気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

「邦人被害事件と自己責任論についての批判」に関して思うこと。

2015-01-25 12:53:18 | 時評

事態の進展が不透明な中で、今回の事件について「安易な自己責任論を問題にすべきではない」との識者の意見を報道で何度か拝聴した。確かに尤もな指摘ではあるのだろう。

しかし当方は、その問題に覆いを懸けた議論ばかりが話題になってはいけないと思っている。過去にも諸々の類似例があるが、危険地域における個人的取材に関し、当方が以前から感じている疑問等は次のようなことだ。

1、取材の絶対的必要理由と公益性についての疑問

今回もそうだが、この種事件が生起する度に、危険を冒してまで単独現地取材する理由とその必要性について、どの程度の公的な意味があるのか、あったのかという問題は当方の兼ねてからの素朴な疑問である。

紛争地域での悲惨な現状を危険を顧みず、現地取材して世界に発信し、世界平和に貢献したいとの純粋な取材動機や目的・理由は確かにそれなりに理解は出来る。

確かにその動機や目的について当事者は、大いに社会的正義を意識しているのだろう。しかし、全く独自・フリーな立場で、一種の業として取材行為を行うことそのことに対し、第3者が、どんな公の大義や公益性を認めているのか、当方は大変疑問に思う。

何らかの形式で、国や自治体等との委託契約等を交わしての取材活動であれば、話は別だが、そうでない取材活動についての社会的要請やニーズは、当事者が認識している程、果たしてあるのか否か甚だ疑問である。

2、二人の邦人が、今回の取材にあたり事前にどんな被害想定をし、被害が生起・拡大した場合のその影響性について、どんな認識をしていたのかについての疑問

最悪の場合、個人・家族としても最悪の不幸を招くことになることについて当事者は、十分認識しているのは当然のことだ。しかし結果的に個人が招いた危機が、自国のみならず、関係国の外交姿勢や国の威信について如何なる影響を齎すことになるか、ということについて、事前にどの程度の自覚と認識があったのか、この問題は大いに問われるべき問題である。脅迫されて「云わされている」にしても、救出に関し批判的情報が発信されていることは、当然の帰結とは云え、誠に憤激の極みである。

国は人命最優先で、当面の政務を遂行している。しかし、かくなるに至った「そもそもの原因」が那辺にあったのか、十分に問題にし、教訓を汲み取るべきである。そのことを避けて、国の救出活動の成否や事件と国の外交姿勢との因果関係等の問題のみが、今後議論の対象になるようであってはならないであろう。

3、危険紛争地域に対する厳密な渡航条件の審査と運用

如何なる地域への渡航であれ、その「渡航の自由は最大限保障されるべし」とする風潮は、わが国でも顕著である。だから今回の2邦人の渡航も可能だったのだろう。

しかし、今次事件の教訓に鑑み、今後は渡航希望者の安全確保と国としても、リスク回避の観点から、今後はより実効性のある渡航条件の審査運用についての対応も必要である。

いづれにしても、危険地域で個人的動機・目的のため海外活動を行う個人や関係グループに対しては、当該個人や関係者の生命を守る観点からも、時・場所・場合に応じた渡航規制は適正に実施されるべきだし、関係者も進んで協力する姿勢が特に必要であると思う。


邦人被拘束事件と自己責任

2015-01-22 11:40:05 | 時評

してもyou tubeで世界に発信された「イスラム国」による殺害警告事件の去就が注目されている。被害者が、二人の邦人ジャーナリストであるだけに、イスラム教超過激組織「イスラム国」の暴挙に万死を報いたい思いである。

フランスでの無差別殺人テロ事件を契機に「改めて諸国の対テロ意識の高まりと国際的な連携対策」が強化されつつある矢先に加え、安倍総理の中東歴訪中における「2億ドル支援」表明時期に合わせてこの事件が惹起された。

兼ねてから「イスラム国」の取材には拘束の危険が伴い、政治的取引のターゲットにされる虞れあり、と危惧されていた。それが現実のこととなり、拘束された邦人フリージャーナリスト救出に関する回答期限が迫っている。常識的に観ても現実的で、妥当かつ即効的な解決策が殆どないだろうと思われるだけに事態は大変憂慮される。

ところで、今回の事件に関しても、●フリ-ジャ-ナリストによる危険地域での取材行動の自由と取材リスクに伴う自己責任の問題が指摘されている。不埒な「イスラム国」の要求には断じて屈してはならない。これはこの種事件対応の大原則である。政府も国の威信をかけ、あらゆる方策を講じて2邦人救出のため最大限の努力をしている。国として当然の対応である。

しかし、万策を尽くしても救出に至らない場合は、その直後から、政府の救出対策について又諸々の批判論評がなされるこは、過去の諸事件対応例が示す如く、必至の成り行きになるだろう。

その場合、事件の被拘束者たる2邦人自身が、果たしてどんな心情・覚悟で、どんな対応をするのか、大いに注目されるところである。お二人とその関係者には、大変酷な言い方だが、この場合当方は、以下のように考える。

それは、お二人が自己責任の重さを悟り、最悪の場合は、殉死も辞さずとの冷徹な決断を内に秘め、大和男児らしく対応する気概を示して貰いたい』ということだ。そうした毅然とした姿勢を示すことこそが、ご本人達には重ねて酷な願いになるが、「個人としてもテロに負けない日本人としての矜持と国の威信を最も明確かつ有効に示す証し」に繋がると考えるからである。

とは言え、そんな最悪の結末を迎えないためにも、最良の解決策による無事帰還を切に祈願している次第だ。


莫生気(ムォ・ション・チ-)のこと。

2015-01-18 12:42:09 | 人生

かって、新宿区内で、某中華料理店の総支配人を務めていた通称「黄」さんとの付き合い関係が出来てから、もう既に40年近くになる。「黄」さんは今年満94歳だが、大変元気で、「気力を失えば老いが早まる。だから弱気は損気だよ。」というのが、先輩の口癖である。自宅居間には、皇居二重橋や昭和天皇・皇后及び今上天皇と皇后の写真を掲げている程の皇室崇拝者である。とにかく、我々以上に大和心を弁えた上海出身の帰化人である。

その「黄」さんから、老いては益々夫婦相互の愛と労りを大事にしなさいよ!と云われて5年程前に渡されたのが、「莫生気(怒ることなかれ)」と題する次の漢詩である。

      中国の誰が、いつ頃読んだ漢詩なのか、「黄」さん自身も解らないとのことなので、市の図書館及びインターネットでも調べた。だが、その辺りの事情は不明のままである。

しかし、概略の意味は「黄」さんから聞いていたので、当方なりの解釈も加え次にその全文を掲載する。

昨年から、80の手習いでNHKの中国語ラジオ講座を聞いて、テキストを頼りに勉強していることもあり、静かに声を出して読む度に、年の所為か、語感と味わい深い内容が沁みてくる昨今である。

 (全文は横書き、横読み)

人生は一幕の劇のようなものだ
縁あったが故に一緒になって今日に至った仲なのだ

だが、お互いに支えあって老いてゆくのは容易ではない
とは言え、だからこそ互いに労り大切に生きて行こう


日常の些細なことで気持ちを荒げたりしてはいけない
後で思い返せば、そんな必要も無かったと思うものだ

他人が気持ちを荒げても、自分は腹を立てないでいよう
腹を立てて病気になっても誰も、代わってはくれないから


もし私が怒り狂ったとしても、そんなことは誰も気にかけない
だから自分が気持ちを荒げれば、自分が傷つき無駄骨を折るだけだ
ご近所や知り合いと自らを比べてみても仕方なかろう

子供や孫のことにあれこれ口を挟まないように心していよう
苦しみも喜びもお互いに分かち合い、
神様さえも羨むような良き伴侶であり続けたいものだ

記「黄」さんの話によれば、中国では古くから伝えられている「莫生気」も、時代の変化で人口に膾炙されなくなりつつあるので、この詩も若い人はあまり知らないだろう・・とのことだ。洋の東西を問わず、これも時代の自然の成り行きなのだろうか。

 


初めての鼻風邪

2015-01-14 16:06:35 | 健康

仏国でのあの卑劣で痛ましいテロ事件を、体調不良だったこともあり、ベットに横になったまま悲痛な気持ちで観ていた。こうしたテロ事件には、地域性や因果関係的な要因も多分にあるのだろう。だが、今日迄の各種各様のテロ事件を思い起こせば、2011.9.11事件以来現代は、確かに、「テロの脅威」はどこにでも潜在している時代に完全になっているとも思った。

人間社会だけでなく人間そのものにも、ある日突然、病魔という悪玉に襲われて苦しめられ、時に脳卒中や急性心不全等で即絶命することもある。当方は、生き方の面では「ピンコロ」願望だが、幸いにして未だその兆候はない。でもこの1週間は、聊か大袈裟な云い方になるが、未経験のかなり激しい咳に散々苦しめられた。

以前から時々出ていたに加え、6日の夜半頃から、急に咳き込みが1分程続いて、息苦しくなりだし、その咳込状態が、1時間に何度も、起きたりしていた。が絡むこともなく、食欲も普通だった。だから、そのうち治るだろうと判断し、その後も、うがいの励行喉を温めること目の就寝、それに食は抜かないよう努めていた。微熱も退き、呼吸時の胸の微痛もなくなったが、咳き込み状態から何とか抜け出したいと思い、外に出る意欲も出て来た13日(火)、総合病院の専門医の診断を受けた。

問診と聴診後その医師から、「・・・大事に至らず良かったが、微熱が続き胸痛があり、これに痰が絡んでいれば、急性肺炎で即入院でしたよ。家での処置が概ね良かったこと、あなた自身に病に耐える体力があったからこの程度で済んでいる。・・・咳込は和らぐが、今暫くは続く。病み上がり状態だから、散歩及び体全体を動かすストレッチ等は、暫く自重するよう・・・」と云われた。

お蔭様で、毎食後の処方薬の服用により、昼夜の咳き込みは殆どなくなり、NHK[まいにち中国語」の視聴、抜けていた日記の記入、メールチエックも出来るようになった。もう大丈夫だろう。

医者の診立ては、「鼻風邪が治りかけている状態」だとのことだった。鼻風邪が進んで急性肺炎にでもなっていれば大変なことだ。約68年前の小学5年の頃、その急性肺炎で闘病した昔のことが又思い出された。そうならずに済んで本当に良かった。

鼻風邪なる言葉は、初めて聞いた。通常の風邪と、どこがどう違うのか知らないが、いずれにしろ、「侮るなかれ、風邪は万病の基」なのだから。・・・・