暑さボケで
・・・・・
なぜか、
言葉の使い方がわからなくなっています。
単語を並べることで、
言葉と言葉の間に
なにか、サカナの骨がつっかたようで、
意味も不明だし、というよりも、
言葉という形の機能をはたしていない。
わからん・・・わからん・・・と、
頭をこつこつ叩いてみましたが、
反応なし・・と言う感じで、
いいようもない。
患者とは、
平坦なところを歩くことが多いですが、
その平坦さは、
いつ何時くずれるかの予告もなしにやってくる
津波のように、危ういと思う。
だから・・・書けるうちに
書いたほうがいいというのが
今日の言葉です。
指先がなにか・・・強ばっていて、
いつもの「すらすら感」が
まったくない今日です。
暑さボケ・・・と、とりあえず言っておきましょう。
話せるときに話していたほうがいい
家族の立場でもそう思います。
家族の立場では、きけるときにきいていたほうがいい、も加わります。
理解してもらえないことほどつらいことはない。
だから、先々、自分という人間を理解してもらうためにも思いを発信することは重要です。
特に、家族とは深い深いコミュニケーションをとっていたほうがいいですね。
私が母と今でもコミュニケーションができるのは、私が話し続けてきたからです。
ききたいこともきいてきて母という人間をまるごと理解してきたから、母の思いを推し量りながら、今でも話しかけています。
日によって反応する部分は異なりますが、気持ちが通い合うことで、母の表情も優しいし、私もほっとします。
重度になっても孤独にしないためには、お互いの理解が必須です。
もちろんスキンシップもコミュニケーションの重要な手段になりますが。
母は、62歳のときに36歳の息子を癌で亡くしていますが、泣いていません。
芥川龍之介の「手巾」という小説を、母に重ねたこともあります。
今年になってから、
「お父さんとお母さんの人生で1番つらかったのは兄ちゃんが亡くなったことだね」
母は体を震わせて「うん」と。慟哭しましたね。
「お母さんは泣くどころじゃなかったんでしょ」
これも「そうだ」と。
父の気持ちの萎えが大きく、また父が病気の連続だったので、「泣くどころではない」現実だったのだと思います。
私の場合は、ききたいことをきいて、母を理解してきました。
若くして亡くなった兄は、母の本質・真骨頂を知らないままだったと思います。
だから、兄の分も母に感謝の気持ちを伝えましたよ。
もし、認知症を発症しなければ、母は心の奥底をみせないままだったでしょう。
父の死後、ものすごく孤独になったであろうと思います。
発症のメカニズムは医学に任せなければなりませんが、母の場合は必然だったような気もします。
私の解釈です。
上記のことは、「母と私の場合は」という条件がつきます。
それと、話せるとき、聞けるとき、って、「機が熟したとき」じゃないと、本音での返答は聞けませんから・・・
親に対して、「愛しているよ」と言えるレベルって、経験者のみわかる、でしょうか。
父には、そういう言葉は使わないままでしたから。