かぶとしたのきりぎりす
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一日一回のブログの更新を、
来る日もした・・・と言うことで
初めたのですが、
日々の更新をこまめにすることは、
言うは安し、実行は難しです。
追い風を帆をあげてなどと
気取ったところで、
患者は患者の領域を
超えることはできません。
何かをしたい・・・と言う気持ちは、
今もトグロをまいています。
なぜか
言葉を書きたいのです。
それも、病気のせい・・・かも。
アリセプト「10mg」の効果で、
当分は、大丈夫と
私自身に、いいかせるのです。
こうした私の脳とのやり取りをすることで、
今日は何月何日と、
答えることができることもあります。
だから・・・・人生は面白い・・・などとは、
この病では、
言わないでください。
私たちは、
自分に出来ることは、自分でやりたいのです。
たとえ、そのことが、
ゆっくりすぎて、
いらいらなさるかもしれませんが、
はってでもやりたいです。
無残やな、かぶとのしたのきりぎりす・・・と、
芭蕉さんは言われていますが、
私も、そのかぶとしたのきりす・・・なのです。
すらすら書けなかった今日でした。
アリセプトの事が言いたいのか、そういうことが浮かんできました。薬を出来るだけ飲まないで済ませたい、そう思っています。でも薬のお陰で今を維持していられるのですから仕方がないのですね。
今を生きるという言葉がありますが、私達は今にしか生きられないのですね。今のこと、今のことに向き合うことで生きている実感を得ていられるんですね。
書き続けてくださいませ。
限りを尽くして、書き続けてくださいね。(代行M)
この介護の9年半の体験で、
自分でも驚くほど深く読めています。
冒頭は、有島武郎自身のことが書いてあるのですが、
文学への思いの強さがひしひしと伝わってきました。
「私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。
ねじ曲ろうとする自分の心をひっぱたいて、
できるだけ伸び伸びした真直(まっすぐ)な
明るい世界に出て、そこに自分の芸術の宮殿を
築き上げようと藻掻(もが)いていた。
それは私に取ってどれほど喜ばしい事だったろう。
と同時にどれほど苦しい事だったろう。」
有島武郎は現実社会の矛盾にもがきましたが、
水木様は病ゆえのもろもろと格闘していらっしゃる。
ブログ「認知症一期一会」は、まさに
「生れ出づる悩み」の精神が根底にあって
書き継がれています。
今、このコメントを書ける巡り合わせに感謝。
「生れ出づる悩み」は私のバイブルです。
おはようございます。
「10mg」を、服用すこと、
5ヶ月になり、体にもしみこんだようで、
何んの違和感もありません。
気持ちとしては、
言葉が出にくくなっています。
いわゆる
「あれあれ・・・」が、
どんな時にも出ています。
パソコンでは、
言葉を書くことが出来ていますので、
あまり気になりません。
話変わりますが
ある先生が、
いろいろは改善方の本をだされています。
文学では、
エッセイを書くことも、
リハビリに二なるようです。
と言うことで、
新年から、エッセイを書くことにしました。
今は、書き方の本を、
何度も読んでいまうが、
なかなか、自分の中に入ってきません。
まだ、
読書百編・・・とは行っていませんが、
「書きたい願望」が、
しっかり、とごろをまいています。
ここまでくらいの時間、言葉を書いていますと、
耳鳴りがしてきます。
その耳鳴りがはじまると、
「ストップ」の合図。
すなおに、
私も、パソコンを綴じます。
もちろん送信してからです。
話せれば患者ではない。
書くことができれば患者ではな・・・のどといわるこのもありましたが、
ようやく、患者は、
精密検査を受けることで、
病気である、
病気の初期です・・・・などの診断を
していただける時代になりました。
診断の結果をもとにして、
それからの自分を
見つめてください・・・と言うのが、いまの思いです。
話がそれていますが、
今日書きたくて、書かせていただきました。