事態の進展が不透明な中で、今回の事件について「安易な自己責任論を問題にすべきではない」との識者の意見を報道で何度か拝聴した。確かに尤もな指摘ではあるのだろう。
しかし当方は、その問題に覆いを懸けた議論ばかりが話題になってはいけないと思っている。過去にも諸々の類似例があるが、危険地域における個人的取材に関し、当方が以前から感じている疑問等は次のようなことだ。
1、取材の絶対的必要理由と公益性についての疑問
今回もそうだが、この種事件が生起する度に、危険を冒してまで単独現地取材する理由とその必要性について、どの程度の公的な意味があるのか、あったのかという問題は当方の兼ねてからの素朴な疑問である。
紛争地域での悲惨な現状を危険を顧みず、現地取材して世界に発信し、世界平和に貢献したいとの純粋な取材動機や目的・理由は確かにそれなりに理解は出来る。
確かにその動機や目的について当事者は、大いに社会的正義を意識しているのだろう。しかし、全く独自・フリーな立場で、一種の業として取材行為を行うことそのことに対し、第3者が、どんな公の大義や公益性を認めているのか、当方は大変疑問に思う。
何らかの形式で、国や自治体等との委託契約等を交わしての取材活動であれば、話は別だが、そうでない取材活動についての社会的要請やニーズは、当事者が認識している程、果たしてあるのか否か甚だ疑問である。
2、二人の邦人が、今回の取材にあたり事前にどんな被害想定をし、被害が生起・拡大した場合のその影響性について、どんな認識をしていたのかについての疑問
最悪の場合、個人・家族としても最悪の不幸を招くことになることについて当事者は、十分認識しているのは当然のことだ。しかし結果的に個人が招いた危機が、自国のみならず、関係国の外交姿勢や国の威信について如何なる影響を齎すことになるか、ということについて、事前にどの程度の自覚と認識があったのか、この問題は大いに問われるべき問題である。脅迫されて「云わされている」にしても、救出に関し批判的情報が発信されていることは、当然の帰結とは云え、誠に憤激の極みである。
国は人命最優先で、当面の政務を遂行している。しかし、かくなるに至った「そもそもの原因」が那辺にあったのか、十分に問題にし、教訓を汲み取るべきである。そのことを避けて、国の救出活動の成否や事件と国の外交姿勢との因果関係等の問題のみが、今後議論の対象になるようであってはならないであろう。
3、危険紛争地域に対する厳密な渡航条件の審査と運用
如何なる地域への渡航であれ、その「渡航の自由は最大限保障されるべし」とする風潮は、わが国でも顕著である。だから今回の2邦人の渡航も可能だったのだろう。
しかし、今次事件の教訓に鑑み、今後は渡航希望者の安全確保と国としても、リスク回避の観点から、今後はより実効性のある渡航条件の審査運用についての対応も必要である。
いづれにしても、危険地域で個人的動機・目的のため海外活動を行う個人や関係グループに対しては、当該個人や関係者の生命を守る観点からも、時・場所・場合に応じた渡航規制は適正に実施されるべきだし、関係者も進んで協力する姿勢が特に必要であると思う。