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気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

「 64円」の医療費還付金通知・・貴方はどう思う?

2017-03-09 15:34:27 | 時評

先日、市役所から妻宛に郵送された医療費の還付・支給申請書面に、支給予定金額が「¥64-」となっているのを見て苦笑した。

どんな算定根拠でそうなったのか勿論書かれてはいない。僅か64円しか還付がないことに異議を唱える積りは全くない。

むしろ、些少な支給予定金額であっても、この通知は、規定に基づく担当職員の誠実な事務処理の証しであり、この点に関しては敬意を表したいと思う。

しかし、さわさりながら、似たような極少額の還付金通知例が、市内では他にも当然あるのではないかと思うと、通知元の市当局は、実質的に随分無駄な事務処理をしているようにも思える。

因みに先月、当方宛に来ていた還付金支給予定金額は、¥2310―となっていたので、ならば受け取るべく申請したところ、3月8日に指定の口座に振り込む旨の「支給決定通知書」が先日届いた。

同様な支給・申請手続きを今回妻が行うとすれば、僅か64円の還付金の支給を受けるために、市当局は、82円の郵送料を2度(最初のお知らせと本人申請後の確定額の通知)も使うことになる。

実際問題として、ごく少額の還付金の申請をする市民は、まず少ないのではないだろうか。市当局は、還付金額の多寡に関わらず、該当者には全て通知するのだろうから、この種無駄な郵送料も累積されると決して無視できない経費になることだろう。

結論として言いたいことは次のようなことだ。医療費還付金の通知・請求手続き規定上の無駄を省くため、関係規定の見直し改正も必要ではないかということだ。一例を申せば、還付予定額が例えば、500円未満の場合は、全て国庫又は市への自動組み入金にする等の処置を講じては如何かと思うのだが・・


最近感じている三つの怪

2016-07-14 13:40:45 | 時評

1、「改憲勢力2/3」という用語がやたら目立つマスコミの論調

このフレーズは、「改憲は時代の流れに背き、その論に組することは宜しくない」との牽制の意図を込めた造語だと当方は解釈している。確かに、参院選前後からこの用語をやたら見聞きする。

憲法改正の本丸は間違いなく憲法9条だ。本丸を正さずして憲法改正の成果は完結しない。9条は、それほどの重みと意義のある改正対象条文だから、時間をかけ英知を出し合って慎重に改正すべき剣が峰に位置する条文だ

他にも現憲法上の問題点は広範多岐に及ぶ。例えば「・・諸国民の公正と信義に信頼して国の安全と生存を保持する・・」とする他力本願的な国の安全の基本に関する憲法前文の規定や、前文そのものの構成・内容上見直しの余地は多々ある。現憲法には、国民の権利に関する規定が多い(10条~40条)が反面、国民の義務として規定されていることは極めて少ない。

更には、「裁判官の報酬は在任中減額することは出来ない(70条~80条)」との規定のことや、暫定的な国会権限の代行(101条)や第一期参議院議員の任期の特例(102条)を定めた規定など、今では全く死文化した憲法制定当時の規定がそのままになっている。

憲法を素直に通して読めば、不可解な記述がいろいろ目につく。そんな欠陥があるのに一字一句も改正不可で、改憲の動きは、時代に逆行しているかのように吹聴する論調には不快感さえ覚える。

2、「自衛隊違憲論」者や政党からは今も聞こえてこない「自衛隊縮小」乃至「解散論」

自衛隊違憲を綱領にも規定して重視している政党が、このことを選挙公約に掲げた例をこれまで殆ど見たことはない。世界で有数の軍事力を有する自衛隊は、立派な軍隊なのに憲法上の位置づけが、不明確なのは世界の軍の中では自衛隊だけだ。

前身の保安隊以来、継子扱いのままだ。認知されていない自衛隊が、「安保法制の主軸・主役」になっている。ならば自衛隊をその主役の座から降せばよかろう。そのためにも本来的主張である「自衛隊の縮小乃至解散」について「自衛隊違憲」論の立場に立つ政党や識者はそのことを何故強く、継続的に語らないのか。

それは、自衛隊の存在価値を現状では認めざるを得ないが故に、堂々と選挙の度等に自衛隊解散・縮小を説けば党のイメージ低下になるし、集票にも影響すると観ているからだろう。誠に硬骨なご都合主義の立場ではなかろうか。

重ねて憲法改正反対論者に問いたい。9条改正絶対不可とするなら、何故今迄自衛隊縮小乃至解散の世論喚起を疎かにして来たのか。今後もこの、そもそも論に触れず、只管オウム返しのように「安保法制」廃止、「9条改正」反対を叫び続ける積りだろうが、その認識が不可思議でならない。

3、当座凌ぎにしか観えない野党4党共闘の怪

先の参院選で野党4党共闘は一定の成果を収めたことは確かだ。だが実態は、4党共闘ではなく2党共闘だ。しかも、共産党票のお陰で民進党が面子を保った形だ。都知事選でもこの構図で選挙戦が戦われる。

は今や共産党票を抜きに単独では、政治の動きに大きな流れを作れない政党になり下がっている。だから、民主党時代から引き継いでいる同党綱領中の「・・未来志向の憲法を国民とともに構想・・」とか「・・日米同盟を深化させる・・」とする「改憲志向で安保体制堅持の政党」なのにそんな主張を昨今は全く封印し、「安倍政権のもとでの憲法改正の動きには組しない」などと、共産党寄りとも受け取られ易い姿勢を示している。民進党はこの分では今後も「我が党は、改憲には否定的な政党ではありません」とは云わないだろうし、云えなくなるだろう。

野党第一党としての矜持はどこかに行ってしまった感じがする。かって安保反対闘争の大きな節目(1960年、1970年)の時でも、当時の社会党は、党の主体性を貫き、社共共闘を組みはしなかった。

今日の民進・共産両党はどちらも腰が軽く、党としての主体性があるのかないのかよくわからない。どちらがどう引っ張りあって出来た都知事選での共闘体制なのか知る由もない。昨今の民共両党は「政策協定よりも単一の共通目標優先、戦略より戦術優先」の政党運営をやっているようで、これまたどこか違和感が強い共闘の怪だ。


冬の寒さと温暖化随想

2015-12-02 19:00:54 | 時評

師走になっても本来の寒さは未だ先で、今年の冬も長期予報では暖冬の見込みだそうだ。

夏の異常な暑さに、寒気が緩い暖冬が近年続いている。当方が子供の頃の昭和10年後半代と云えば、70年余も前のことになるが、厳冬の北陸若狭の家々の軒先には、しばしば太くて長い(40~50cm位)氷柱(つらら)が下がっていた。子供達は、長い棒などでその根元を叩いて落とし、チャンバラごっこの道具にして遊んだものだ。

冬場は一晩で1m余の大雪が降ることも何度かあった。囲炉裏と火鉢それに湯たんぽ以外に暖をとる術はなかった。だが、寒さ慣れの為かさほど寒いとは思はなかったから「人はやはり環境の子」で、寒ければ寒いなりに体が環境に順応するのだろう。

でも近年は、恵まれ過ぎて寒さ負けをする傾向が自分も含め、老若男女を通じて観られるので、この傾向が過大化しないように願いたいものである。

とは言え、冬でもそんなに寒くなくなった気候は、我々高齢者には今では有難い現象になっている。だが、地球的視野で観れば近年のこうした温暖化は、先行き憂慮すべき事態を招き兼ねない深刻な問題を内包し、その為の対策が全世界的に求められている。

そこで、今フランス・パリでは、世界150ヶ国の首脳らが集い「国連気候変動枠組み第21回締約国会議」(通称COP21)と称する国際会議が11月30日から12月11日迄行われている。

この会議の最大の焦点は、気候変動による世界の気温上昇を、産業革命前に比べ2度未満に抑えるための仕組みと合意形成を参加各国が為し得られるか否かが、最大の注目点になっていると報じられている。

確かに地球温暖化の影響で世界の気温は、100年あたり平均約0.7度も上昇し続けている。この傾向は、日本では更に顕著だとのことで、明治31年(1898年)以降100年あたり約1.14度のペースで上がっていると気象庁の公開記事にも出ている。

先日NHKの温暖化関連報道の中で、「・・過去100年間で世界の平均海面水位は約17cm上昇しており、この傾向が更に進んで年平均の上昇気温が3度に上昇すると海面水位が86cmも上昇することになる・・」との解説を聞いた。近未来に本当にそんな状況になると、全世界で86cm以下の沿岸地域が全て冠水し、その結果重大な死活問題が生ずることにもなるだろう。

急激な産業振興に伴う地球温暖化の主な要因は化石燃料の大量消費によるものだが、このことは深刻な大気汚染を齎している中国の環境汚染の実態が端的に示している。報道によるとその大気汚染が特に深刻な北京では、微小粒子状物質亥{PM2.5}を含む汚染指数が日本の10倍以上の「危険」レベル(301~500)を遥かに超えることも珍しくないそうだ。

こうした温室効果ガスの三大排出国たる米国、中国、インドなどは、今回のCOP21参加にあたりかなり前向きな排出規制目標を示してはいるようだから、その点では大きな前進であり、COP21の会議がどんな最終合意を打ち出せるのか世界が注目している。

いずれにしても、地球温暖化防止又は規制は人類共通の目標であり、使命なのだから国の面子や立場・国益を越えて“地球の未来を救うために一つになってより良い合意形成”を是非成し遂げて貰いたいものである。


共闘基盤再編を巡る野党の思惑

2015-10-22 12:09:13 | 時評

風刺漫画家の「市原すぐる」氏は、例のマンション基礎杭の打ち込みに関する偽装問題に絡めて、次のような政治風刺画を産経新聞に寄稿(H27.10.21)している。風刺画のタイトルは「悔い(杭)の深さ不足」と「偽装」となっていた。

この風刺画は、政治の分野で最近かなり話題になっている野党連合構想を巡る主要三党首の思惑を観る者に感じさせて呉れている。その点では、確かに「尤もな指摘であり、示唆に富んだ風刺である」と思う。

この風刺画の観方やその意味の捉え方は人夫々だが、当方がこの風刺画を観て感じたことは以下のような諸点である

1、最も意外に思ったことの第一は、日米安保条約の廃棄を党是とする党が、その党是を一時棚上げして日米安保容認の方針転換を表明したことだ。そして、当面は野党間の政策提携により来夏の参議選勝利に向けた野党共闘を推進すべきだと提唱していることだ。事ある毎に党の主張は一貫して不変であると豪語していた党としては実に大胆な豹変振りであることだ。

2、この志位の「党」は野党連携を更に進める「国民連合政府構想」なる政策提言もしている。こうした一連の動きの前提となる「野党連携・共闘」問題に対しては、野党第一党の面子もあれば、たじろぎもある筈の岡田「民主」の党は、未だ態度を決め兼ねているようである。

野党連携は是とするにしても、志位の「党」のペースに巻き込まれたくない思いもあるだろう。加えて、民主」の党内では「安保法制問題」を巡り、一部に有力な賛成派との内部確執もあり、岡田党首の思惑は複雑だろう。

3、一時は威勢の良かった維新の党も最近は、党の基盤が急に液状化している。党は西と東に事実上分かれ西の本家からは、東の維新は異端集団と揶揄され、内部分裂はもはや決定的だ。来るべきものが来た感深しのお家騒動である。当面の火を消すのに死苦八苦している状態だから、野党連携云々の話しはなお先送りせざるを得ない状況のようだ。この党は元々、民主の党以上に志位の「党」アレルギーが強い政党として誕生した党だから、今後この党が野党連携に組するとなれば、これは立党の精神に反する重大な苦渋の選択をすることになることだろう。

4、次に、この風刺画に顔のない「生活の党と○○の仲間たち」の小沢党首は、野党の中では志位の「党」と最近は蜜な関係にあるようだ。かっては自民の反共若手剛腕プリンス的存在だったが、今では軍団の輩下が悉く袂を分かち往時の面影は全くない。だが、落ちぶれても政治の裏力学に通じている同党首は、志位の「党」に同調の姿勢を示して、野党連携の隠れた推進役を演じているやに観えるのも誠に以て不可思議な政治家である。

5、いずれにしても、志位の「党」から提唱された政策提言に対し、民主・維新の両党が党内の軋轢や内紛を治め、脆弱な党の基盤を如何に固めて対応するのか、来夏の参院選に向けた野党の動きが大いに注目されるところである。

前記の風刺画が示している通り、政治の基盤再編工事に関する志位の「党」からの杭打ち戦略に他の野党が嵌ってしまったり、或いは選挙目的だけの為に、野党各党がその結党の精神に反して、後年悔いを残すような欺瞞の野党連合にならないよう切に願いたいものである。 


新安保法制反対論の背景雑感

2015-09-10 12:42:52 | 時評

集団的自衛権の行使を可能とする「武力攻撃事態法」など関連10法案と、海外で他国軍を後方支援するための「国際平和支援法」からなる新安保法制案について、各種世論調査の傾向は、賛成約30%、反対約70%となっている。

しかし、だから廃案にすべしとする論調は、将来に亘る日本の安全保障上決して正論とは言えないと当方は思う。

新安保法制反対の論調の背景には次のような諸傾向が現に色濃く存在するからだ。

1.安全保障の3要件(外交・防衛・国民の意識)中、国を守る意識を忌避する国民意識       

世界の多くの国民は、自国の安全保障のためには国を守る意識、つまり国防意識の堅持が必要であることを学校教育で早くから教えられ、国民意識として定着している。

しかし、我が国では、特に若者のこの種意識は低く、国防意識云々と口にすることさえ、非平和的認識だと観られ易いしそうした変な国民意識が定着している。自衛隊の災害派遣は歓迎だが、日米軍事演習等を忌み嫌う傾向は正にその表れだ。

2.安保法制は、「戦争立法で徴兵制につながる法案である・・」との虚構煽動

反対諸党は今回に限らず、「残業手当ゼロ法案」とか「弱者切捨て制度」とか、短絡的かつ意図的にマイナスイメージを植え付ける常套手段を多用して来ている。現に徴兵制の軍事力を誇示している一党独裁の中国や北朝鮮、かってそうだったロシアはじめ、今でも徴兵制度を採用しているスイス・オーストリア・トルコ・イスラエル・韓国等徴兵制度の採用国は、いずれもその根拠を憲法で明確に規定している。例えば次のようにである。

祖国を防衛し、侵略に抵抗することは、中華人民共和国の全ての公民の神聖な義務であり、兵役に服し民兵組織に参加することは・・・光栄ある義務である。(中国憲法第55条)、祖国防衛は公民の最大の義務であり栄誉である。(北朝鮮憲法第72条)

祖国防衛は、ロシア連邦市民の責任であり義務である。(ロシア憲法59条)全ての国民は、法律の定めるところにより、国防の義務を負う。(韓国憲法39条-1)等と憲法に明記されている。親中露系の論者は、徴兵は神聖で光栄ある義務だとする隣国の国是をどう観ているのだろうか。

それはともかく、我国では憲法改正なくしては、徴兵制度は論理的にも絶対制度化は出来ないし、総理自身もあり得ないと否定している。にも拘わらず、恰も時の政府が意図しているかのような誤解を与える宣伝・煽動に、善良な国民は惑わされてはならない。

現行安保条約締結時の55年前にも日米同盟により、日本が戦争に巻き込まれ、平和国家が戦争する国になるかの如く一大キャンペーンが全国的に展開された。当時を知る老生にとっては、それは大きな時代のうねりでもあった。だが、「戦争に巻き込まれ論」の主張は、まやかしだった。このことは、この半世紀の平和な日本の歴史が反証している。

3.憲法9条を金科玉条とするお人好しの平和志向の風潮

憲法9条は、前文中の「日本国民は国際の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との一文を受けて規定されている。

しかし、諸国民の公正と信義に信頼するだけでは、安全と生存は保持出来ないので、我国は、自衛の為と称する自衛隊を保持し、米国との同盟関係の維持・強化に努めて来た。そのことにより、紛争の抑止力が高まり、我国の平和が保たれ、今日に至っている側面があることを深く認識すべきである。

人間相互の関係を支配する崇高な理想」とはどんな理想か、その理想の下で成立つ筈の「諸国民の公正と信義」が如何に脆いものなのか、憲法9条擁護派の諸氏はよく理解されているのだろうか。

絶対平和主義の立場を由とするのであれば社民・共産両党は、違憲の疑いありとも観られている自衛隊解散を選挙公約として必ず、何故掲げないのか。国の平和と安全確保には「応分の負担と責任が伴う」ことは多くの国の歴史が証明している。綺麗ごとや願望だけで国を守ることは出来ない。国民は須らくこのことを銘記しすべきであろう。

4.日米安保の抑止効果を有害無益とする日米同盟軽視又は否定論

第一次安保闘争(1959~1960)のピーク時は、国会周辺に33万人(主催者発表)の大反対デモが展開され、第二次安保闘争(1960)の際も全国各地で反安保闘争が展開された。当時子供だつた安倍現総理は、自宅で「安保反対・安保反対」などと意味も解らず真似して連呼し、当時の岸総理に叱られたとの逸話を何かの本で読んだことがある。

今日の日米安保条約は、昨今の安保法制反対運動とは全く比較にならない程の「全国的な反対闘争」の中で成立した。その日米安保の有用性については、安保・外交音痴と酷評されたあの鳩山元総理さえ、「学べば学ぶ程、日米安保の抑止力を認識した」旨語っていた。

理屈をこねて、時流に迎合し新安保法制反対の民主党は、同党の綱領で「日米安保は安全保障の基軸であり、日米同盟を更に深化させる」旨明記している。だが、現状は二股姿勢で党利・党略優先、日米同盟軽視の姿勢ではないかと評したい。

日米同盟には当然のことながら、負の側面もあることは当然だ。しかし、片務的な安保条約を双務的に質的に整備することは国際的な常識でもあり、今次新安保法制もその延長線上の政策であろう。だから、日米同盟軽視又は否定論は、厳しい国際環境に逆行する所論だと当方は思う。

5.新安保法制の負の側面のみを強調する反対諸党・論者等の安全保障観

民主党は同党綱領で「将来的には新しい憲法を構想し・・云々」と規定している。どこをどう改正するのか明示はしていない。しかし、改憲の方向性を意図している論者も少なくはないようである。同党内には、政府が集団的自衛権の行使容認を前提とした安保法制を構想するのであれば、憲法改正を行った上で諸制約を付して制度化するのが筋である。だが、今はその時期ではないとの立場の論者もいるようだ。                                   

なお同党は、現行枠内での自衛隊の運用と領海警備法制度の整備改正により、懸念される危機の諸事態に十分対応することは可能だと主張しているが、この主張では、政府が意図している「存立危機事態」や「重要影響事態」には、対応出来ないと思うのでより国際的見地から観た安全保障観とは言えないだろう。

社民・共産両党は、平和外交主軸の努力と平和を希求する民意の結集により、国の安全保障は確保・維持されるとの基本的認識だし、安保廃棄こそが日本の真の独立と恒久平和の前提だと主張している。時代は変わっているが、両党のこの方針は、安保条約締結以来基本的には全く変わってはいない。

第一次・二次安保反対闘争の頃、学者・文化人の多くは「進歩的文化人」と称され、当方もそんな範疇の先生に憲法の講義を受けた。当時は、その所論に随分感化され、然りと大いに納得もした。だから当時はれっきとした左翼系学生の一人だった。しかし、時代の変遷の中で「ものの観方・考え方」も変り、日本の将来を見据えた国の安全保障はどうあるべきか。当方なりに考えられるようになった。

新安保法制に移行後は、海外での自衛隊員のリスクが高まると指摘する側の人達は、「私は自衛隊の使命を自覚し、・・・強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身を持って責任の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」と宣誓している自衛官の信条(心情)をどう理解しているのだろうか。

我国の自衛官は、狐声で同情を得るような所論に靡くようなことはなかろう。海外での他国支援や在外公館・在外邦人警護・救助活動等でリスク回避を最大限追及しても、尊い犠牲を伴うこともあるだろう。新安保法制への移行に伴い、自衛隊に新たな任務が付加されても、海外では日本国軍だと認知されている自衛隊と隊員達は、我国の名に恥じない立派な後方支援及び警備支援活動をして呉れるであろう。

安倍総理はじめ与党議員の多くの本心は、憲法改正により自衛隊を軍隊として認知し、集団的自衛権の行使容認を疑念の余地なく可能にすることにあると思われる。だが、現状ではそれは不可能だから、無理を承知の上で解釈改憲により、新法制への移行を意図しているのだと当方は理解している。

止むを得ない政策選択だと思う。総理を「将来日本の国を戦争に導く独裁的首相」などと誹謗するのは勝手だが、戦前・戦中の軍部独裁の時代と異なり、現代は、国の安全保障のあり方を決める法制度一つを採択するのにも昨今のように、厳しい試練を経なければならないご時世である。現代は、いざ国難遭遇対応の際に、総理の恣意的判断だけで即断即決出来る時代ではない。

いづれにしても、我々国民は、為政者が国益のためどんな意図・目的で、何をどうしようとしているのか、感情論や風評・キャッチフレーズ等に惑わされることなく中身をよく確認し・自分の意見を堅持すべきだと最近痛感している。

世の中には、自分が支持する政党の主義・思想・綱領や重要施策さえ一読もせず、「なんとなく良さそうだから支持する」傾向が多々観られる。

今回の新安保法制の10+1法案からなる新安保法制の関連文書を一読して、ある程度理解したうえで、賛成・又は反対の意見を持っている人は果たしてどの程度いるだろうか。