こんにちは、尾張美也子です!

暮らしの中で感じたことを気ままに綴っていきます。

ナガサキの日に思いを寄せて 

2017年08月09日 | 日々のつぶやき
今日は、72年前に長崎に原爆投下されてた日。

そして、核兵器禁止条約が国連で今年の七夕に採択されて初めて開催された歴史的な原水爆禁止世界大会の日。

会うたびに「戦争はいけない、核兵器はなくして」と語られていた私の近くに住んでいた被曝者の女性の方は昨年、亡くなられた。

被曝者の願いが国連の条約に結びついたことを知らせたかった。知ったらどんなに喜ばれたことか…天国に向って祈りを捧げました。

日本政府がこの条約にを批准しないとは、本当にお腹が痛くなるほど悔しい。7月末に核兵器廃絶署名で地域を廻った時、お会いしたすべての方が署名に応じてくれた。

核兵器いらないは、思想信条を越えた人としての命を尊ぶ願いだと思う。

この大会に向けて、1958年から毎年、北海道から沖縄まで全都道府県で続けられてきた国民平和大行進。

今年も立川から国立を結ぶ行進が7月23日にあり、アナウンサーとして参加ノーモア 広島 ノーモア 長崎 ノーモア被爆者 日本は、核兵器廃絶条約を批准せよ~とみんなで声をあげた途中、雨がふりだしたけど、平和への思いを繋いで

平和を築き守ることは、すべての人のかけがえのない命を大切にすることであり、人権の問題。

核兵器を持つことが、命を守ることにはつながらない。

こんな当たり前の論理が通じない核兵器を持つ国ぐにの競争。これにストップをいかけたのが122か国が賛成した核兵器禁止条約

日本が参加しなかったのは、核兵器を持つ国々を支持しているのと同じ。被曝国でありながら本当に情けない。

国連での発言の報告を志位和夫委員長が7月22日に日本共産党創立95周年記念講演で話していましたが、オーストラリア代表の言葉に強く共感・感動しました。

それは次の言葉です。お時間ある方はみてくださいね。

もし、核兵器が本当に安全の保障を提供する上で欠かせないのなら、どうしてすべての国家がこの利点から利益を得てはならないのか?

核兵器は世界をより安全にするという論理に従えば、より多くの核兵器を持った方がよいということを意味することにならないだろうか?

われわれは、そうした議論は信じない。

明らかに、核兵器が少ない方が、そして核兵器がない方が、われわれは、より安全になるのだ。

それのみが、誰をもより安全にするのである。


まさに、言いたいけどうまくいえなかったもどかしさをしっかりと言ってくださった!

世界中の人々のすべての人々の安全という視点でいけば、核兵器をはじめとする戦争のための兵器を持たない、作らない、持たせないことで、

その分を、少しでも、格差の大きい社会への教育・福祉に役立てていける、そんな智恵のある世界になってほしい。

戦争の武器作りで儲ける大企業があって、そことつながる政治を変えていくことも必要だし、困難かもしれないけど、

今回の核兵器廃絶条約が採択されたのは、これから人類が共に生きる社会への第一歩だと思う。







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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-08-20 19:02:29
私達に 核兵器必要ないです 小林在住の者です そいなた いらん
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