1、 昨今特に身近に感ずる「人の死」
人の死を比較的身近に感ずるようになったのは、50歳頃からである。その頃から、親しくしている学校仲間、所属団体、元職場や地域の先輩や同輩、時には後輩の訃報を知る機会が多くなった。
訃報を受ければ、可能な限り会葬するように心がけて今日に至っている。葬儀場で、最後の体面をして永久の別れをする度に、「やがて自分も遠からず、そして必ずその日が来るのだ」と実感するようになった。
年毎にそんな機会が増え、その度に、「自分の終わり=自分の死はいつか」などと野辺送りになる順番を気にするようになっている。これは、特に高齢者に共通する最も関心のある潜在意識だとも云えるだろう。
今月二人の同輩が相次いで他界し、そのことを又改めて強く感じた。
自宅療養中だったO・T君の病状が2月末に急変・悪化し、3月1日前立腺癌で他界した。その1週間後に1年前から入院治療中のO・Y君が末期肝臓癌で、O・T君に続く旅立ちをした。長い人生の中で、同一月に2週続いて友人の葬儀に会葬するのは、勿論初めてのことである。
両人が、闘病の終末期に、気持ちの面でどれ程「死期」を意識していたのか、詳しくはわからない。だが、「死期」が近いことは薄々承知し、覚悟も出来ていたようである。
現在、日本人の平均寿命は、男子80.2歳・女子86.6歳で、愚生の世代は正に、統計上の、傘寿世代を生きている。だから、自分達は、いつお迎えが来てもおかしくない人生終末の只中を日々生きているのである。
2.自分の「エンディング」についての意志の確認と家族の認識
人には必ず終わりがある。その際自分はどう扱って貰いたいのか、事前に意思を明確に近親者に伝えておくことは、終活の大事な決め事の一つである。2年ほど前からそう考えて思いを整理し、当方の「葬り方=エンディング」を最近次の10則に纏めた。
a.終末期に至り、意識不明の状態が長引けば延命処置の継続は必要なし。
b.可能な限り先ず「直葬(葬儀の前に火葬)」にする。
c.葬儀は、内々のキリスト教式家族葬とする。(当方を除き妻・娘夫婦等がクリスチャンでもあるので)
d.会葬者は子供達及び兄弟姉妹又はその代表者等少人数に限る。
e.縁戚、知友人へのお知らせは、家族葬終了後1~2ケ月以内に行う。
g.御香料は頂かず、死亡叙勲の資格はあっても申請はしない。
j.市営(目下造成中)の樹木墓地に埋葬を希望。一家用墓地は設けない。
h.機会を設け妻帰省の際、故郷若狭の海に小数片の散骨をする。
i.偲ぶ会的な行事や周忌記念の類の会等も一切行わない。
j.拝礼の対象となるようなモチーフ類等も不要、額付手札相当の写真一枚あれば良し。
以上の10則が遺言の一部のようなものだ。このことについては、最近妻子にも話し、概ねの了解・合意も得ている。終活の準備には、まだまだ処置しておくべきことが多いので、自分のエンディングに関するその他の決め事についても、元気なうちに逐次整理し、話しておく積りである。
3.死は終わりの始まり
仏教には、「輪廻転生」つまり、命には限りはあるが、その命が滅しても、また新たな生を齎し、生と死は永遠に繰り返す。
だから「生を明らめ、死を明らめる(生き死にとはどういうことかよく考えること)」ことが必要で、「人の死」をマイナス評価ばかりしてはいけないとの教えがある。
人は滅し、魂は滅んでも、形を変えて永遠に生き続けるという仏教のこの「流転の発想」は、現代流で評すれば、プラスの発想である。
当方は特にこの数年来、「人の死」を極めて身近な定めとして、完全に受け入れられるようになっている。今は元気でも、「次は自分が人生の終了宣告を受けるかも知れない・・」との思いが、、知友人の訃報を知る度に、切実な実感に変わりつつある。
そんな心情の変化や、宿命観についての理解が出来て来ている今は、「自分の死」は怖くはない。何故なら、それは、かの世での「新たな初めての一歩」になるからだ。
誰も見たことのない死後の世界では、そんな第一歩を踏み出したい。きっとそうした第一歩を踏み出せるだろうと信じている。だから、この先のある時期、避けられないお迎えが来れば、従容としてそのお迎えに従えるだろう。
だけれども愚生は、まだ暫くは「生」に拘り、95歳で天寿を全うしたいという実に欲張りな願望の持ち主でもある。果たして黄泉の国の王はそんな願いを許して呉れるのだろうか。(完)