみの、
ほんの少しでも共有できるように、
今日は断食をすることにした。

夕食代として1000円をどこかに
寄付をしよう。

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森田療法は偉大だ。

2011-04-25 23:06:36 | 森田療法の実践
昔から色々仕事を一緒にやっていた人(女性)が
会社を辞めるという。

びっくりして、午後少し会いませんかと声をかけた。

で、しばらく(20分)くらいおしゃべりをして別れた。

私が別れた瞬間に、待っていたかのように、
女性友達がその人のところに群がった。

その人にとって、自分は少し特別な存在であるような
自負を持っていた。

それで、最終日の忙しい時でも、20分も話をして
平気な顔をしていた。

でも、その人は色々な人に挨拶に行かなくては
ならなかっただろうし、私よりもっとたくさん
おしゃべりしたかった人もいただろう。

なんてうぬぼれていたのだと、
とても恥ずかしくなってしまった。
(自分のことを責めすぎだろうか。)

会社から帰る道中も、「あーあ」と、
そのときのことを思い出しては、ため息をついていた。

(もうひとつ後悔すべきことをやらかしたのだが、
それは書くのを止めておこう・・)

こんな具合に、ちょっとしたことでも、
あーだこーだと色々後悔する。

でも、森田療法では、そのような後悔の念などは
そのまま(あるがまま)にして、
やるべきことをやりなさい、と教える。

風呂に出て、タオルで髪の毛を拭く。
その拭くことを一所懸命やる。

そしてまた次のやるべきことに集中する。

そうしていると、頭の中の妄想が
少しずつ収まってきた。

そうそう、森田の基本を最近忘れていたではないか。
森田療法は偉大だ!
と思った次第です。


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