カネシゲタカシの野球と漫画☆夢日記

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現行のドラフト制度に思う~「ノーモア・キヨハラ」ではなく、「モア・キヨハラ」

2005年05月21日 01時44分19秒 | ☆提言・苦言・球界再編
以下の内容は、ブログを更新できなかった時期に雑感としてメモしておいたものです。
加筆修正を加えて発表いたします。

「プロ野球を盛り上げるためには現行のドラフト制度の改革が必要不可欠」ということが言いたい記事です。
では、どうぞ。




ドラフトの逆指名(自由枠)制度は「お見合い結婚」と同じだと思います。

ほら「お見合い結婚」って、当事者や親戚一同の喜びをよそに、周囲はあまりトキメかないと思うんですよ。
やっぱりそれが予定調和だから。
祝福の気持ちはあれど、ドラマ性には乏しい


それと似たようなことが、現在のプロ野球のドラフト制度にもあてはまると思うんですよ。


例えばジャイアンツの清原選手。

涙のドラフト会見に象徴される、漫画のようにわかりやすいドラマ性。
あれは巨人という「相思相愛だったはずの恋人」にフラれた男の、やけくその結婚だったんですよ。

そこにわかりやすい物語が発生した。

日本シリーズで巨人にリベンジを果たした西武・清原は、再び泣いた。
それらの物語に、ファンは熱狂し続けた。
その物語は、彼が念願のジャイアンツに移籍した現在までも実は続いている。


例えば清原のプロ入り時、逆指名ですんなりとジャイアンツに入団していたら…。
現在の彼のキャラクターは生まれなかったかもしれません。


古くはジャイアンツにドラフトで足蹴にされた星野仙一の物語。
江川卓をめぐるドラフト騒動から派生した小林繁の伝説。
ゴジラ松井を語る時でさえ、長嶋監督が見事ドラフトでくじを引き当てたという物語が「運命」という言葉とともについてまわる。


戦力均衡ももちろん大事ですが、それ以前に「たられば」をサカナに熱く語ることができるドラマティックなドラフトを、僕はもっともっと味わいたい。
野茂投手がドラフト抽選の末に近鉄に入団したころまでは、それが存在したんだから。
(個人的には川口知哉投手が抽選でオリックスに入団した際には、ずいぶんときめきました。あれは相思相愛でしたが、運命を感じました。)


現在の自由獲得枠による「予定調和ドラフト」は、つきつめて考えると野球選手にしかメリットがないと僕は思います。
極論をいえば、ファン無視なんですよ。

たとえばドラフトの目玉であった鳥谷選手はタイガースに自由獲得枠で入団しましたが、それを「運命」だとか「物語」だとは思えません。
(もちろん阪神ファンである僕は祝福しましたし、嬉しかったんですがね)

むしろ現在は一場投手が楽天にいることにこそ、プロ野球らしい物語を感じます。


さて、こんなことを言えば「人権問題だ!」として非難されるのかもしれませんが…

プロ野球ファンの本音として、僕はもっともっと「“清原の涙”的なモノ」がみたい。
「ノーモア・キヨハラ」ではなく、「モア・キヨハラ」

ファンなんて単純です。
汗と涙にゃ弱いのよ。

結局最終的に誰が一番得をするのかを突き詰めて考えれば、この思想が「他人の不幸は蜜の味」というものと少し違うことはわかっていただけるでしょうか?




これは少し余談ですが。

PL学園の清原と桑田には、こんな物語もあるんですよ。
以下は近藤唯之著「プロ野球名語録」(講談社+α文庫)からの引用です。

桑田は昭和43年4月1日生れ。そしてこの年は”うるう年”だ。
普通の年なら4月2日生れになる。そうなれば翌年度に回されてしまう。
つまり42年8月18日生れの清原和博(西武)とPL学園で同級生にはなっていない。
桑田の誕生日が一日ズレていたら、ドラフトをめぐる桑田と清原の因縁ばなしは起きていない。


あー、おもしれぇ!






ただね、こういった「物語」は巨人や阪神がからまないと大きく報道されないという性質があるんですよね。
あと、メジャーの存在もいろいろと無視できないのが厄介。

それらはまた考えるべき重要問題。

(ちなみに冒頭画像は逆指名ドラフトの元凶)