みちのくの風の旅人 [ 愛と義の街(上杉の城下町)から情報を発信中 ]

米沢・山形・東北の自然や文化・風土を季節の便りとして届けています。HP[新・天空の流れ雲]と合わせてご覧ください。

東日本大震災から100日(その2)

2011-06-18 20:40:09 | 東日本大震災に寄せる想い
Cimg4966  3.11大震災から100日 苦難の道のりは未だ険し

 3度目の福島訪問は、2度の訪問[4月2日(土)・4月17日(日)]から1月半を過ぎた6月5日(日)、右足の痛みが治まりつつあったのでようやく実現しました。今度は南相馬市役所を目指しました。日曜日にもかかわらず、市民が数名訪れ、市役所の窓口もこの緊急事態のため休み無く開かれているいる様子でした。北の相馬市の賑わいと異なり、原発から30km圏内にあることから、原町付近は県内外への避難者が多いせいか、昼近くながら街はひっそりとしていました。市役所(写真)ロビーの、ハワイからの応援旗(写真)が被災者を力強く応援していました。海岸に向かうと、土台だけを残して、街並みは津波で全てを流されていました。国道6号線に戻り北上すると、漁船が打ち上げられ、水田の海水も引かず異様な臭いもまだ残っていました。至る所震災から3ヶ月近くなっても、傷跡はまだ癒されていないこと心を痛めました。

 南相馬市のホームページ     http://www.city.minamisoma.lg.jp/  

  ☆ 南相馬市は平成18年1月1日、旧小高町、旧鹿島町、旧原町市の1市2町が合併して誕生しました。

 相馬市のホームページ  http://www.city.soma.fukushima.jp/

相馬市内の道の駅で食事後、かつて子供の頃潮干狩りに訪れた松川浦も津波で大きな壊滅状態だと聞いていましたが、いずれまた来ることにして、さらに6号線を北上し続けました。県境の亘理町の付近も津波で大きな被害を受けていました。宮城県に入り、岩沼市、名取市、仙台市と進み、TVで見た仙台空港の被害の様子を、常磐道の上からから目にしました。また高速道路の東側(右)を見ると、仙台平野全体に津波の爪跡が見渡す限り広がっていました。東北道に乗り継ぎ、福島飯坂ICを下りて、米沢に戻りようやく3回目の福島訪問を果たすことが出来ました。

  NHK-TV画面から震災関連情報の枠がはずれ、1ヶ月以上経ちましたが原発事故はまだまだ続いています。被災地の惨状をよそに、政治の混乱は目を覆いたくなるような状況です。緊急事態に総理大臣を替えようとする動きは、諸外国からまともに相手にされなくなり、国益を失う危険があります。自民党・民主党と政権が代わっても、マスコミに踊らされ、目先の事ばかりに気を足られていることに、失望しそうになります。菅総理がんばれと、言い続けたい。

 昨日、4月2日の南相馬市への救援物資に対するお礼状が自宅に届きました。これで、震災から100日目の区切りを、ようやく付けることが出来ました。

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東日本大震災から100日(その1)

2011-06-18 18:38:50 | 東日本大震災に寄せる想い

                               3.11大震災から100日
                     苦難の道のりは未だ険し

 震災と原発事故は未曾有の被害をもたらし、このことをきっかけにブログを始めました。自分に何が出来るかは分かりませんが、被災地に目を背けず寄り添うことは出来たように思います。高校時代の仲間も被災し、その様子は震災後同級会事務局から次々とメールが届き、驚きの毎日でした。

 ところで、震災直後から福島に3回出かけたことは、家族も含め多くを語らず過ごしてきましたが、震災後100日を節目に振り返ることにしました。

 4月2日(土)まだ大きな余震が時々ある頃でした。3月はガソリン不足でスタンドに朝から長蛇の列をつくることが、連日話題となっていました。米沢は比較的他の地域に比べて、地震直後の停電も無かったことも含め、少しずつガソリン不足も落ち着きつつありました。福島県浜通りの窮状をTVで見聞きし、自分も一歩前に踏み出す事にしました。ケーシー高峰(山形県出身)さんが、いわき市で炊き出しをしていることが山形新聞で取り上げられたことも影響を受けました。相馬に行くのは子供の頃潮干狩りに行って以来、40数年振りになります。米沢・福島・相馬・南相馬のルートを通り救援物資引き受け所(写真)を目指しました。国道6号線を南進したところ、原発から30km圏内の境界で警察の検問車が止まっていました。南に行き過ぎたことに気付き、引き返して物資引き受け所に前日買い込んだ山形米「はえぬき」10kg×3袋を届けました。次はいわきを目指しましたが、原発事故のため3倍もの時間をかけて遠回りすることになりました。霊山町から近道をしようとしましたが道に迷い、どうにか進んでいる内(写真)東北道に辿り着き、一路いわきを目指しましたが、午後3時を過ぎていました。ケーシー高峰さんに米とミネラルウォーターを届けられないかと、交番に掛け合いましたが取り次いでもらえませんでした。ガソリンを詰めたスタンドにも同じく依頼しましたが断られ、やむなく米沢に引き返してきました。8時過ぎのことでした。結局支援物資は後日、地元米沢で引き取ってもらう羽目となりました。東北道を除けばこの時山形ナンバーの車と出会ったのはたったの1台だけでした。

 4月17日(日)いわき市を再び訪問しました。前回道に迷ったのでカーナビを購入し、途中三春の滝桜(写真)を見てから、一路塩屋岬を目指しました。ツイッターでかつて春の合宿で過ごした豊平海岸の惨状を目にしたからです。宿泊したえびすや旅館(写真)の看板が目に入り、運転しながらあわててシャッターを切りました。みそらひばりの歌「みだれ髪」の舞台、塩屋岬灯台は、当時と少しも変わりませんでした。当時もまだ大きな余震が時々ある頃でした。

 3度目の福島訪問を考えていましたが、4月末、今振り返ると震災から49日前後のこと、右足に激痛が発生し整形外科の痛み止めも効果無く、連日接骨医院で電気をかけ続けてきました。昨日まで通院し、痛みがほぼ治まったので震災から100日を区切りに通院を終わりにしたいと考えています。結局3度目の福島訪問は、6月5日(日)まで延期せざるを得ませんでした。詳細は、次回のブログに掲載します。 

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