軽井沢のいろいろ~♪ 軽井沢で静かに暮らす 深山のイノシシ があれこれ見たこと聞いたこと

軽井沢に静かに暮らす深山のイノシシが 軽井沢の春夏秋冬 今昔、あれこれ・・ 見たまま聞いたまま書いてるよ

 軽井沢のいろいろ 軽井沢の 建築(建設)工事ラッシュの片隅で・・

2021-09-24 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 お天気がよくて  新型コロナの自粛時でなければ このシルバーウィークの軽井沢

 きっと 道路は渋滞、別荘地を縫うような道路から野山の名もない小径まで

  観光客の姿が見られたことだろう

 別荘に滞在したり テレワークで利用したりしているのか 別荘も人の気配はあるけれど

 思いがけない場所で  軽装の観光客や自転車の姿を見かける機会は多くない

 代わりに 思いがけない場所が切り開かれ、造成され 野山や木立、薮原が立札や看板の経つ

 方形の平坦地などに景観を変えている  

 短期間にこういう状態になると 前にここがどんな姿だったのか簡単には思い出せない

 めったに通りかかる機会が無かったけれど 久しぶりに 軽井沢中学校の南側を通過する

 江戸時代の中山道筋を通りかかった  

 当時の街道は離山図書館や近衛文麿記念館への国道の信号辺りから緩やかな直線で

 しなの鉄道の南側へ続いていたらしい

 軽井沢中学校前の信号機を南に渡ってすぐの和菓子屋さんの南脇あたりから 林間の結婚式場

 住宅、別荘、ペンションが並ぶしなの鉄道と並走している道筋なんだ

 この旧街道を西に向かう道端左角に 当時からの石仏(道標)があったはずなのが見当たらない 

 そんなこんな 昔話を聞かせてくれたり、いろいろ教えてくれたおじいさんも亡くなってしまって

 誰にたずねたり 確かめたらいいのか ちょっと考え込んでいた

 通りかかる人影が無いのを幸いに ひとつづつ 脇道を入って見ることに決めた

 おじいさんが元気だった頃 聞いた昔話では 中山道の脇道を

 現在の群馬県下仁田町や安中市方面へ 「 江戸を背にして左折する 」為の道標だと言っていた

 そして・・ 見つけた    

      

         

 

 ある(あった)はずだった 曲がり角から100m以上は南に入った辺りだろうか

 道端に立派な 石碑が立っていて 近づいてみると

 

         

 

 道路に面した 東面にだいぶ見極め難くなった仏様のお姿 真後ろ西面は読み取れないか無地

 側面にあたる北側面には 「 旅人難除 願主 宿馬持中 」 そして もう1面の南側面には

 「 初とや 中のたけ道 下に多 」と 読み取れる  これだ これだ   

 

  だ・け・ど ・・・

 この 石仏の示す通りに  見てから進んだ先は 

 しなの鉄道線と線路の向こうは軽井沢中学校なんじゃあ・・  

 上の方の写真の 正面奥に続いている鬱蒼とした小径を進んだ先は 確かにそちら方面なんだけれど

 多分 ボクが思うには 元あったあたりに関わる誰かが安置場所を変えて 

   この場所が安置場所になったんだろうな・・

 前に ここで そのお姿のお顔部分近くまで土中に埋まってしまった

 別の場所の 道標の石仏様のお話をしたけれど   珍しい話題じゃないのがちょっと哀しい

 当時は 寂しい見知らぬ山道で 進む方向を確かめられて思わずホッとして手を合わせる

 ありがたい 道標(みちしるべ)だったはずなんだけれど・・

 この先また   どこかへ・・なんてならなきゃいいな      

 

 

 

コメント
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