3月の丁度半ばを過ぎた今頃になって、やっと春らしい穏やかな天気が続くようになってきた。
毎年この季節を迎えると、やらなければならないことが一つ出てくる。
雑草取りだ。
本当によくこんな隙間から、僅かな水分や養分を吸収してここまで成長したものだと感心させられることが多い。
これから益々暖かくなるにつれて、その旺盛な繫殖力にはしばし驚かされることも…
先日、ふと目にした業界誌のコラムに興味を持って、読ませていただいた。
それは静岡大学農学部教授 稲垣氏の専門の「雑草学」についての、お話だった。
その中で、特に面白く読ませていただいた内容として、雑草のイメージとして「踏まれても踏まれても立ち上がる」という
ことは、専門家のなかでは事実ではないということらしい。
植物にとって最も大切なことは、花を咲かせ種を残すこと、だから踏まれても立ち上がろうとすることは
無駄な行いになるということだ。
つまり、踏まれながらも花を咲かせ、子孫を残すことにエネルギーを注ぐほうが合理的であるいう生き方だ。
そして、専門家の間では、「雑草は弱い植物」とされている。
「弱い」というのは、「競争に弱い」ということらしい。
たしかに多くの種類の植物が生い茂っている林や森の中で、普段よく目にする「雑草」をあまり見かけない。
そこで彼らは自分たちよりも強い植物が生えることのできないような場所(道端や畑など)を選んで生えてくるのだといわれている。
そして本当の意味での「雑草魂」とは、大切なことは見失わない生き方であるということ。踏まれた雑草は立ち上がれないけれども、
子孫を残すところではぶれないというというところで、締めくくっておられた。
これからの季節、毎年のように繰り返される「雑草取り」も
今年は何かとまた違った思いで取り組んでいける気がした。