気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

老生の初期胃癌体験記(6/6)

2017-01-29 07:44:28 | 健康
 

最後に約5ケ月に及ぶ不健康状態を通じて得た教訓・所見を次に列記する。

1.体が発するサインを過小評価せず、早期受診の励行

1)胃癌手術の4ケ月前頃から何となく感じていたお腹の違和感は、体内から伝わる未経験の暗示だった。人により、症状の出方は当然違うのだろう。

だから、胃カメラ検診を自ら申し出た時の当方の初期症状が、胃癌そのもののサインではなかったかも知れない。けれども、今迄とは違う体のサインをかなり深刻に受け止め、「直ぐ、自ら申し出て」胃カメラ検査を受けたのは正解だった。

発症の発見が遅れていれば、内視鏡では処置出来ない病変になっていたのかも知れない。何はともあれ、異様なサインが出た場合は、年齢等に関係なく、努めて早く診断を受けるよう心掛けるべきだろう。

2)重症化の虞があるのに、己の体力や経験値を基に勝手な自己診断をしてはならない。

肺炎は高齢者の命取りになる重病であることを改めて再認識させられた。

 2.時と場合・状況に応じたセカンドオピニオンの有効利用

  近年は、医者の顔色を窺って内緒で第二・第三の医師に相談診療を受ける時代ではない。殆どの医師は、患者・家族の意思で「セカンドオピニオンを選択」することは当然のご時世だと認識されているようだ。

当方の場合も最初の病院での担当医は、「より患者さんのためになりうる場合は転院も有効は選択肢の一つで、患者さんには状況に応じた医療先選択の権利と自由があります。そのための助言をするのも医師の務めの一つだ。」と好意的に対応して呉れた。

 3.「がん」であることを意図的に隠さない生活信条・流儀

昭和10年世代の当方達には「がん」は怖くて不治に近い病気だとの意識がある。なので、これ迄「がん」で先に逝ったり、治療完治した知友人の中にも治療の初期段階では、病名をぼかしたり、症状を詳しく話して呉れない者もいた。

家族ぐるみでそんな姿勢のお人もいた。統計によれば、「がん」罹患者中その約1/3は「がん」で死亡(2015年罹患者数約98万人、死亡者約37万人)している。

「がん」であることを意図的に口外しない心情も理解出来る。でも、病名を隠して悶々としているより、ある程度の範囲の知友人に事実を話すことは、患者自身の精神衛生上も良いことではないかと当方は信じている。

そんな思いもあり、今年の年賀状には率直にそのことを書き込み、近隣で交わりのある知人等にもさり気なく当方は話した。

 4.医療検査・治療には「もしも‥の疑い・虞れ」が常にある。

このことは担当医も症例を交え話して呉れていた。「・・たら、・・れば」を語れば切りがない。胃壁の厚さは約1㎝ほどだとのことだ。その胃壁上の患部をモニターを見ながら極めて薄く剥ぎ取る際中に、スコープの先に付いている医療メスが、何かの原因で胃壁を突き破る虞もあるという。

又、当方の場合のように、大腸癌の「疑い」を内視鏡検査で「打消し否定確認」出来るケースもある。

常に考慮すべき「もしも‥の疑いや虞れ」に患者自身が気持ちを奪われることのないようにすべきであろう。当方は担当医を信じて「疑い・虞れ」の気持ちを抑えることが出来たと思っている。

 5.失意・弱気・悲観的患者心理は治療上害あって益なし

どんな症状であれ、患者には特に「よし・・」「まだ・・精神」が必要だ。「やっぱり・・」「もう・・」の思いは患者心理を暗くする。患者という受身の弱者は、精神的にもとかく消極・受動になり易い。しかし、失意・弱気・悲観の心情は元気をそぎ落とすばかりである。「よし」、「悔むより前向き志向で病に負けてはならぬ・・」との思いは、病気治療上も有効だと当方は信じ、今回もその気持ちを持ち続けた。

 6.家族の意向等も十分配慮した治療先の選定

如何に専門の医療機関であっても、患者と治療先病院との相性(診察医師等の印象、院の雰囲気等)や本人及び看病人の年齢・通院上の便不便・家族による看病上の負担等を十分考慮のうえ、治療先を選ぶ配慮も必要だ。

今回当方の場合は、病院迄の所要時間は電車で約1時間、入院期間は延べ10日で短かかった。これが長期入院等の場合、看病にあたる家人等の負担も相対的に大変になったことだろう。

 7.入院中における他者とのフランクなコミニュケーション

入院先の患者が全て「がん」患者又はその疑いの患者ばかりだったから、同病室(検査入院時4人部屋、治療入院時2人部屋)の方や病室担当の看護士等との会話も比較的遠慮なく自然に出来た。

5度の手術歴を有し、6度目の治療入院中の同室者もおられた。同年輩のその方から、貴方様の場合は、語弊があるかも知れないが「がんの序ノ口ですよ。大丈夫ですよ・・」などと逆に励まされた。これも、同室他者とのコミニュケーションによる成果の一つだったと思う。

8.担当医に対する敬意と信頼関係の維持

前の病院のM医師は、患者思いの温厚な人柄で初対面の頃から信頼のおける医師だと感じた。病院側の資料によれば、地方都市で院長経験もある経験豊富な消化器専門で、年齢は50代前半だった。

「セカンドオピニオン選択」の時も懇切なアドバイスを受けた。がんセンター中央病院のN医師も大変尊敬に値する医師だった。「外来相談」応対時の言葉使い・説明要領及びその内容も明快かつ説得力があった。

治療入院中は、朝夕助手を連れて病室に回診に来られた。その時の患者目線での言葉使い、それに何よりも何度かの説明を受けて感じたことだが、「内視鏡手術についての確たる自負心」を秘めている医師だとの印象は、今も変わっていない。

医師との信頼関係は、「患者が医師に心のベルトを懸けることにより成り立つ」ものだと当方は感じている。

9. 受ける医療行為に対する真剣な認識と理解及び信頼

患者は、基本的には全て「医者任せ」にならざるを得ない。しかし、患者は、自分が受ける治療の内容や要領、それに「もしものリスクの有無」等については、しっかり事前に承知しておくべきだ。この認識が疎かで後から「こんな筈ではなかった」と医者の医療行為にクレームをつけたりした知友人の例も過去にあった。

検査・手術の前に当該医療行為について渡され、説明された既述の「・・説明・同意書」記載の内容を自分もよく読んだ。お陰で多少の心配もあったが、安心して手術を受けることが出来た。

 10.診断所見が異なる場合の最後の判断者は自分

ピロリ菌の除菌治療に関する前の病院のM医師と、がんセンター中央病院のN医師との観方・考え方は違っている。M医師は「除菌肯定」、N医師は、「除菌不要」の意見だった。両医師の見解やNetで得た知識等を参考にして当方は、2ケ月検診(223日:内視鏡検査)で異常がなければ、その後時期を定めて除菌治療を受ける積りでいる。

何故なら、現在も解消していない・飲食物の痞え・ゲップ・時にある胸の痞(つか)え等の諸兆候はもしかして、ピロリ菌による影響ではないかと感じられるからである。

 11. 回復力に見合った退院後における食事及び体調管理

最低2週間~1ヶ月間は厳密に食事管理する必要があるとの指導を受けている。

当方は、この期間を2ケ月と定め、大好きな刺身等の生ものを避け、特に好きではないが飲酒もしていないし、刺激性の強い香辛料等は摂っていない。

食事管理の失敗が、もしかして病変のぶり返しに繋がるのではないかとの虞もあるからだ。散歩・自転車での散策等により、適度の運動もしているので、体調管理上の懸念はない。体重もあと3㎏程増えれば、ベスト体重の約68㎏台に回復する状況だ。

 12.「がん」患者だったことに対する自覚と認識

統計的には、1年後の検診で「がん」再発が確認されることもありうるとも聞いている。その意味では、「がん患者だった」と過去形で書くのは早計かもしれない。患部は切除され傷跡も回復しているだろうから、当方、今は「がん患者」ではないけれども、ごく最近迄は「そうだった」。だからそのことを肝に銘じ、特に食事管理面に留意して今後もしっかり養生に努めたいと思っている。

 

最後に時折見聞きする『健康十訓』を次に記して本稿の終わりとする。

この10訓は、江戸中期・尾張の俳人、横井也有(西暦1702-1782)作だそうだ。これは、人の健康管理(特に食事管理と精神衛生)に関する基本原則を示している故に今も広く知られている訓言となっているのだろう。

若い頃、職場の先輩からこのコピーを渡されたこともある。その頃の自分を思い出し、改めて今後の健康管理の心得とし順守したい。

「健康とは、自分が自分に贈れる最高の財産である。」これは当方が、以前から自分に言い聞かせて来ている「自分への教え」である。「胃癌」という天敵を排除し、今再び概ね元の状態を取り戻しつつある。

最後になったが、妻はじめ長女夫妻と娘達は、当方の入院にあたり温かい気配りを以てよくサポートして呉れた。そうした「心の支え」に対しても心から感謝している。

入院期間は僅か10日間だが、発症判明(1020日)後から退院(1216日)迄の約2ヶ月の間の「早期胃癌治療体験」はいろんな意味で実に貴重な体験だった。

この先余生はそう長くはないかもしれない。だからこそ、当方は、先人の教えやお世話になった医師等の指示をよく守り、自分に贈れる貴重な財産を今後も殖やし続け、より健康な余生を過ごせるよう精進したいものだと切に願っている。


                             『健 康 十 訓』

                                一.少肉多菜(肉を控えて野菜を多く摂る。)

                                二.少塩多酢(塩分を控えて酢を多く摂る。)

                                三.少糖多果(砂糖を控えて果物を多く摂る。)

                                四.少食多噛(満腹になるまで食べずよく噛んで食べる。)

                                五.少衣多浴(厚着を控えて日光浴し風呂に入る。)

                                六.少車多走(車ばかり乗らず自分の脚で歩く。)

                                七.少憂多眠(くよくよせずたくさん眠る。)

                                八.少憤多笑(いらいら怒らず朗らかに笑う。)

                                九.少言多行(文句ばかり言わずにまずは実行する。)

                                十.少欲多施(自身の欲望を控え周りの人々に尽くす。)

 

  


老生の初期胃癌体験記(5/X)

2017-01-27 19:22:59 | 健康

1.治療手術のための入院(1215日~21日)

1どこを、どう、安全に切除(剥離)するのか検査段階で詳しく説明を受けているので全くではないが、さして不安はなかった。

当日は、点滴の他に、手術室でマウスピースを口に銜え、酸素吸入器具、心電図用の電極等も取付けられた。

姿勢は、検査時と同じ左横向きで、バンドで体を固定され、口元には吐血、嘔吐に備えての容器等も備えられ実に異様な感じだった。

こうして、学術的には「内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)と称する手術を1216日に受けた。

2手術・検査に関する説明受と同意書の提出

事前に一読しておくよう指示され、実施日の前に担当医から概要説明もあった。説明資料の表紙には、自筆署名欄があり、検査の度にその同意書にサインした。因みに、初診以降説明を受けた手術・検査資料内容の要旨は下表のとおりである。


3)無痛無意識、束の間の患部剥離手術

部屋の時計は1220分を示していた。聊か大袈裟だが、1216日は、生まれて初めて、小なりと雖も体内にメスが入り、臓器の一部が切り取られた記念すべき日でもあった。程なく全身麻酔が行われ、N医師から「そろそろ眠くなりますよ・・・」と声をかけられたところ迄は記憶がある。しかし、その後のことは全く覚えがない。

表現が適切ではないかも知れないが「案ずるより産むが易し」の思いがした。

「もう終わりましたよ・・」と看護士に体を揺すられ、声をかけられて初めて手術の終りを知った。手術室とは別の部屋に寝かされていた。

「起き上がるのは未だ無理です。ふらつき感がなくなったら起き上がっても大丈夫です・・」と係の看護士に指示された。意識はもうしっかり戻っていた。

部屋の時計は既に3時半を過ぎていた。後で聞き知ったのだが、手術時間は約1時間ほどだったとのことだった

3)予定通りの手術結果

手術直後、妻は別室で、N担当医から剥離した現物を見せられ、「手術は予定通り無事、何の懸念もなく終了した」こと。「患部を含む約2cm四方の赤黒い粘膜(ケース入り)を浅く剥離した」こと等についての結果説明を受けていた。

妻の感想は、「経験豊富で親切な先生の世話になってよかった・・でも、血が付いた生々しいケース入りの粘膜をよく見る気にはとてもなれなかった・・」とのことだった。

 2.術後の懸念・関心事

1)出血と痛みの有無の確認

手術後当方は、剝ぎ取られた患部跡(傷口)からの出血はないか、痛みが出ないか心配だった。担当医にもその関心はあったようだ。

その理由は、当方が、7年前頃から持病の「心房細動」に伴う血液さらさら薬(イグザレルト)を服用中のため、少しの出血があっても血が止まりにくい体質になっているからである。

術前2日前頃迄に服用を止めれば、手術中の血の止まりは良くなる。しかし、その場合は、何かの「きっかけ」で、血行不良に伴う脳梗塞等のリスクを生ずる虞があることをN担当医も懸念しておられた。

N医師の判断は、「同薬の服用は続けさせる。手術直後に所要の止血処置をする。もし、手術中に予想以上の出血がある場合は被膜処置をする」方針であることを事前に聞いていた。

出血が進行中か止まったか、それは排便の色で判るとのこと。このため、ナースステーションのチーフから排便後は「看護士が便の状況を直接確認した後に流す」よう指示されていた。

3)便の色・状況の変化

術後の翌日点滴も終了、2日目朝から潰瘍5分粥食で食事出来るようになった。その日初めて出た排便は「イカ墨のように真黒でゼリー状」だった。手術時の出血が便に混じって酸化した証拠であり、その状況の継続は「傷口からの出血継続のサイン」だと知らされた。3日目、2度目の排便時は色も灰色に変わり、4日目は概ね普通の便色になっていた。時折下腹部付近で感じていた「チクチク感」はこの時点ではなくなっていた。

こうした状況は、ナースセンターから担当医に定時的に報告されていたようで、毎夕回診に来られているN担当医から、12月20日の夕「出血も止まり何の懸念もないので予定どおり、明日退院Okです」との許可を受けた。

4)ピロリ菌の処置に関する二人の医師の診方の差

前病院のM医師(消化器科担当部長)は、胃の手術後、然るべき時期に除菌治療(特定薬の服用―約1週間)をした方が良いとの意見だった。

この点に関し、退院前日の面談時にN担当医に尋ねたところ「その必要はない」と明確に否定された。「確かにピロリ菌は、“がん”を含む胃病の原因になることは確かだが、それが胃病の全ての原因ではない。今日、統計上も高齢世代のピロリ菌罹患率は約80%になっている。

この菌が、胃酸を中和して胃壁に潰瘍を作る迄には何十年もの年数を要する。80代の貴方が、余生の間にピロリ菌が原因で胃潰瘍等になることはまず考えられないので、退院後除菌治療を受ける必要はありません・・」との説明を聞いた。

さもありなんと説明受の時点では納得したものの、「果たして本当にそうなのか」疑問は今も残ったままだ。

 3.退院予定患者・家族に対する食事管理説明受け

退院予定の2日前、専属の栄養管理士による食事管理説明会に出席した。この説明会は、退院予定患者と家族をまとめて概ね毎週行われているとのこと。術後の食事管理に失敗し、再入院を余儀なくされる患者も中にはいるとの事例紹介もあった。

患者にとって、摂取が望ましいもの・避けた方がいいも別に、列挙された夫々の飲食材の功罪について詳しい説明があった。

胃癌治療受けの患者は、特に、アルコール類・生もの(刺身・寿司類等)・刺激性の強いもの・熱い飲み物等は最低一ヶ月程度は慎むのがベターだとの指導もあった。

元々胃腸がそんなに丈夫でない当方はその指導を守り、今も続けている。

 4.検査・治療入院諸費用

地元クリニックでの胃カメラ検査、前病院での諸検査費等を含む検査・入院費は、概算約10万円位(自己負担分)だった。このうち、国立がんセンター病院での諸費用は、下表のとおりである。

低コスト負担で「がん」対処が出来たのだから保険適用の有難さに感謝である。

しかし、当方の入院諸費用にも、年々増える国の医療保障費(H27年度約9.4兆円)が適用されていることを思うと、正直何だか申し訳ない心情である。

 5.退院後の予定と心得

  年明けてH29113日、術後初の検診を受けた。問診のみの診断で、次回223日に内視鏡による検査(病変の跡の回復状況等の確認)を受けることになっている。

その検診結果に関わらず、本年1216日(術後1年)には最後の内視鏡検査がセットされている。その時点で異常なければ、晴れて当方の胃癌は最終的に完治したものと看做されるのだそうだ。

剥離手術で当面の「悪玉細胞群」を潰すことは出来た。しかし、真の判定は未だ先である。12月の最終検診で、その「がん敵」が完全に除去されたとのエビデンス(証し)が得られることを切に期待している。

だから、その最終判定が得られる迄は、体内冷戦はなお続くと自覚している。

それ故に当方は、N担当医はじめ世話になった院内関係各氏のアドバイスを今後も忠実に順守し、「先の長い冷戦に勝利」出来るよう今後とも的確な自己管理を続けたいと願っている。


老生の初期胃癌体験記(4/X)

2017-01-24 14:47:43 | 健康

1.前病院と同じ検査を再度受検し予想外の結果に当惑

1114日、がんセンター中央病院に通院し、半日がかりで・血液検査・心電図検査・呼気検査・レントゲン検査及びCT検査を受けた。

受検者からすれば、「また同じ検査を何故受けるのか・・」との素朴な疑問も若干あった。だが、担当病院及び担当医の論理からすれば、転院して来た患者に対する再検査は当然のことなのだろう。

1週間後の1121日、検査結果について説明を受けた。そこで、担当医から次の2点について意外なことを告げられた。

その一つは、CT検査報告書には、「上行結腸に25㎜大の隆起性病変を認め、周囲には小リンパ節が散見され、結腸癌の可能性がある」と記されています。平たく言えば、大腸癌の疑いがあるということです・・・との告知だった。

前病院でのCT検査では「異常なし」だったのに、何故違う結果が出たのか、不思議だった。当方の質問に対するN医師のコメントは、「・・大腸癌と断定された訳ではありません。

この疑いを確認するため、後日大腸内視鏡検査をします。CT検査器機の性能の違いで、当院で新たな疑いが出る場合もあります。」とのこと。

更に続けて、「因みに一般病院でのCT検査は、1㎝単位で体の輪切り撮影をするのに対し、当院のCTは1mm単位で撮影されています。今回の検査結果は、そうした違いによるとも考えられます。来週の大腸内視鏡検査で疑いが確かにあるのか否かが確認できます・・」と告げられた。

 ②二点目は、レントゲン検査結果に出ている左胸の炎症跡のことについてであった。画像上の影は、ごく最近、気管支炎だったことを示すもの」です。

「概ね自然治癒しているとのことなので問題ないと思われるが、抉(こじ)れれば高齢者にとっては命取りになる病気です。本来なら、胃癌の処置の前に入院して治療を要する大変な既往症だった」との指摘だった。

大腸癌の疑い」と告げられた時は、「胃の他に大腸癌もかよ・・」と聊か心の動揺を隠せなかった。気管支炎については、医者の治療を受けずに、幸運にも治りつつあると実感していたので叱責気味に語る医師の話は、痛いほど胸に響いた。

同席していた妻も、「大腸癌だったらどうなるのか・・」とても心配気げな様子だった。

 

2.検査入院(1123日~1126日)

1)60年振りの入院・飲み辛かった腸内洗浄剤

・先に「セカンドオピニオンの相談」を受けた後の検査入院の予定は、その段階で既に決められていた。なので、入院の心積りは出来てはいた。

だが、大腸検査の追加で入院期間は、1日増えて34日になった。大学卒業時の22歳の時、京都市内の国立病院で「肥厚性鼻炎」の手術を受けた時以来の入院だった。

・入院当日の午後から所定量の腸内洗浄剤「モビプレップ1と水(ペットボトル1本分500ml)を各日、指定時間内に飲むよう指示された。指示通りに飲んだけれども、これは高齢者にはとても苦痛を伴う飲量だった。

程なくして下痢が始まり、排便の効果が出た。数度目の排便で便の色が無色透明になった。ナースコールをしてその都度便色を確認して呉れていた看護士から、「これで腸内洗浄も完了しました」とのことだった。

2)モニター画像を見ながらの大腸検査

2410時、お尻に大きな穴の開いたパンツだけの検査着に着替え、正式には「下部消化管内視鏡検査」と称する検査を受けた。

担当のN医師が、小指程の太さの内視鏡スコープを肛門から1.5m程先の盲腸付近まで挿入し、その後ゆっくりそのスコープを抜きながら、病変の有無をサブの医師と話しながら確認しているようであった。

麻酔なしでの検査だった。検査の様子を足元の上1m程の所にあるモニターで見れたので、検査状況はよく分かった。実にリアルで、腸内の色も鮮明だった。異次元の画像を診せられている思いもした。

検査の間、23度チクリと痛みを感ずる時もあった。生体検査用に疑わしい部分を抽出したとのことだった。検査時間は、約30分間ほどだった。

検査の終わり頃、担当医が当方の顔を覗き込みながら「Mさん・・よかったですよ・・大腸は綺麗で病変は認められません。生体検査の結果待ちとなりますが、視認した限りではまず大丈夫ですよ・・」と告げられ安堵した。

後日、「生体検査結果も異状なし」と知らされ、心底救われた思いがした。

それにしても、先のCT検査所見結果との食い違いの原因は何なのか、その詳しい説明は聞いてはいない。

 

3)一夜明けての上部消化管内視鏡検査(胃カメラ検査)

前日の大腸検査に続いて 今回で三度目(前病院で2度目-1度目は3年前と今回:1125日)、通算3度目の胃カメラ検査を受けた。

検査中の姿勢は、終始左胸を下にして横向きに固定された状態だったため、検査中の様子をテレビモニターで見ることは出来なかった。

検査は約20分程で終わった。その所見は、基本的には前病院での診断結果とほぼ同じで、剥離すべき患部の拡がり(大きさ)や深さ(深達度)も浅いので、予定通り内視鏡による手術で十分可能だとのことだった。

 

4)退屈なく過ぎた4日間

点滴続きで食事が許されたのは、入院2日半日後の1125日の昼食からだった。半粥だったが残さずおいしく食べれた。

口と尻からの胃腸検査が続き体の疲れもあった。けれども平衡感覚は確かで院内散歩も出来たし、読書も出来た。検査入院中、「百田尚樹」著「海賊とよばれた男(上下巻)」を大変興味深く読了した。

  


老生の初期胃癌体験記(3/X)

2017-01-20 20:32:45 | 健康

1.築地国立がんセンター中央病院での医療相談を予約

112日、同センターの相談外来に電話して「相談外来日の予約」を入れた。8日以降であれば予約は可能だとのことなので予約日を11月8日にした。

今日では常識になっているのか、別の医師に「第2の意見」を求めるこの「カンドオピニオンの申込み」もかなり混んでいることをこの時初めて知った。

電話予約の際、「がん相談外来」時に持参を要するものは、・保険証及び診療情報提供書(紹介状)の他、画像検査結果(CD.DVD等)、病理診断書等であること。なお、相談外来料金は27,000円でこの料金は保険対象外であるとのことだった。

 

2.国立病院に対する変な嫌悪感の払拭

がん専門の病院に世話になることなど思ってもいなかった。これも何かの因縁だろう・・そんな思いで国立がんセンター中央病院の「相談外来」を受けたのは118日午後2時過ぎのことだった。

同院は、都内中央区築地・中央卸市場通りの北側に位置し、自宅から同院迄は、JR京葉線と地下鉄日比谷線を乗継いで約50分の位置関係である。名の通りのセンター病院であるだけに規模・内容面では多分国内Topクラスなのだろう。

18階建て、578床、医師数約180人、1日約1300人程の通院外来者、年間約5400件の外科手術、手術事故皆無の「がんの総合病院」であるとのことだ。

しかし、当方には同院を治療先に選ぶに当り、ひとつ懸念していたことがあった。それは、過去に当方が、2~3の国立病院に入院中の知友人を何回か見舞った時に特に感じていた「国立病院は冷たくて愛想が良くない。」という嫌悪感であった。

だが、そんな懸念は、総合受付での第一印象で瞬時に変わった。民間病院以上に、親切・丁寧ではないかと実感した。

この感触は、その後の外来相談窓口及び外来担当係のナースとの事務的な会話の間も同じだった。それに加えて当日外来相談だったN医師(後に当方の手術を担当された消化器内視鏡科の医師)の当方と同席の妻に対する接し方・話し方・患者思いのアドバイス等を聞き知って、当方の古い誤解・感覚は完全に払拭された。

今まで経験したどの病院よりも「親切・丁寧で患者目線での対応」が行き届いていると実感したからである。

外来相談室に入って直ぐ、同伴の妻も「この病院の皆さんは、確かに愛想がいいし、親切だ・・」と感じたようだ。同院に対する当方達のこの好感触・信頼感・安心感は、今も全く変わってはいない。

 

3. 患者目線での丁寧な説明受け

同院外来相談室で消化器内視鏡担当科のN医師から●簡単な自己紹介●外来相談の目的、内容、通常の診断との違い、●当院で受診・治療する場合の手順等についての説明があった。

その後、●前病院作成の画像検査結果について画面上で詳しいコメントと手書きによる図解説明を受けた。その内容は、●画像から観た患部の程度・当方の症状と今後の治療方法●似た症例の手術例●検査・入院治療を当院で受ける場合の予定等多々あった。最後に質問懇談の機会もあり、外来相談の時間は約1時間余に及んだ。

諸説明を受け当方はすべて了解・納得出来たので、同院で検査・治療を改めて受けたい旨申し出た。終始懇切な説明をして呉れたN医師から、懇談の最後に、同医師が当方の手術担当医となると告げられ妻共々「ならばなお安心だ」と思った。


4.患部の画像と図解説明の一部

前病院での胃カメラ検査画像の枚数は約50もあった。以下の画像はその一部である。細部説明は割愛する。問題の患部は赤く血が滲んだように映っている部分である。その大きさは15㎜大位だとのことだった。この画像CDは再検査後、記念資料として当方に返却され手元で保管している。

 

 

 

 

 

 

 

 


老生の初期胃癌体験記(2/X)

2017-01-20 13:00:25 | 健康

1.侮る莫れ・・軽微で早期であっても「がん」は「癌」

これ迄「がん」で他界した当方の縁者知友人の中には、受診・治療が後手になったり、治療先が結果的に適当でなかったりして逝ってしまった人もいる。

当方の実母や叔父・伯母の多くも「がん」で亡くなっているし、強健だった二人の親友も「がん」で早世している。そんなこともあり当方の意識の中には、「がん」は、「不治の病・怖い病気」だとの認識が消えていない。

医学の進歩は目覚ましくても「がん」の特効薬として一般に認知されている医薬は未だない。だから、「がん」の中では、自分の「がん」は、序ノ口的な位置づけの「胃癌」ではあるが、当方は「大事を取って定評のある医療機関で、後顧の憂いなき治療を受けたい」旨妻子にも伝えていた。

 

2.地元総合病院でのレントゲン(胸部及び腹部)検査及びCT検査

胃癌判明後、Tクリニックの内科担当医から、地元のT&U病院を紹介され、そこで、疑わしい病変が他にないか否かを確認する検査を受けることになった。

当方係りつけのクリニックには、このT&U病院からの派遣医師が多い。Tクリニックで胃カメラ検査を担当して呉れたM医師は、同院・消化器内科内視鏡担当の主治医だったので、データは共有されており、同院での胃カメラ再検査はなかった。

10月24日、造影剤を用いてのCT検査及びレントゲン検査それに問診等を一日がかりで受けた。10月31日、M医師から一連の検査結果について画像等を基に詳しい説明を聞いた。

その結論は、「他臓器には、がんと思しき病変は特に認められない。しかし、左肺に気管支炎の影が認められる・・」とのことだった。気管支炎の影のことも気になったが、それよりも、もし、他の臓器や部位にも癌化した病変があれば、その後の治療手順も変わったことだろうし、検査・入院期間もかなり長くなったことだろう。

 

3.気管支炎の疑いとピロリ菌検査の陽性反応

気管支炎の疑いについては、確かに9月初旬頃からそれらしい自覚症状は出ていた。風邪で咳・痰が抜けず、食欲もあまり進まない時期が1週間余も続いていたけれども、家庭薬の服用で治まりつつあったので受診はしていなかった。

10月31日の検査結果説明受の際も、医師からは「抉(こじ)れれば肺炎で入院を要する病気」であり、悪化した場合の症例を聞かされ注意を受けた。

自分は過去に急性肺炎歴もあり、程度の差はあるが似たような症状は何度も体験済みなので、「気管支炎の症状」を軽く診て受診しなかったのは間違いだったと反省させられた。

血液検査では、「ピロリ菌の陽性反応」も出た。胃炎や胃潰瘍など胃の病気に深く関って いるとされるこの胃内雑菌の存在も確認され、除菌は胃癌の手術後、期間をおいて別途治療するよう診断された。

 

4. 治療先の選択とセカンドオピニオンの利用

諸検査結果説明を全て終えた1031日の午後、M担当医から最後に、じ後の治療予定について説明を受けた。その際、「手術は6ケ月以内ならば内視鏡による手術は可能だ。時期が遅れれば転移のリスクも上がるので、早めの手術が望ましい。手術時期をいつ頃にするか」について調整を求められた。

M医師の経歴は公表されているし、クリニックで胃カメラ検査を受けた時以来、この医師なら信頼出来るとの予感もあった。なので、当方はT&U病院での手術を希望した。ところが妻・長女達は、より信頼性の高いとされる専門医での治療を受けるよう具申して来た。

 

5.医師も了解の「セカンドオピニオン」風潮

妻子同席の場で、妻が「先生、今日までお世話になっているのに、失礼ですが、今からでも他の病院で再度診て頂くことは可能でしょうか・・」と質問した。

M医師は表情さえ変えず、「当院でもご主人の胃癌の治療は私とそのスタッフで十分可能です。でもセカンドオピニオンを選択されるようであれば、紹介状も書きます。がんセンター病院等を希望されますか・・最近は時折、そうしたご家族もおられます・・」と返答して呉れた。

昔は、途中からの無断転院や二股受診などは、医者に対する背信行為だとの不文律もあったやに聞いていたので、嫌味のないM医師の対応に内心「ほっとした思いと意外な思い」がした。

そんなやり取りの後、M医師を交えその場で相談の結果、国立がんセンター中央病院(都内築地)で外来相談・診察を最初から受け直すことになった。

2日後の112日、同病院で、国立がんセンター病院消化器内視鏡科あての紹介状と今までの諸検査データを収録したCDを受取り、受診先の転院準備を終えた。