気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

共闘基盤再編を巡る野党の思惑

2015-10-22 12:09:13 | 時評

風刺漫画家の「市原すぐる」氏は、例のマンション基礎杭の打ち込みに関する偽装問題に絡めて、次のような政治風刺画を産経新聞に寄稿(H27.10.21)している。風刺画のタイトルは「悔い(杭)の深さ不足」と「偽装」となっていた。

この風刺画は、政治の分野で最近かなり話題になっている野党連合構想を巡る主要三党首の思惑を観る者に感じさせて呉れている。その点では、確かに「尤もな指摘であり、示唆に富んだ風刺である」と思う。

この風刺画の観方やその意味の捉え方は人夫々だが、当方がこの風刺画を観て感じたことは以下のような諸点である

1、最も意外に思ったことの第一は、日米安保条約の廃棄を党是とする党が、その党是を一時棚上げして日米安保容認の方針転換を表明したことだ。そして、当面は野党間の政策提携により来夏の参議選勝利に向けた野党共闘を推進すべきだと提唱していることだ。事ある毎に党の主張は一貫して不変であると豪語していた党としては実に大胆な豹変振りであることだ。

2、この志位の「党」は野党連携を更に進める「国民連合政府構想」なる政策提言もしている。こうした一連の動きの前提となる「野党連携・共闘」問題に対しては、野党第一党の面子もあれば、たじろぎもある筈の岡田「民主」の党は、未だ態度を決め兼ねているようである。

野党連携は是とするにしても、志位の「党」のペースに巻き込まれたくない思いもあるだろう。加えて、民主」の党内では「安保法制問題」を巡り、一部に有力な賛成派との内部確執もあり、岡田党首の思惑は複雑だろう。

3、一時は威勢の良かった維新の党も最近は、党の基盤が急に液状化している。党は西と東に事実上分かれ西の本家からは、東の維新は異端集団と揶揄され、内部分裂はもはや決定的だ。来るべきものが来た感深しのお家騒動である。当面の火を消すのに死苦八苦している状態だから、野党連携云々の話しはなお先送りせざるを得ない状況のようだ。この党は元々、民主の党以上に志位の「党」アレルギーが強い政党として誕生した党だから、今後この党が野党連携に組するとなれば、これは立党の精神に反する重大な苦渋の選択をすることになることだろう。

4、次に、この風刺画に顔のない「生活の党と○○の仲間たち」の小沢党首は、野党の中では志位の「党」と最近は蜜な関係にあるようだ。かっては自民の反共若手剛腕プリンス的存在だったが、今では軍団の輩下が悉く袂を分かち往時の面影は全くない。だが、落ちぶれても政治の裏力学に通じている同党首は、志位の「党」に同調の姿勢を示して、野党連携の隠れた推進役を演じているやに観えるのも誠に以て不可思議な政治家である。

5、いずれにしても、志位の「党」から提唱された政策提言に対し、民主・維新の両党が党内の軋轢や内紛を治め、脆弱な党の基盤を如何に固めて対応するのか、来夏の参院選に向けた野党の動きが大いに注目されるところである。

前記の風刺画が示している通り、政治の基盤再編工事に関する志位の「党」からの杭打ち戦略に他の野党が嵌ってしまったり、或いは選挙目的だけの為に、野党各党がその結党の精神に反して、後年悔いを残すような欺瞞の野党連合にならないよう切に願いたいものである。 


「莫生気」と題する人生訓

2015-10-13 12:47:43 | 人生
1、当方は30歳で結婚して以降、還暦頃迄の間は今思うと二重人格的性格の夫だった。家庭内では怒りっぽくて妻子には厳しく、知友人等には愛想のよい生き方をしていた。意識してそうしていたのではなく、自然にそんな男になっていたように思う。
 
そんな自分にピッタリな人生訓、それが長老のKさん(日本留学後日本に帰化)から教えて貰った標記の「莫生気」と題する漢詩である。一昨年から聴講しているNHKの「まいにち中国語」のラジオ講座の中でこの漢詩に用いられている用語とその読みに出会うことも時々あるので、今ではより馴染みのある漢詩の人生訓になっている。
 
意味は理解出来ているのだが、願わくは中国語読みが完全に出来るようになりたいものである。現代中国の特に対日政治姿勢には警戒すべき点が多い。しかし、同国の歴史・伝統・文化には学ぶべき事柄も多く、その点では、興味と関心は尽きることはない。

 2、Kさん伝授の漢詩「莫生気」の全文は以下のとおりだ。

戯     因

易     是

気    

気     気

意     況

比     家

起     神

3、概略の意味は以下のとおりだ。

人生は一幕の劇のようなものだ
縁あったが故に一緒になって今日に至った仲なのだ

だが、お互いに支えあって老いてゆくのは容易ではない
とは言え、だからこそ互いに労り大切に生きて行こう

日常の些細なことで気持ちを荒げたりしてはいけない
後で思い返せば、そんな必要も無かったと思うものだ

他人が気持ちを荒げても、自分は腹を立てないでいよう
腹を立てて病気になっても誰も、代わってはくれないから

もし私が怒り狂ったとしても、そんなことは誰も気にかけない
だから自分が気持ちを荒げれば、自分が傷つき無駄骨を折るだけだ
ご近所や知り合いと自らを比べてみても仕方なかろう

子供や孫のことにあれこれ口を挟まないように心していよう
苦しみも喜びもお互いに分かち合い、
神様さえも羨むような良き伴侶であり続けたいものだ

4、上記のような「怒り」に関する訓言は、わが国にもあるにはある。

例えば、「健康十訓」の中には「少憤多笑」、「人生五訓」には「・あせるな、・おこるな、・いばるな、・くさるな、・おこたるな」の戒めがあるし、徳川家康の「人生訓」の中には「・堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」などの訓言もある。

しかし、前記の「莫生気」のように、「怒り」そのものをテーマにした人生訓は、やはり中国独特の国民性や風土に由来して伝えられて来たものだろう。

ところが、前記Kさんの話によれば、中国でも古くから伝えられている「莫生気」も時代の変化で人口に膾炙されなくなりつつあり、若い人はあまり知らないだろう・・とのことだ。

洋の東西を問わず、これも当然の時代の成り行きなのだろうか。いずれにしても、格言とか人生訓は、時代を超えて語り継がれる「普遍性」と「説得性」がなければ、訓言としての価値も薄らいで行くのではないだろうか。

その点では、大先輩から教えられた本稿の「莫生気」も傾聴に値する名句であることは確かだ。けれども、若い頃から「人のあるべき生き方」を教え込まれて来たKさんが、今も大切にしているこの「莫生気」の人生訓が、中国大躍進の時代の波の中で次第に失われつつあるとすればそれは、隣邦の友として、とても寂しくて残念なことである。