気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

詐欺「はがき」にご注意!!

2019-02-01 23:32:44 | 日常

1、先日、妻宛てに「消費料金確認通知」と題する「消費者相談事務局」からの「はがき」(下段参照)が来た。

「はがき」には、「・・料金不払いに伴う訴訟が提起されているので・・身に覚えのない場合でも早急に連絡願いたい・・連絡無き場合は、裁判所からの呼出し等の対象になる」旨の内容が記されている。この「はがき」には、次のような不審点がある。

 ・初めての「はがき」なのに、唐突に訴状云々の通知は、常識的にはあり得ないこと。

・重要な個人情報を手紙でなく、カバーシートなしの「はがき」で通知して来たこと。

・妻には全く記憶のない通知内容であること。

・Netで調べても該当しそうな名称のサイトがないこと。

・同事務局の所在番地は存在するが、地図サイト上は、周りにビルや住宅がない平地のような地所であること。

以上の理由から、「詐欺はがき」だと判断し、市の消費者センター及び所轄警察生活安全課に連絡して問い合わせた結果、昨年来類似の事例

が管内でも多発していることを知った。

2、問い合わせの結果、同事務局の電話番号及び住所・番地は単なる連絡先で、この種詐欺グループの実態はよく解ってはいないが、県内では、裁判取り消し費用等の名目で多額の被害例も出ている。注意すべきことは次のような諸点である。

 (1)「はがき」のタイトル・内容は裁判関係書類に似せて書かれているので、自分に未払があったり、未払があるかどうか覚えがないと、確認のため、相手先に電話したくなるような消費者の心理を利用し「‥万一身に覚えがない場合でもご連絡をお願いします」と電話番号も太く見易く印字している点も要注意である。

 (2)同事務局あてに確認の電話をすると、その内容に応じ、担当の弁護士等と称する別の相手先に電話誘導・案内(回され)され、訴状取り消し手続き等について最初は、事務手数料等の名目で相応の支払いをさせられる。支払い場所としては、コンビニ等が指定され、現金又は、換金できる商品券類の送付を指示される。

 (3)一度支払うと事後は別名目の理由がつけられ、多額の振り込み詐欺に嵌る例もある。

(4)この種の事案の宛先には、通販業者の名簿が流用されているようで、数多く出すため宛先は、ラベルシートを用い、その送付対象は、7080歳代の女性殆どであるので、特に後期高齢のおばさん・お婆さんは要注意だ。

兎に角、詐欺被害例をよく聞く昨今である。お金に絡む連絡通知は、「最初から鵜呑みにして、大変…だと受け取らずーまず疑いー誰がー何故―自分を指定して来たのか―何が問題かー自分独自で確認出来ることは冷静に処理し、問題案件を客観視する」ことが特に大切ではなかろうか。(H31.2.2記)

 

 


いつ迄続けられるかな・・老生の年賀状

2018-12-29 11:32:40 | 日常

 1、現役当時は、差出枚数400通程だった賀状も、逐年減少し、31年分は夫婦連名分を加えても約200枚になった。

これも加齢に伴う自然の流れで当然の成り行きである。

ところで、日本には奈良時代から年始の挨拶回りの風習があり、それが近世武家社会においては、文書による年始挨拶の習慣となって一般化したものだといわれている。

今日のように、はがきで年賀状を送る風習が普及したのは、明治維新以降の1873年に「郵便はがき」が発売されて以降のことだそうだ。

2、しかし、近年は、「はがき」による賀状差出の状況も、2003年をピークに逐年減少中で、公表データによると、国内での2003年の年賀はがき発行枚数は、約44億6000万枚(1人当り平均約35枚)、それが2018年には約24億万枚(一人当り平均19枚)に減少しているとのことだ。パソコン・スマホ等各種携帯端末の普及や特に若者層の感覚の変化等に伴いこの状況は、今後益々縮小化することになるのだろう。

3、しかし、日ごろご無沙汰している親戚縁者や知友人等に出来れば、一筆添えて年始の挨拶を文書にして送る伝統的風習は、後世に伝えるべき我国の良き伝統文化なので、時代が変わりつつあっても是非大切にしたいものである。

この数年来、「これを最後に次年からは賀状を失礼する」旨の一筆書き賀状を毎年数通受けるようになって来た。いずれは自分もそうしたいとの思いはある。

だが、パソコン操作に支障のないうちは、23歳以来続けている賀状差出しを「こちらから先に失礼すること」のないようにし、来る年以降もぜひ続けたいと願っている。


いずれはわが身か?細やかな心得と密かな期待

2017-10-31 16:03:41 | 日常

1、厚労省の統計(平成24年)によると、我国では、65歳以上の高齢者の7人に1人は認知症患者で、その総数は約462万人だそうだ。今後もこの患者数は増え続け、8年後の平成37年にはこの患者総数は約700万人に達すると見込まれている。

2、ところで、この認知症は、後天的な原因によって病的症状が認められる脳に関する一種の病気であるのに対し、物忘れは、記憶の一時的中断だけで病的なものではない。とは言え、何らかの原因で物忘れが常態化すれば、当方も認知症の仲間入りをする可能性は十分あるので先行き心配だ。。

認知症の具体的な症例としては、一般的に・物忘れの自覚がない・体験したこと自体を忘れている・ヒントがあっても思い出せない・日常生活に支障がある・判断力が低下していることなどの特徴がある。

●これに対し、呆けの場合は、・物忘れの自覚がある・体験したことの一部を忘れている・ヒントがあれば思い出せる・日常生活にさして支障はない・判断力はさほど低下していない。

など認知症の特徴とは確かに差異は明らかだ。

 しかし、この認知症には進行を遅らせる治療法はあっても、現在では有効な根本治療法はないそうだ。だから、最近呆けも進みつつある我が身においても、呆けのピッチが速く、その頻度も目立って多くならないよう自分なりに諸々の努力はしている。

 3、その努力とは、月並みだが、次のような心得を日常普段に実践していることだ。

その一は、気持ちの持ち方「か・き・く・け・こ」の励行である。具体的には、

①「か」… 感動・感激(喜んだり、悲しんだり、興奮を覚えたりする)
②「き」… 興味・緊張(何事にも興味を持ち、適度な緊張感を保つ) 
③「く」… 工夫・苦心(創意工夫と新しいことに挑戦。楽をしようとしない) 
④「け」… 健康・献身(健康は当然。周りの人の為になることに心がける)
⑤「こ」… 好奇心・向上心・行動力(人と話したり:口動力、考える意思と行動力=考動力を保つ)

その二は、呆け防止「3つの心」の実践である。

「あそび心」、「おしゃれ心」、「ユーモアの心」を忘れず、T(時)P(場所)O(場合)応じて態度や言葉で表すことである。

4、日々、前記のような呆けない為の努力をしていても、やはり加齢には勝てない。だから、最近は、「もの忘れ ものに つまずき また忘れ」、「あれ これ それ ひと(他人)に謎かけ思い出す」そんな川柳に表されている忘れ癖に気付くことが、多くなっていることは確かだ。

でも、この程度ならまだ許容範囲内だろうと自分に言い聞かせ、諦めずに「呆け防止の心得」に努めている。

 5、老生の細やかな心得にも関係する話だが、最近、物忘れに関して、「森山良子」の「あれ、あれ、あれ」なるシャンソン調の歌が流行っていることをNetで知った。詞は中高年向きに近いように思うが、曲のテンポが速く、我々高齢者向きではない感じである。しかし、詞は物忘れの実態をよく表していると思う。

https://www.uta-net.com/movie/119030/ 左をクリックで YouTubeで視聴可能である。

出だしの歌詞は次のとおりで、全体にちょっと長めの歌詞だけれども、話のネタに一聞の価値はあると思う歌だ。・・

ああ あの時の あの Ano  Ano  Ano
あの人の名前がでてこない
ほらあの時会った あの人なの
もう わかってるのに思い出せない

6、聞いた感じ、曲調が中高年者向けのバージョンのものもあれば、10数年前に流行った「大泉逸郎」の「孫」の歌同様、高齢者の愛唱歌になるかも知れないのに残念だ。

こんな歌が出るのも、“歌は世につれ、世は歌につれ” の表れであり、高齢社会における社会現象の一環であろうが、願わくば、高齢者が進んで歌えそうな、呆け防止の推奨歌のような歌がそのうち出て来ることを心密かに期待しているだが・・・。


偶然の一致に関する雑考

2017-09-12 21:04:47 | 日常

世界を震撼させた米国での同時多発テロ事件から16年、未曾有の東日本大震災から6年(6年半)が経過した。今もなお、3.11大震災による行方不明者が2546名(11日現在)もおられるとのこと、ご遺族は消えることのない辛い思いをされていることだろう。

 

 犠牲になられた方々やその関係者には失礼なことかも知れないが、前記以外の事件等のことも含め、偶々調べていてふと気が付いたことがある。それは、数字に関する忌まわしい共通性のことである。具体的には以下の地震の発生時刻に関する「偶然の一致」についてである。

・阪神淡路大地震・・1995(H7.1)午前5時46分

・ニューヨーク同時テロ・・2001(H13.9)午前8時46分

・東日本大地震・・2011(H23.9)午後2時46分

・チリ沖(イキケ)地震・・2014(H26.4)午後8時46分

 

4つの巨大災害の発生時間を見ると、その発生時刻がいずれも46分となつていることだ。

この46の数字のミステリー例としては、例えは飛躍するが、Netのある記事では米国16代リンカーン大統領は1846.4、35代ケネディー大統領は1846.11月に暗殺されたとなっている。しかしこれは事実に反するようで、両大統領が暗殺された年は、1865年と1963年である。しかし後年云われているように、いずれも魔の金曜日であったことは確だ。

ラッキーな数字の7も、時には魔の偶然の一致で忌まわしい数字になる場合もある。

その典型例が、3年前ウクライナ上空で撃墜されたマレーシア航空機に関する悲劇である。

悲劇となったマレーシア航空ボーイング777が初飛行したのは1997年7月17日だった。

そのマレーシア航空17便が撃墜されたのは、それから17年後の2014.7.17だった。これは7に関する数字の忌まわしい「偶然の一致」例の一つとして紹介されている。

 

序に最近話題になった、TとY議員さんはどちらも東大法卒の2回生議員で、Tさんは衆議院第一議員会館724号室で、Yさんは衆議院第二議員会館724号室で号室番号が同じだとは、お互いに不思議なめぐり合わせだと思っていることでしょう。

Netの記事の中には、僅かな事例を筆者の意図で繋ぎ合わせて「偶然の一致」を誇張する事例もかなり認められる。当方は、どちらかと云えば、疑い深い質なので、数字の一致だけを以て何か特別の意義づけをすることを好むものではない。しかし、「偶然は事象の積み重ねにより起こる必然だ」との観方もあるけれども、当方は前記の諸例は偶々数字がそうなっただけの話だと思うので、「偶然は事象の積み重ねにより起こる必然だ」との観方はどうかな・・と思う。しかし、英語のシンクロニシティ(synchronicity)とは、「意味のある偶然の一致」とも訳されているので、意味のある・なしは別として、いい意味の偶然の一致は大いに歓迎したいものだと願っている。


可愛い「インコ」の「フータロ」

2017-02-12 22:39:12 | 日常

 我家でこの鳥を飼い始めてもう6年余になる。長女夫妻宅から管理を託されたまま現在に至っている。

アフリカ南西部ナミビア原産のこの「コザクラインコ」の平均寿命は、最長15年位だそうだ。幼鳥の頃から通算するとこの鳥も多分「老鳥」の仲間入りをしているのかも知れない。しかし、とても元気で人慣れしているし、動作・表情が実に愛らしい。1日に12回は鳥籠から出して「放鳥運動」をさせている。

当方が鳥籠に近づくと、籠を開けるまで執拗に、上体を左右に動かしたり、首を上下動したりして「早く鳥籠を開けて呉れ・・」と喜び勇みながら、催促している様子も健気である。


鳥にとってはこの放鳥が、1日のうちの「至福の時」でうれしいのだろう・・あちこち飛び回り、そのうち止まり心地のよさそうなケ所を見つけ、暫しおとなしくしている。

当方がパソコンをやっていると知らぬ間に肩に乗り、そのうち腕を伝って手の甲をつつく様な仕草をする。

やがてキーボードの上をちょこちょこ歩き回り、傍に用紙などがあると、得意の「紙切り作業」が始まる。細長くきれいに刻み切った部分を口に銜え、「見てよ・・」と云わんばかりのポーズを取ったりもする。

 

 

「フータロ」にとって、当方のデスク周りでの一番のお気に入りスポットは「蛍光灯のかさの上」である。両足を綺麗に揃えて止まり続けて羽繕いをしたり、惰眠を貪ったり暖かいところを好むのもやはり、原産地の血が通っているからだろう。


言葉の真似は苦手な種類だそうなので、「フータロ」は一言も喋れない。得意技は、鋭い噛み癖と声高で声量も豊かなことだ。夜9時ごろ、鳥籠に「ひざ掛け毛布」を掛けると動きが止まり、やがて眠りに付くのだろう。


 

8時を過ぎてもその毛布が掛かったままだと、大きな鳴き声で、「早くとって・・」と啼き続けて訴えているようだ。鳥にどんな感情や心があるのか知る由もない。

日々単調な生活の中で「フータロ」と当方は、極く僅かな時間だがその間「癒し癒されたりする関係」にあることは確かだ。だから、この先もこうして、老鳥と老生の睦まじい関係がまだまだ続くことを切に願いたいものである。