言葉を書きたい私
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言葉を書きたい私、
うーんと、
唸ってしまったのは、
書きたい言葉が並んでも、
その文字を選別できない状態。
言葉を書くことで、
私という存在がある・・・・などと
思っているのですが
思ったほどに、事は進まないですし、
「それでいいのだ・・・」と、
自分勝手に思っても、
それが正しい答えであるかは、
わからないかも。
ある瞬間での言葉が、
目の前に並ぶことで、
文書となるのですが、
変換をさらりさらりと出来る間は、
言葉を書くことが出来ます・・・と
言っていいです。
だから、
にらめっこしながらでも、
泣きたくなるような気持ちを振り切って、
言葉を紡ぐのです。
執着という言葉が、
うまいに変換されましたので、
「やれ・・・やれ・・」です。
今日、書かれた言葉は、
意味不明と、指摘されても、
「書けた」というなんでもないことが、
出来にくくなっていることは事実です。
されで、
書きたい・・・とは、
一種の「亡者」かも知れませんね。
誰でもその思いは強いです。
母も「おもしろくない」と口にしました。
もとの自分でなくなったことへの不満でしょう。
何でも自分でやっていましたから・・・
亡者は亡者でも、
人間の尊厳をかけた亡者だと思います。
フレー、フレー、水木様!
ありがとうございます。
最近、不遜なことを考えました。
認知症であっても、
言葉を書くことができれば、
エッセイを書くことがで出来るのではないかと。
好きの言葉を使ってです。
無欲などとは、
程遠い老人のたわごとしょうかね。
miki様の言葉
「亡者は亡者でも、
人間の尊厳をかけた亡者だと思います。」
有難うございます。
実母の、認知症を見送って、一息ついたら、
私が前頭側頭型認知症(FTD)と診断され
(頭の中・真っ白)
私、娘には、同じおもいをさせたくないとの思いから
一時は、亡者の文字が
何度も、何度も頭の中を駆けめぐりました。
現状の私も、言葉がでてこなく成りつつあります
水木様
まだ、まだ、上記の文章・言葉が、紡げられてますから
大丈夫・大丈夫・・・と
私自身にも言い聞かせております (せつこ)
「認知症であっても、
言葉を書くことができれば、
エッセイを書くことがで出来るのではないかと。
好きの言葉を使ってです。
無欲などとは、
程遠い老人のたわごとしょうかね。」との、お言葉
たわごとだなんて、思いません
水木様らしく・・・らしく、ですね (せつこ)
根をつめた介護をなさったのでしょうね。
娘さんのためにも生ききってくださいね。
「介護サービスを借りながら」という時代ですから。