気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

80年目の新年の誓い

2014-12-31 23:38:00 | 人生

八十年目の新年を又新たにして複雑な気持ちで迎えることが出来た。

門松や 思えば一夜 三十年 (芭蕉)

めでたさも 中ぐらいなり おらが春 (一茶)

NHKの「紅白歌合戦」やその後の「行く年来る年」の番組を観ながら、30年前のことなどは確かに一夜の夢のようでもあるし、老生にとっては、迎えた「新年のめでたさ」も

中位いだな・・というのが正直な実感である。思えば、自分の子供の頃は、寂れた漁村では「80歳前後の老人」は実に稀有な存在で、印象に残っている仙人のようだった隣の爺さんは、あの頃確か75歳位だった。

「人生80年を超える時代」の今日、当の自分は、70年前の隣の爺さんの歳を遥かに超え、元気にこうして生かされているが、年齢的には人生の「終焉期」を生きているのである。

隔世の感深しである。14歳の頃大病をし、今で云う臨死体験もした自分が、先に逝った知友人よりもこうして長く生かされている。人の命の不思議さを身に染みて感じている。

長生きに伴い当然のことながら、体の老化ピッチは、逐年早くなりつつある。如何に計画的な体力管理に努めてもこの老化を止めることは、誰も出来ない。

しかし、幸いなことに人は誰しも、気持ちの持ち方次第で「心の老化ピッチ」を遅らせたり、気持ちの若さを保ち続けることは出来る。だから、傘寿を迎えても、徒に過去との比較で今の自分を不知不識のうちに、消極退嬰的老人にしてしまう必要はない筈だ。

「もう歳だから・・」と呟いていてるだけでは、残りの人生益々つまらなくなるだけだし、精神衛生上もよくない。ならば、弱気で内向きの生き方ではなく、寒さ・暑さも当然のことと受け入れ、常に心の背筋を伸ばし、何事につけても前向き志向で、与えられた残りの人生をゆっくり進もう。しっかりとした足取りで、今年も全てのことに感謝しつつ、趣味を友としながら、日々悔いのない人生終焉期の旅を続けて生きたいものだ。

これが、今年も吾輩が意図する老生の生き方観である。

末尾になりましたが、爺の拙いブログを覗いて頂いた諸氏のご健勝とご多幸を祈ります。

 


ベランダの桜と行く年来る年

2014-12-23 16:11:44 | 人生

今年も人夫々、諸々の感慨を秘めながら行く年を送り、新しい年を迎えようとしている。何人かの知友人が又去って逝った。だが当方は、有難いことに70代最後の年の瀬を迎え、来年傘寿世代の仲間入りをする。今日迄生かされて来たことに感謝し、来年以降も平凡だが普通の老人でありたいと願っている。              

 

この寒さの中、ベランダ横の公園の桜達は、今は唯じっと寒冷に耐えている。春になれば、若葉をつけ、開花程なく満開の姿を見せて呉れる。そんな桜達をベランダから観る度に、桜達の逞しさ・強さ・可憐さに共感するものがある。反面、残りは限られ、白頭老化が進む老生だが、先を憐れむこと勿れ、傘寿を迎えても、心迄もが萎えること勿れである。ベランダ横の桜達は、そんなことを行く年来る年の自分に教えて呉れているようだ。

 

初唐時代の詩人、劉 廷 芝(:651年-- 679年)の「代悲白頭翁 (白頭を悲しむ翁に代わる)」と題する漢詩の中に次のような一節がある。

  古人無復洛城東   古人また洛城の東に無く

 今人還對落花風   今人還って対す 落花の風

 年年歳歳花相似   年年歳歳花相似たり

 歳歳年年人不同   歳歳年年人同じからず

 寄言全盛紅顔子   言(げん)を寄す全盛の紅顔子

 應憐半死白頭翁   応(まさ)に憐れむべし半死の白頭翁

 此翁白頭眞可憐   この翁白頭真に憐れむべし

 伊昔紅顔美少年   これ昔紅顔の美少年

前記のうち当方は、「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同・・」の件(くだり)が大好きだ。毎年花は同じように咲くが、この花を見る人々は毎年移り変わり、昔紅顔の少年も、今はすっかりくたびれた白髪老人になっている・・との部分である。花と人の生涯を端的に詠んでいて、心に響く余韻を感ずるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


増税せず、税収増を図れるという公約の妥当性は?

2014-12-12 00:02:28 | 時評

総選挙戦も最終盤を迎えている。選挙の結果、●一強多弱の状況が更に進むのか、●逆に大いに見直されるのか●多弱の中でもどの党が伸びるのか等々、選挙予想も縷々報道され当方もそれなりに大いに関心を持っている。

ところで、野党各党が声高に主張している似たような政策の中で、唯一、観点を異にして、「消費税引き上げは延期ではなくきっぱり中止し、その対案として別の途による税収を目指すべし」だと大胆に公約している政党は共産党のみである。確かに、妙案だと評価する選挙民もいるだろう。一般国民に負担をかけなくても、年々増加する国の社会保障費を十分に賄えるという公約だからだ。

その要旨は、大企業や富裕層からの応分の徴税約20兆円、大企業の内部留保金の一部活用で更に約く20兆円、合せて約40兆円の税収により、増税なしで必要財源は十分確保出来、危機的な財政再建も可能になるというのである。

成程如何にも我々低所得者層にはそう願いたい気もする公約だ。だが、この公約は、国の財政政策として、対象にされている富裕層や大企業だけでなく、多くの国民の十分な理解と協力を得られる真に具現可能な政策なのだろうか。以前から大変疑問に思っている。

結論から先に云えば、この公約は、極めて独善的かつ強権的で、具現には多大の政治的軋轢と経済の停滞を招来することに繋がる政策ではなかろうか。一党独裁の国の政治体制下であれば、さして社会問題化することなく実施は可能であろう。

しかし、100歩譲って仮に「富裕層・大企業等特別増税及び特定企業関連内部留保金の部分徴収に関する税制改革法案」のようなものが、国会審議入りしたとしても、与野党合意のもと、粛々と審議・決議され、抜本的な税制施策となる可能性は、昨今の国会審議の無様振りから観ても、まずゼロに近いのではなかろうか。

国会議員を僅か5人削減する法案の審議さえ、大変難渋した国会である。仮に近い将来、与野党拮抗の院内構成になったとしても、前記公約の実現に至る道程は極めて厳しい茨道となるであろう。

疑問視する論点を更に進めよう。公約だから具体策は当然ある筈だが、残念ながら当方は、その公約に関する具体策を聞いたことも見たこともない。●どの程度の富裕層に、どの程度の累進課税を求めるのか●どの程度の規模や業績のある大企業に、どの程度の税率で、いつから、どのように徴収するのか●どの程度の内部留保のある大企業が、どの程度の額や比率で内部留保金を収めさせることにしているのか。疑問の範囲は広がるばかりだ。

この公約が政治問題化すれば、毎年過大な負担を強いられることになる富裕層や大企業からの批判や反発及び抵抗も当然噴出するだろう。大企業の海外進出、産業の空洞化が更に進み、国内経済の混乱・停滞を招くことになりはしないか。これは決して稀有な恐れではなく、当然憂うべき恐れである。

大多数の国民に負担のない政策は全て善作であるとは限らない。かの有名なケネディ大統領はある演説で「祖国があなたに何をして呉れるかを問うのではなく、貴方が祖国のために何が出来るかを考えて欲しい・・」と訴えたそうだ。

富裕層や大企業の経営者と雖もそのことは意識の中にある筈だし、多くの国民も「必要な相応の負担」の必要性を理解していると思う。いづれにしても、消費税に頼らなくても別の途で財源の確保・財政再建は可能だとする公約は、低所得者層には特に、一見・一聞しただけで妙案のように思えるが、実はこれこそ、問題点山積で非現実的な空論だと老生は感じている。

 


先人達の異言語との関わりに関する疑問

2014-12-09 12:03:26 | 自学

呆け防止の一環で昨秋から、韓国語は聞き流し、中国語はテキストを基にラジオ放送を聴講している。韓国語はその昔、1年間学んだことがあるので復習の積りで聞いている。

聴講しながら、「異言語はその国の文化をよく反映している」と思う。同時に、先人達は、どのようにして他国の言語を学び、目的に応じて公益に貢献する業績を築いたのだろうか・・という疑問が時々ついて回る。

若干例を挙げて考えてみよう。江戸時代、漁の最中に漂流・救助され在米経験のある「ジョン・万次郎」が、後年、幕府から旗本の地位を与えられ、1858年の日米和親条約締結時、通訳として幕府に貢献したことはよく知られている。万次郎は通訳としての役割を立派に果たしたのだろう。

更に慶長18年(1613)、仙台藩の支倉常長らが慶長遣欧使節として、スペイン国王およびローマ法王の下に派遣されている。僅か200トン足らずの帆船で長大な航海をするだけでも快挙だと思うが、見事に親善外交をして帰国している。この時、使節団にはスペイン語やイタリヤ語に通じた随員がいたのだろうか。いたとしても、彼らは鎖国下でそうした異国語をどこで、どう学び、どの程度語学能力のある随員は何人位いたのか?そんなことに関する話は聞いたことがない。

 古くは中国唐の時代(618-917)、三蔵法師が、中国からインドに亘り、600余の経典を持ち帰って翻訳したとされている。その中国語訳経典を受けて、遣唐使歴のある当時の学僧が邦訳し、それが今日の多くの日本の経典になっている。

三蔵法師がどのようにしてインドの修行僧と対話をし、ヒンズー語を学び、加えて辞書も何もない状況の下で、どんな手法で中国語に翻訳したのか。 同様に、道元禅師など日本からの多くの修行僧がどのようにして受け入れ先唐側と折衝し、唐に長期滞在して仏典の翻訳に努めたのだろうか

僅か278文字の「般若心経」の経典にも、偉れた苦行僧達の直向きな努力と労苦が凝縮されているように思う。如何に漢字文化の国だとはいえ、難解な中国語の多くの原典を1400年も昔の時代に、どのようにして学び、習得し、完訳したのか。唯々感嘆あるのみだ。

今日我々が親しんでいる文化言語は、先人達が残してくれた貴重な努力の賜物である。しかし、その割には、そうした異文化言語が時代の変遷の中で、どのような受け伝え方をして今日に至っているか。文化の伝来に伴う異言語秘話について、知りたいことは実に沢山ある。しかし、書店や図書館で調べても、立派な先人達が異言語をどのように学び取り、その道の後輩達に普及させて行ったのか。そんな業績を記録した書本にお目にかかったこともないのは、老生だけなのだろうか

世界には6500種余の言語があるといわれ、夫々にその国の言葉の歴史がある。何語を学ぶにも、現代のように語学学習上も極めて恵まれている我々は、その面では実に大変幸せな時代に生かされている。だから、これも又大いなる感謝である。

 


「はやぶさ2」の旅立ちに思うこと。

2014-12-04 10:59:06 | 時評

 日本が世界に誇る「はやぶさ2」は、12月3日午後1時22分、見事に打ち上げられ、同日午後9時15分、小惑星1999JU3に向けた所定の軌道に投入され、6年余に亘る宇宙探査に旅立った。

今回の「はやぶさ2」関連プロジェクトも、初号機「はやぶさ」(2003.5~2010.6) プロジェクトの成果と教訓を活かしてきっと成功して呉れるものと心から期待している。同機が諸任務を完遂して帰還するのは、次回東京オリンピック終了後の年の2020年12月の予定だ。

その年、当方元気であれば満85歳になる。2度目のオリンピックも観たいし、無事帰還の様子もこの目で確かめたいものだ。余談だが、打ち上げの様子をTVで注視しながら、命の年貢を納めるのは、その後に願いたいものだと切に神頼みもした。

それにしても、僅か約600Kgの探査機が、直径約900m程しかない宇宙の彼方の小惑星に向けて就航の任に無事就いたこと。3年半の歳月をかけて目標到着後同機は、同惑星を周回して着地の適地を綿密に調査して同地に軟着地し、生命の謎解明に繋がるかも知れない有機物を含む物質を特殊な手段で採取して帰路に向かうこと。

この間、同機との通信には往復約40分もかかると云う困難な条件下で、6年余もの長年月に亘り探査機の運用統制を続けねばならないこと。そして最終的には、約52億Kmに及ぶ「はやぶさ2」の宇宙の旅を無事終えさせて、再び同機を地球に帰還させ、採取資料を持ち帰るというのだから、凡人の老生にはどうしてそんなことが出来るのか全く解らない。

けれども、この壮大な「はやぶさプロジェクト」についての興味と関心は、老生と雖も大ありなので、日本人として愛して誇るべき「はやぶさ2」の宇宙の旅の安全と計画の成功を心から切に願っている。