彼岸花のことを書かいてから、
なん日がすぎたか、わからない。
いま自分が何をして、その答えをだしたいのですが、
その言葉が・・・切れる。
たった一行の文字の言葉が・・・二度も三度も書きなす。
今日という日が何日でかと
と聞いて見る。
ささいな言葉を書くことで、
私はここにいますということが出来る。
まだ、まだ、
あの道、この道・・・が浮かんできました。
ふふふ。
彼岸花のことを書かいてから、
なん日がすぎたか、わからない。
いま自分が何をして、その答えをだしたいのですが、
その言葉が・・・切れる。
たった一行の文字の言葉が・・・二度も三度も書きなす。
今日という日が何日でかと
と聞いて見る。
ささいな言葉を書くことで、
私はここにいますということが出来る。
まだ、まだ、
あの道、この道・・・が浮かんできました。
ふふふ。
このメッセージを肝に銘じて寄り添っていきたい。
けっして、人格・人権をおろそかにしません。
認知症の人を守り支える大原則ですね。
多くの人の心に届きますように!
私と言う人格が崩れていく病だと
聞いたことがあります。
私の場合で言えば、言葉を発信することで、
いつもの変わらない顔で・・・話ができます。
言葉の連続せいが・・・・・楽しい一日になる。
認知症でも・・・言葉を伝えることができ、
ありがたいと思う日々です。
しかし、ベッドで過ごした最後の19日間は「思いやりと感謝の心の強い父」でした。
「ありがとう」という言葉をしっかり残して旅立っていきました。
母は、心底優しい性格と頑張り屋さんの性格で、天命を生ききっての旅立ちでした。
「環境がよければ、人格がこわれることはない」というのが、私が体験から得た実感です。
水木様の生きてこられた人生を1番よくわかっていらっしゃるご家族の優しい声かけがあれば、水木様の精神状態は穏やかに保たれると確信します。
認知症になっても、それまでの人格は損なわれない。
深い見識をおもちの水木様の人格はけっして損なわれません。
ただ判断力が衰退したことでの、たとえば「点滴をぬく」などのことがおこるかもしれませんが、それは人格の問題ではありません。
認知症について理解がある人には周知のことですが。