内向的性格を生きる

不安と共に生きる
  by mo-ri-tan
(対人緊張・抑うつ感・劣等感を持ちつつ)

悟り方

2008-11-16 11:04:27 | 水谷啓二先生の本
 『私どもは、長年にわたる心の迷いから、忽然として覚醒することがある。しかしそれは、若いころから迷いに迷い、苦しみ苦しんだあげくのことである。本人にとっては苦悩の期間が長く、ひどかっただけに、覚醒したときの喜びは非常に大きい。こういう体験をする人は、私は、”頓悟型”を名づけている。このほかに”漸悟型”の人もある。それほど長年苦しみ抜くということもなしに、善知識にめぐり会ったことが機縁となって、一おうは覚醒するのだが、まだ苦しみがたりないためか、どうもまだハッキリしないところがある。無明の闇からは解放されて、どうやら明るい世界に生まれることはできたけれども、まだ一ぱいに霧が立ちこめているようなあんばいで、近くの物はよく見えるけれども、遠くのものはよく見えない。そういう人は、社会に出てから5年、10年、あるいは15年と、実生活の体験を重ねているうちに、<花は紅、柳は緑>といわれるように、ものごとがしだいに事実そのままにハッキリ見えるようになってくるものである。私自身は、どちらかといえば”漸悟型”の方であった。』(「あるがままに生きる」水谷啓二著 p.120)

 悟り方には2種類あるようです。水谷先生は、ご自身のことを”漸悟型”だとおっしゃっています。私はまだ悟っているわけではないので、どちらということも言えませんが、どうやら後者(漸悟型)のようです。

 今手元に本がないので頭の記憶だけで書きますが、森田先生は、大工の名人ほど鋸の目立てに時間をかけるというようなことをおっしゃっています。下手な大工ほど、道具を磨くことに時間をかけずに切ることばかりに夢中になって、結果としてはあまりいい出来にはならない。一見無駄に見える時間(目立てをする時間)が大事なのだ、と。漸悟型の人は苦しい時間も長いかもしれませんが、決してそれは無駄ではなく、それだけ自分に磨きをかけているとも言えると思います。
 これは「境遇に従順なれ」という森田先生のお言葉通りに、いつ悟るかというのは、「大自然の法則」ともいうべきものにお任せして、自分は自分のできることを日々やっていくしかないのかもしれません。