修行僧が履き古してボロボロになった藁草履のことを指す言葉だ。
このことから、先のことをあれこれと考えずに目の前の今やるべき事に全力で取り組むことの
大切さを教えてくれている。
学生の頃は、自分の将来のことについて色々な情報に惑わされて、つい自分自身を見失いがちに陥ってしまいがちな
こともあった。
そして、社会人になっても、毎日のただ単純そうに見える生活の繰り返しの中で、様々な出来事に対して
どのようにして問題を解決していけばよいかという場面に遭遇することがあった。
そのような状況の中で、今思い出すのはやはり自分についての勉強がこの時に
一番出来て、あとで喜びに繋がっていったことだった。
一生懸命やっている人間に一生懸命やっている人間が、心を動かされることがあるということを
その時まであまり信じられなかったのだが、ある恩師の方との出会いによって、
自分の新たな可能性が広がっていくのを感じたこともあった。
これからも自分の中にある可能性を信じて、精一杯思う存分なすべきことをなしていきたい。