田熊みうま会 尾道市因島から発信中

昭和40年度生まれで 田熊小学校・田熊中学校に通った人のブログ

弁財天社(田熊町東区)

2022年06月19日 | 令和4年因島・田熊・仲間の話題
昨日は弁財天祭でした。新型コロナの影響で夜店や演芸大会は行われず、3年続けて神事のみの開催となりました。画像は今日の弁財天社の様子です。本来は「べんざいてん」ですが、田熊では「べざいてん」の方が通りが良いかもです。
創建時期は不明ですが、神木のモチの木は樹齢500年と伝わります(現在は枯れてしまったため伐採処理が施されています)。

鳥居には安政5年(1858年)と刻まれています。安政の大獄があった年ですね。社殿横の灯篭は自然石で、田熊八幡宮の同様な灯篭は天保11年(1840年)や弘化3年(1846年)、文政6年(1824年)や12年(1829年)建立のものがありますから、弁財天社の灯篭も同時期のものかと思います。
かつてはこの辺りまでが海だったので、田熊の玄関口を見守る神様として厳島から勧請されたようです。それを裏付けるように祭日には手水鉢には海水が注がれるそうです。ただ神紋は「三つ盛り亀甲に花菱」なので、もしかして出雲大社系?とも考えてしまいます。。。
金山新開の造成が文化10年(1819年)、扇新開が造成されたのは文化13年(1822年)なので、この弁財天社創建はそれよりもう少し前かもしれません。東区と中区の間、字下樫平(しもかぜひら)に金剛院が建立されたのが正徳5年(1714年)なので、田熊発展の時系列から推測するとこの時期の創建でしょうか。中世田熊にタイムスリップしたような歴史ロマンですな。

コロナ禍以前の弁財天祭の様子はコチラから(平成31年6月23日記事)。
当社にまつわる伝説も掲載しています。












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