越後の笹団子・・・と書いて筆が止まる。
水木理・・・つまり私は言いたいことは、
机のある笹団子に話。
今では・・・「セイキョウ」でも扱っていますので>
たまには、いただくことも。
その笹団子をいただきながら、
浮かんできたことは・・・ボッチヨン。
何年も前のはなしではない笹団子。
記憶の果てのササダンササダンゴ。
ちよは、やっぴり・・・もらえないか・
越後の笹団子・・・と書いて筆が止まる。
水木理・・・つまり私は言いたいことは、
机のある笹団子に話。
今では・・・「セイキョウ」でも扱っていますので>
たまには、いただくことも。
その笹団子をいただきながら、
浮かんできたことは・・・ボッチヨン。
何年も前のはなしではない笹団子。
記憶の果てのササダンササダンゴ。
ちよは、やっぴり・・・もらえないか・
越後ではありませんが
ここの笹団子もおいしいですよ。
夏目漱石の「坊ちゃん」で
乳母のきよが自慢するだけのことはあります。
記憶の果てからよみがえる笹団子。
私と母の場合は、
母の記憶に眠っていた感情をよみがえらせ、
母という人間の全体像を理解した日々でした。
母の場合、肉親との悲しい死別が多かったのです。
封じ込めてきた感情だったようです。
ササダンゴは、
いただくことばできましたが、
乳母の名前が、
どうにもうかんできませんでした。
されど、されど・・・漱石さんへの思い出がある。
ササダンゴで、一日・・・が長くかんじょました。