短い文章や原稿用紙二三枚のエッセイなら、文章を構築する必要な。
すっと書いて、さっと終わってもいい。
こころの感じるまま流れるままに書いていけばいいから、
直感で書くのがいちばん・・・と言う人もあるだろう。
でも、それはあくまで短い文章のときだ。
十枚以上書くときに、
直感で流れるままに、心のおもむくままに書くと、
途中でへたるのが普通の人間だ。
十枚以上長い文章を書くには、
メモやレジメをつくり、文章を構築する必要がある。
構築力が文章を書く力の中心になるのだ。
文章を構築するための「3の法則」というものに、こだわっている。
三つのポントで書くでかくことで十枚を突破する。
作家、藤本儀一の言葉に、なるほどと言葉を転写します。
「人間は「天動説型」と「地動説型」があるという。
前者は、
生活、環境がすべて自分中心でなければ承知できない性格で独善的だ。
それに対して地動説型は自分がひとつの惑星になって、
太陽の周りを回転する。
日本の探索が帰ってきたを祝って・・・・書きたくなった今日です。>
ふたつにわかれる。
納得できます。
探査機「はやぶさ」の運んできた微粒子が
小惑星(「イトカワ」)のものだったら、
世界初の快挙だそうです。
分析の結果が待たれますね。
戯れに言葉が浮かぶ・・・・とは、
言葉を軽く考えているように思われるかもしれませんが、
私は真剣です。
文字を書く・・・・・作業がとてもくるしいです。
されど、されど、書き続けたい・・・が本音です。
私は認知症の人本人ではないので
軽々しく「わかる」など言えません。
されど、されど、
水木様が渾身の力を振り絞って
ブログを発信し続けてくださっているのは
少しはわかっているつもりです。
「柳に飛びつく蛙」もよく登場しました。
「無残やなかぶとの下のきりぎりす」も、
新美南吉のかたつむりの詩も、
正岡子規の「仰臥漫録」も。
先人たちの頑張りを糧に書き続けていらっしゃいます。
認知症の人は何もわからない人ではありません。
本当によく周囲のことをわかっています。
言葉がとっさにでないから、わからないと誤解されてきたのです。
母は何ヶ月も前のことについて
いきなり私に話しました。
そのときはすぐ理解できなかったけれど、
ああ、そういうことだったのか、と
あとでわかったことも多いです。
「首を縦にふる」「首を横にふる」ことで
母は死の数日前まで意思を伝えてくれました。
周囲、特に家族は「あきらめない」ことが大切です。
また、社会は「認知症の人と家族」を正しく理解しなければなりません。
理解と支援を求め続けましょう。
まずは、お礼の一句をと・・・・と書いて、一休み。
一息ついて、さて一句・・・と
思った瞬間・・・一句が浮かんできません。
でも、一句と無理にでも書きたい・・・・と
思うだけが残ってしまいました。
[あいうえお」・・・が書けいこともあっておろおろしている今日です。
でも、貴女の言葉は理解できます。
難しい言葉であっても理解はできます。
言葉の変換が・・・・・むつかしいだけです。