「はじめに」というところには、著者の思いというのが率直に書かれている。
次の言葉にも、水谷先生の熱い気持ちが伝わってくる気がします。
『また先生は私どもにたいし、神経質者がそのとらわれから脱皮するのには、自覚することが何よりたいせつであると、くり返し教えられた。この自覚するということは、日常生活の実践を通じて、あるいはまた苦悩の体験を通じて、本人自身が、どこまでも向上発展をもとめてやまないところの・自分の心の真実に目覚めることである。この<自己本来の心>を、先生は、<純な心>ともいわれている。他人から良く思われ、あるいは尊敬されることも望ましいことには違いないが、それよりもっと大事なことは、自ら人を愛し、自ら人を尊敬することなのである。先生は人間関係においては<思いやり>が大事なことを教えられ、「思いやりの心が生じてこなければ、神経質のとらわれがほんとうに治ったとはいえない」といわれている。また「愛されることもうれしいが、愛することはなおうれしい」ともいわれている。現代の人びとにもっとも必要とされることは、両親をはじめ人びとの労苦を思いやることであり、また愛されることばかりを求めるのでなく、こちらからも愛することなのではないだろうか。』(p.5)
人を愛するためには、まずは自分の至らなさを自覚することが必要な気がしています。
次の言葉にも、水谷先生の熱い気持ちが伝わってくる気がします。
『また先生は私どもにたいし、神経質者がそのとらわれから脱皮するのには、自覚することが何よりたいせつであると、くり返し教えられた。この自覚するということは、日常生活の実践を通じて、あるいはまた苦悩の体験を通じて、本人自身が、どこまでも向上発展をもとめてやまないところの・自分の心の真実に目覚めることである。この<自己本来の心>を、先生は、<純な心>ともいわれている。他人から良く思われ、あるいは尊敬されることも望ましいことには違いないが、それよりもっと大事なことは、自ら人を愛し、自ら人を尊敬することなのである。先生は人間関係においては<思いやり>が大事なことを教えられ、「思いやりの心が生じてこなければ、神経質のとらわれがほんとうに治ったとはいえない」といわれている。また「愛されることもうれしいが、愛することはなおうれしい」ともいわれている。現代の人びとにもっとも必要とされることは、両親をはじめ人びとの労苦を思いやることであり、また愛されることばかりを求めるのでなく、こちらからも愛することなのではないだろうか。』(p.5)
人を愛するためには、まずは自分の至らなさを自覚することが必要な気がしています。