三浦のウインドサーファー

ただ今、北米滞在中。ハワイ、アルーバ、アラチャティなどと行ったけど、遠浅、オンショアのボネールが最高に素晴しい。

児童虐待

2006年08月02日 | Weblog
8月2日(水)

       

またもや悲しい痛ましい児童虐待事件が起きた。

福島県の夫婦が、自分の子供三歳児に食事を1日一回しか与えず衰弱死させ、三男の児童にもちゃんとした食事を与えず、その体重は標準児平均の半分(10キロ)しかない状態だったという。

このような状況を児童相談所は把握しておりながら悠長にボヤーと時の経過を経た。何たる失態か。児童を先ず最初に保護しなければならない立場にいるこれら行政担当者が、毎度のことながら、実に物事を他人事のように悠長に構え過ぎその行動が実に遅すぎる。後になって記者会見などで「もっとあの時気が付いていれば云々...」などといつもたわけた事をのたまう。実にこれら担当者の行動が悠長過ぎる。責任感など全くないに等しい。そしてその結果として児童を死に至らしめるなど取り返しのつかない事件が、近年、余りにも多すぎる。

          

同様な事件で、過半の群馬の事件では児童虐待した若い夫婦に対して「酌量の余地なし」として、懲役3年の実刑判決が出され、また、京都の事件では、夫婦に対し、それぞれ懲役7年と6年の実刑が下された。これでも軽い刑と思う。

最近の特徴は、夫婦の自己中心的で身勝手な行動が児童の虐待を引き起こしている例が多い。親としての心構えなど全くない。このような夫婦には厳罰が下るのは当然であるが、その一方で、児童の死をみすみす見過ごしてしまった児童相談所の職員などは、果たすべきその職務を全うしていることには全くならないのはもちろん、人間としての価値、そのかけらさえも全くないといっても過言ではない。このような過ちを犯した児童相談所の職員は厳罰に処さなければならない。もちろん即刻、クビ(懲戒免職)に値する。

          

ただこのような役人をクビにしたところで、失われた幼い命は生き返らない。大切なのは常日頃、隣近所等のまわりにいる者がその異常に気が付いたなら速やかな対応をするよう心構えを持ち、その端緒をつかんだなら警察、学校などに通報することである。

しかし何といっても望まれるのは、直接、幼い児童の命を保護すべき児童相談所、警察等の行政担当者が、もっと命がけで自己の職務に当たり、幼い命を大切にする心ある行政を真剣に行うよう努めることである。

確かに、その家庭の異常さに気が付きながら家宅捜索など家の中に踏み込めない現行制度に問題点はある。今後この問題は、親の親権よりも子供の人権の方が優先する、という建前で制度の見直しを図るべきであろう。
毎度のことながら、このような痛ましい事件に接するたびに、以上のようなことを痛切に考えさせられる。